障害者が障害に関係なく、高いレベルでの競技を行う。そんな社会の到来を待ち望みながら、障害者アスリート(パラアスリート)のためのレース用義足を開発する会社がある。その会社「株式会社Xiborg(サイボーグ)」を創業した遠藤謙さんは、マサチューセッツ工科大学メディアラボで義足の研究開発に従事し、現在はソニーコンピュータサイエンス研究所のアソシエイトリサーチャーも務めている人物だ。
Xiborgでは現在、豊洲の新市場にほど近い、海沿いの「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」に拠点のひとつを置き、2020年の東京パラリンピックを目指して、パラアスリートと一緒にレース用義足の開発に取り組んでいる。
レース用義足の技術革新やパラアスリートの能力向上などにより、パラアスリートは健常者と十分に競い合えるほどのレベルに達しつつある。そして、近い将来にはパラアスリートが健常者の記録を抜くとまでいわれている。
そのようななかで、Xiborgでは、レースのみならず日常生活でも、障害者と健常者が同じように過ごせるテクノロジーを目指している。
パラリンピックで勝つための「F1チーム」を目指して
Xiborgで開発しているレース用義足は、私たちが一般的に想像する義足とはまったく異なるものだ。カーボンファイバーの複合材の板を成形し、バネのような強い反発力を生み出すことができる。その特徴的な形状は、チーターやカンガルーなど、足の速い野生動物の後ろ足を思わせる。
Xiborgではすでに、春田純(はるた じゅん)、佐藤圭太(さとう けいた)、池田樹生(いけだ みきお)、Jarryd Wallace(ジャリッド・ウォレス)という4人のパラアスリートとチームを組み、いくつもの障害者競技会で高い成績を収めている。そこでは単に義足の開発だけでなく、男子400メートルハードルの日本記録を持ちオリンピアンでもある為末大さんの協力のもと、パラアスリートに対するスポーツ面でのトレーニングも支援している。
「義足だけで速くなるわけではありません。選手の強化やトレーニングなどももちろん必要です。選手が速く走るということが第一の目的で、義足開発はその一部というように考えています」(遠藤さん)
これだけの高いレベルで競技を行うには、アスリート個人の努力やエンジニアの技術力だけでは不十分だ。そこでXiborgは、パラアスリートを中心に、義足を開発するエンジニア、トレーニングをサポートするトレーナーなどと共に、レースで勝つことを目標にした「F1チーム」のような体制を組んでいる。
さらに、Xiborgではパラリンピックの先をも見据える。「障害者が健常者を打ち負かす時代が来ると思っています」と、Xiborgの代表取締役の遠藤さんは話す。
2012年のロンドンオリンピックでは、両足にレース用義足を履いたオスカー・ピストリウス選手が、健常者と共に陸上男子400メートルに出場し、準決勝まで進んだ。ピストリウス選手は2008年の北京パラリンピックで金メダルを取るほどの実力者だったが、レース用義足着用でのオリンピックへの参加を国際陸上競技連盟(IAAF)に拒否され、出場を求めてスポーツ仲裁裁判所に提訴し、裁判の末にロンドンオリンピックへの出場権を勝ち取った。
「その頃、僕はアメリカにいて、裁判の一部始終を見ていました。日本ではほとんど話題になりませんでしたが、アメリカではかなり注目を集めました」(遠藤さん)
裁判での争点は、レース用義足という道具を使うパラアスリートが、健常者と同じ条件の競技を行うことは妥当なのかどうかということだった。だが、当時のアメリカでの世論は「頑張っているパラアスリートがいるから、ひとりくらいなら出してあげよう」という、ピストリウス選手に好意的なものだったという。
しかし、多くの人がパラアスリートの実力を目の当たりにし、さらにパラアスリート全般の記録が向上した現在では、逆に「レース用義足で走るのは有利になるからずるい」という認識が広まりつつある印象を受ける。遠藤さんも「結局、違うスポーツ、違う競技なんだと思います」と語る。もし違う競技だとしても、同じ距離を健常者よりもパラアスリートが速く走る。パラアスリートの方がより遠くまで飛ぶ。このことのインパクトは決して小さなものではない。
