しかも二酸化炭素を人間の手で大気中から回収できるかといえば、まずできない。一部は森林が固定するし、大気中の分圧が増えれば海に溶け込む分も増える。それでも、現状では増えつつあるわけで、これは無策でいると何が起きるか分からない。
発電のために火力を使えば、二酸化炭素を放出することになる。いっぽう原子力発電は二酸化炭素は出ないが、後に核廃棄物が残る。
少しぐらい大気中に放出しても、現状では大した危険があるわけではない。ただし、回収が不可能でこのまま増えると環境激変が起きる可能性を否定できない二酸化炭素。大変危険だが人間が管理できる量で、かつ10万年経てば絶対確実に消えることが分かっている核廃棄物。どちらが人類の長期的な生存と繁栄にとって、より危険なのだろうか。
はっきり書こう。今の私には分からない。
「そんなにエネルギーを使わなければいい」、あるいは「太陽光がある」と考える方もいるだろう。しかし、エネルギーを使わないということは、文明の退行を意味する、と私は考える。もちろん、省エネ技術も進歩している。が、省エネで得られた余裕は、より高次の文化・文明の達成に使うべきだろう。
太陽光発電は発電方式のひとつであって、原子力や火力、水力と同様に利点も欠点もある。それだけに依存できるものではなく、むしろ他方式と補完関係にあるのだ。
科学的に、定量的に、考え続けることの大事さ
このように考えて、私は震災から7年後の今も、ぐるぐると思考を巡らし、迷っている。何かを見落としていないか。日常的な感覚を信用して、自然の有り様を間違って理解していないか。ちょっと目には分かりやすい言説にのって、かえって社会を退歩させ、破壊する思潮や運動に加担していないか。
「そういうお前は、原子力をどう考えているのか」という問いならば、今のところ私は、今後100年程度は日本社会にとって原子力発電は必要ではないかと考えている。
これには色々な理由がある。エネルギー安全保障的観点もあるし、今後の廃炉に必要な原子力技術者を定常的に育成するという観点もある。
100年というのは、おそらくその間の技術開発で原子力発電以上に利便性が高く危険性の小さい発電手法が実用化する、と考えているからだ。太陽光発電は候補の一つだし、100年もあれば核融合発電も可能になるだろう。それまでは、原子力には他に代替できない利便性があり、「10万年の危険性」に注意しつつ使うしかなかろうと見ている。
が、もちろん私が絶対正しいという保証なんかない。
あなたが「原発の存続に反対だ」というならば、その考えを私は尊重する。
科学的な視点で原子力エネルギーの未来と事実に迫る、
興味深いこの記事をお読み頂けている皆様、
日経BPのxTECH(クロステック)サイト内に、
ぜひ参考にして頂きたい連載が始まりました。
桜井淳が斬る、日本の原子力産業
http://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00195/
2018年3月17日5時までは、会員登録せずとも、お読み頂けるようです。
私は日本経済新聞社、並びに、日経BP社の利害関係者ではありませんが、
東日本震災以前より、福島に生まれ育ち、現在も福島に住み続ける一人として、
原子力というものについて、より深く考えてくださる方々が、
一人でも増えてくれることを、切に願っております。
ぜひ上記の記事も、お目通し頂ければ幸いと考えます。(2018/03/14 18:37)