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2018-03-14

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・だいたいのことは、それはそれでいいのである。
 ただ、ぼく自身、それなりに長く生きているのだけれど、
 じぶんとしては「真剣になるのが遅すぎた」
 という気持ちはちょっとある。
 早い時期にちゃんと真剣になることをおぼえていたら、
 もっとなにかできていたかもしれない。
 ぼくが真剣になれるようになったのは、
 やっぱり「ほぼ日」をはじめてからだったもんなぁ。
 それまでが真剣じゃなかったのかと言われたら、
 「まぁ、そういう気がする」と答えるしかない。
 しかし、ほんとうの真剣じゃなかったとしても、
 それなりにちゃんとやっていたとは思う。
 でも、やっぱり真剣になるということはできてなかった。

 だけど、後悔はしていない。
 真剣になれなくて、できることが少なかったとしても、
 それはそれでいいと思っている。
 そのおかげで、いまごろになっても、
 あれがやりたいこれが知りたいと、
 つぎつぎに思っていられるからね。

 ぼくは、ちょっと斜に構えてふらふらとしていたけれど、
 若いうちからものごとと真剣に向かい合ってきた人は、
 真剣になる方法を身につけている。
 実はね、「真剣になる」ってことは、
 愛するとか、学ぶとかと同じように、練習のいることだ。
 ちゃんと真剣になれると、逆に力を抜くこともできるし、
 ほんとうに休んだり遊んだりもできるのではないか。
 そんな気もする‥‥が、ぼくは後悔はしない。
 ただ、ぼくより年下で、これからの時間が長い人は、
 「真剣になる」ことをおぼえておいたほうがいい。

 できるのかできないのか、ぎりぎりのトライを、
 やるんだよ、戻れないんだよ、というところまでやる。
 目をつぶらないで、怖いところに突っ込んでいく。
 命知らずとしてでなく、生きたいからこそ真剣を持つ。
 ま、そんなふうに書くとおおげさなんだけどさ、
 「真剣になる」と、目の前が拓けるんだよ、ほんとに。
 ぼくは、そのことを年寄りになってから知った。
 それはそれでいいのではあるけれどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
後悔してないとしつこく言い過ぎだね、ほんとなんだけど。


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