愛よりも孤独が足らない

沖縄

初めて一人暮らしをしたのは、高校3年生の初夏だった。

6月、実家が沖縄から神奈川に転居するタイミングで高校3年生だった私だけ、転校するにも退学するにも微妙なこの半年ちょっとの期間を、家族と離れ沖縄で暮らすことになった。

学校の近くにアパートを借りて、卒業まで一人暮らしの予定だったのだけど、中学時代の同級生が同居人としてすぐ一緒に暮らすようになった。といっても彼女はほとんどうちには帰ってこなくて、彼氏の家に入り浸っていたので、やはり一人暮らしのようなものだった。彼女もまた彼女なりの理由で、実家を出て自分の生活を選択した人だった。

沖縄に私を残した家族の心配を他所に、私はそれなりに青春を謳歌した。青春といってもキラキラした要素はまったくなく、学校をサボって家に引きこもっては、歌をうたい、詩を書き、本を読んで、拾った仔猫と戯れ、3万ちょっとの1Kで年端に似合わぬ諦念を持て余していた。

一人のアパートで大きな台風が直撃して停電する中、打ち付ける暴風雨の音だけが支配する暗闇で発狂しそうになったり、彼氏に殴られて血だらけで帰ってきては大粒の涙を流しながらトイレで手首を切ったりする同居人を「フランス映画の女優みたいだな」と思いながら眺めた記憶なんかが残っている。

一人なんだけど他人の人生がすぐそこにありもする、そんな一人暮らし始めだった。

 

福岡

高校を卒業すると、姉の住んでいた福岡の1Kのアパートへ引っ越した。二人暮らしを始めたけれど、半年ほどすると「もう一人で暮らせるでしょ。私ちょっと神戸にいってくるね」と言い残して姉は去り、一人暮らしになった。

お金は一人で暮らせる程度に稼いではいたけれど、料理も洗濯も掃除も、何もできなかったから、チョコチップメロンパンと紙パックのいちごミルクばかり口にしていた。

そのうち中学時代の友人が合流して、同居を始めた。

料理の好きな彼女はよく美味しいものを作ってくれた。私はと言えば、気を利かせて洗濯をしても色物と白シャツを一緒に洗って彼女に怒られ、料理しようとして「ホットケーキ失敗する人はじめて見た」と呆れられるなど、今考えれば生活力皆無のダメ人間である。そんな私を彼女はいつでも甘やかした。

彼女は誰にでもフレンドリーでよく人を連れてきたけど、私は人と会うことを嫌った。また私は歌が好きでよく唐突に歌い出し、それについてうるさいと彼女によく叱られた。いい感じの人と失敗しては「もう死ぬ」なんて軽々しく口にしたり、そんな若く軽率で無秩序な共同生活の中でうまくやっていくために、私たちは二人の間にルールを作った。

  • 勝手に家に人を呼ばない
  • 夜中に歌い出さない
  • ここでは、死なない

彼女との共同生活も数ヶ月で解散し、再度の一人暮らしを挟んたのち、遠距離恋愛中だった恋人が福岡にきて、同棲を始めた。

 

神奈川

福岡には結局7年近く住んだ。福岡を出た理由は明快で、恋した人を追って関東にいくことにしたからであった。その人は、のちの夫になる人である。

福岡から実家のある神奈川に出てきて、兄が彼女と暮らすために借りた3LDKのマンションに転がり込んだ。その部屋を借りてすぐ、兄は彼女と破局していた。

無駄に広いだけで掃除もされていない部屋たちを少しずつ綺麗にした。その頃には私も少しは生活力がついていて、掃除も料理も洗濯も、多少はできるようになっていた。

広い家で兄と私の二人暮らしに、兄の彼女、私の恋人、広島から出てきた従兄弟、飲み屋で知り合った終電を逃したあんちゃんなど、様々な登場人物を交えた生活を送ったのち、定期借家期限により解散となった同居生活から、また一人暮らしに戻った。

 

実家や兄のマンションからもほど近いその1Kのマンションが、これまででもっとも一人暮らしらしい一人暮らしだったと思う。

勤め先から徒歩3分ほどのところで、出社15分前に起きればギリ間に合う、なんて考えてるところから私のズボラはこの年代(二十代後半)になっても相変わらずである。

仕事をして、自分で稼いで、自分の部屋をもって、自分のお世話もできるようになった。ここまでくるのに10年近くかかっているけど、何もできなかった人間も10年あれば随分成長するものだと思う。

2年ほど神奈川での一人暮らしをしたのち、のちに夫となる当時恋人であった彼の転職に合わせて、京都に移り住み、そうして私たちは結婚した。

 

一人暮らしの思い出を書こうと書き出したけれど、想像以上に一人で暮らした時間よりも、誰かと暮らした時間のほうが長い。

どんなに一人で生きているようなうらぶれた気持ちでいる日にも、私の人生の近くには誰かがいて、 一緒に暮らしてくれたり、なにか美味しいものを食べさせてくれたり、励ましてくれたり、支えてくれたり、している。

今だって、どこまでいっても侘しさみたいなものを感じることはあるけれど、少し前に居間で寝そべる夫を横目に「もう私は一人暮らしをすることがないのか」とふと気づいて、非常に驚いたことがある。*1

自分はもっと孤独な人間だと思っていたけれど、こうして振り返ると私の生活には圧倒的に、愛よりも孤独が足らないと思う。

ヴァージニア・ウルフも「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」 と言っているし、そういう期間がこれまで少なかったのをもったいなくも思うし、なんならこれからそういう時間を取って大事にしたいとも思う。

一人暮らしをするというのは、そんな自分を見つめ醸成する期間であり、時間なんだと思う。

 

 

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

 

 

*1:離婚、単身赴任、死別、などなど勿論ゼロではないと思うけど。

Copyright (C) 2011 copyrights. 本トのこと All Rights Reserved.