「陸上を知らない人でも短距離走のウサイン・ボルト選手を知っていますよね。そういった、みんなが注目するような花形のスポーツにおいて義足のアスリートが勝つことで、パラダイムシフトが起きるんじゃないかと期待しています」(遠藤さん)
そして、そんなパラアスリートが注目を集めることで、障害がある人や義足に対して人々が抱くイメージも少しずつ変わっていくはずだというのだ。
「メガネが分かりやすい例です。目が悪い人はメガネという道具を掛けているけど、今の世の中の人はそれを義足のような道具とは捉えていないですよね。それって、目をテクノロジーでアップデートしたと言えると思うんです。そういう現象が、たぶん身体の他の部分でも起こっていくと思います」
私たちはテクノロジーが生み出したものを身につけたり、身体に埋め込んだりすることで、身体の能力を補っている。それは目におけるメガネしかり、歯におけるインプラントしかりだ。さらに視点を変えれば、自転車や自動車も人間のモビリティを拡張するための擬似的な身体であるともいえる。
今はまだ、義足や義手はどうしても外見的に目立つため、違和感を抱く人も多くいる。しかし、より自然な動きや見た目の義足や義手が出てきたら、人々の見る目は変わるはずだ。
目指す目標のためには技術も人も予算も足りない
実のところ、遠藤さん自身は、Xiborgという会社をビジネスとして大きくしようとは考えていない。レース用義足にしろサイボーグ義足にしろ、あくまでも遠藤さん自身の好奇心から始まったものだからだ。
そのためXiborgも非常に小さな組織だ。スタッフは遠藤さんや為末さんのほか、アルバイトも含めて6名しかいない。そして、義足の開発を担当するエンジニアも遠藤さんひとりだ。ただし、遠藤さん自身はロボット工学とバイオメカニクス(生体力学)が専門のため、ひとりですべての開発を行えるわけではない。
「レース用義足を設計する際に、カーボンファイバーは複合材なので、計算が難しいんですよ。場所によって少しずつ厚みが違うので、どういう配分でカーボンファイバーを入れていくか考えないといけない。けど、僕は正直それに関しては専門外です。協力会社の東レカーボンマジックさんにお願いしています」(遠藤さん)
また、パラアスリートが義足を装着するには、義肢装具士の力が必要だ。義肢装具士は国家資格で、義肢を装着するためのソケットという部品を製作し、一人ひとりの患者・障害者にフィットするように調整・適合させる役割を担う。その作業は職人的なもので、さまざまなノウハウの塊となっており、おいそれと手が出せる領域ではない。
レース用義足は、こうした多くの技術と協力のもとに作られているが、目指す目標にはまだまだ足りないという。もっと開発ペースを上げたい、もっとデータを活用したいのだという。
「開発を進めれば進めるほど、あらゆるところで、まだ僕が知らないことがいっぱいあると感じます。AIのプロジェクトも手掛けていますが、今のところ使い道は漠然としています。そこに例えばAIのプロフェッショナルがいたら、もっと有効に生かせるところが出てくるんじゃないかと思います」
Xiborgでは現在、積極的にエンジニアを募集しているわけではない。しかし、優秀な人がいれば、すぐにでも手伝ってほしいそうだ。
「僕が良いなと思うのは“万能な人”ですね。ひとつの専門性を持ちながらも、いろいろなことができる人。僕はバイオメカニクスや機械設計をやりながら、Webサイトの制作・運営もやっているし、サーバ管理もやっているし、デザインもします」
“万能な人”はそんなに簡単に存在するわけではないが、その考え方の重要性を遠藤さんはこう語る。
「ロボット開発って、広い領域で何でもやらないといけないんです。プログラミングも機構設計も電子回路も。だから、結果として万能な人が多いです。ただ『英語が全然しゃべれない』みたいに、どこか偏ることもあるんですけれど(笑)。人材としては僕はそちらの方がすごく好きですね」
遠藤さん自身の興味・好奇心を満たすためにスタートしたXiborgは、働くエンジニアにも自由に好きなことをやってほしいという。そうやって楽しめないと長続きしないし、なにより遠藤さん自身も「飽きること」を恐れている。そして、「なるべく楽しい仕事だけをやろうと思っています」と、モチベーションの大切さを強く語った。
レース用義足は「目立つこと」が、サイボーグ義足は「目立たなくすること」が目標
レース用の義足は、短距離や跳躍など、それぞれの競技に特化しており、それによって競技ごとに最適な運動能力を得られる。また、機能が絞られることで圧倒的に軽くすることができる。その一方で、競技以外の日常生活においては、「競技に特化していること」「機能が絞られていること」がデメリットとなり、非常に使いづらいものとなってしまう。そして何より、レース用義足は非常に目立つ。
「やっぱり今は、義足を見せるだけでぎょっとされます。みんな見慣れていない。ファッションショーのように、義足を見せるという行為がイベントとして成り立っているという、不思議な時期なんですよね。でも慣れてくると、義足を見てもそんなに気にならなくなると思うんですよ」
義足を人々が見慣れる世界が来れば解決されるという簡単な問題でもない。
「人混みのなかで階段を一歩ずつしか上れない人に対して、どうしても目が行ってしまうじゃないですか。歩く人の流れも止まってしまいます。身体能力が他の人と違うことによってペースを乱すのが『迷惑がられる』ことにつながる。我々の社会は、階段にしても、エスカレーターにしても、二足歩行が中心となってデザインされていることが多いんです。だから、義足の人は、そこで不自由を強いられています」
そこで必要なのが、日常のなかで目立たず、より自然に利用できる「サイボーグ義足」だ。Xiborgではレース用義足と並行して、サイボーグ義足も開発している。すでに設計は終えており、今年の春をめどに新しいプロトタイプが完成予定となっている。
シンプルで動力源のないレース用義足とは異なり、サイボーグ義足は電気とモーターで動き、また高度な制御技術も必要とする。
「モーターを使うことで、ものすごく小さく、軽く作るというコンセプトです。モーターは大きければ大きいほどトルクが出るけど、効率が悪くなるんですよ。電気モーターが一番パフォーマンスを発揮できるサイズというのがあるので、それを使いたかった。できるだけシンプルに作りたいと考えました。装着した人が歩く動作をすると、膝のような動きをする。義足を意識しなくても、きちんと歩けるような構造になっている。歩いている人が義足をつけていることを忘れるくらいのものにしたいですね」
遠藤さんは、プロトタイプが完成したら、できるだけ多くの人に試してもらうという。そして、なるべく早くサイボーグ義足を商品化する予定だ。
「価格は数百万円になると思います。だから、あんまり数は出ないと思いますし、それで事業が成り立つかと聞かれると、絶対に成り立たないなとは思います。でも、企業としての短期的な目標はパラリンピックですが、長期的な目標は『身体がテクノロジーで進化すること』なんです」
つまり、遠藤さん自身の「人間の身体を知りたい」という好奇心がXiborgの根本にあり、レース用義足もサイボーグ義足も、そのための研究のひとつというわけだ。そして、その研究の行きつく先は「全身を交換可能なサイボーグ」の開発である。例えるならば、マンガの『攻殻機動隊』のような世界観だ。『攻殻機動隊』の世界では義手義足のみならず、脳以外のすべての身体が機械化可能になっているが、一方で生身の身体でいることも尊重されるという多様な価値観が認められている。
「障害者に対して『思いやりを持とう』ってよく言うじゃないですか。それって、どこか見下しているようなニュアンスがあるように感じます。でも、技術が進んで障害を補完できる世界が実現したら、多様な人が障害の有無とは関係なく、本当に自分の幸せを追求できる人生を暮らしていく社会になるはずです」
例えば、パラアスリートが陸上競技などの花形スポーツだけではなく、さまざまなジャンルでレベルの高い競技を行うことが当たり前になったら、障害者も健常者もまったく区別されることなく日常生活を営む社会、個人それぞれの価値を受け止められる社会が来るかもしれない。その社会こそが、障害を越えた価値の多様性が認められる社会であり、遠藤さんが本当に目指しているものだ。
そして、そうした社会の到来は、きっとすぐそばまで来ているはずだ。
執筆者プロフィール
青山 祐輔(あおやま・ゆうすけ)
ITジャーナリスト。インプレスにて「Impress Watch」「月刊iNTERNET magazine」などの編集記者、リクルート「R25」のウェブディレクターなどを経て独立。現在は主に、AIによる社会のデジタルトランスフォーメーションと、メイカームーブメントによる企業のイノベーションの現場を追いかけている。
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