情報はつねに「乗り換え/持ち替え/着替え」が起こっている
神田桂一・菊池良(以下、神田、菊池) よろしくお願いします(やや緊張の面持ちで)。今日は松岡さんに相談に伺いました。
松岡正剛(以下、松岡) 本を読ませていただきましたけど、完璧ですね。第2弾(『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら 青のりMAX』)の出来がまた良かった。これは珍しい。
神田・菊池 あ、ありがとうございます!
松岡 評判はどうなの?
神田 概ねいい評価をいただいています。ちょっと炎上したのが一件ありましたけど……。
菊池 あまり受けを意識せずに、知名度も気にしないでお互い好きな作家を選んだので、2冊累計で15万部も売れて、ちょっと信じられない感じです。
松岡 人選の混ぜ具合も良かったんじゃない?
神田 そうかもしれないです。「カップ焼きそば」っていうネタが良かったともよく言われるんですけど、それも全く戦略的ではなくて、適当に決めたんです。その前に村上春樹の文体模写文を書きすぎてて、すごい疲れてたので。
松岡 何でそんな春樹ばっかりやってたの?(笑) よく飽きなかったね。
神田 村上春樹は書いてて楽しいんですよ。
松岡 何となく分かりますけどね。イジりがいがあるというか。この本でも代表的な電話の場面を入れてたけど、バレバレだよね(笑)。だから、ああ、選んだなって感じでしたけど、ぼくは春樹は飽きるのよ。普通は太宰なんかが取り上げやすいんじゃないですか?
菊池 企画を出版社に持ち込むときのサンプル原稿で、ぼくは太宰を書きました。
松岡 太宰本人のテクニックはほんとに大したもんですね。『斜陽』の冒頭の、「お母さま、髪が」とかね(※)。一発でパッとその世界に入っていけるでしょう。
※「斜陽」冒頭:朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、/「あ」/と幽(かす)かな叫び声をお挙げになった。/「髪の毛?」/スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。/「いいえ」/…
神田 松岡さんは、小説を読んでいて元ネタはすぐ分かるものなんですか?
松岡 いや、最初はわからないですよ。だけど、何かが言葉を跨いでる時には、翻訳とか翻案とかエディティングとかトレースといったことが起こってるわけです。だからネタがわかるというよりも、「これは何かあるな」っていう感じがまずするわけです。
神田 なるほど。
松岡 漫才でも落語でも、あるなって分かる時があるでしょ。あるいは野球で言えばイチローは圧倒的にオリジナルだと思うけど、この人は良いバッティングだけど何かその前があるなとか。そういうのが言葉上でも分かるようになるんです。
神田 それは、やっぱり読書の積み重ねによるものなんでしょうか?
松岡 それもありますが、異文化との接触ということが大きいですね。情報というものは常にメディアを「乗り換え/持ち替え/着替え」て変わっていくというのがぼくの見方で、それを編集の基礎にしているわけですが、そういった構造を常々見るようにしているんです。
神田 言葉の乗り換えといえば、ちょうど今日、台湾版の「もしそば」が発売されたらしいんです。らしいというのは、版元からは何の連絡もなくて、台湾の友だちから教えてもらったからなんですけど。
松岡 海賊版なんじゃない? そもそも版元(宝島社)が海賊みたいな名前だけど(笑)。でも、よくこれを台湾語に訳したね。元ネタの意味がわからないと訳せないはずだから。
神田 そうなんです。台湾語読めないので知る由もないんですけど、どう訳したかはぼくも気になります。
松岡 ぼくにも中国語や韓国語に訳された本がありますが、最初の頃は翻訳者が直接会いに来て、「ここはどういうことですか?」って質問してきました。彼らにとってどの辺が訳しにくいのかがよくわかって、面白かったですね。
神田 ぼくらの本も韓国版の翻訳が進んでるらしくて、楽しみにしています。
書き手によって異なる漢字、片仮名、方言の使い方
菊池 松岡さんは、誰かの文体を真似た経験はありますか?
松岡 『遊』という雑誌をつくっていた頃(1971~82年)、例えば、農本主義を唱えて『自然真営道』という本を書いた安藤昌益を小特集したことがあったんですが(1973年『遊』5号)、その場合、見出しをつけたりコラムを書いたりするにしろ、エディターとして、安藤昌益の思想を真似ながら、今の言葉では何になるかということはよく考えていました。
神田 文体というより、その人の考え方そのものをインストールするということですね。
松岡 当然そうなってくるよね。そこが2人とも上手い。真似というのは何の作業にとっても根本だし、まして編集にとっては、一番大事なことです。世阿弥が「物学」と書いて「ものまね」と読ませているんですけど(『風姿花伝』)、彼らがどういう書き方をしてるか、誰がどういう文字を使ったかということを含めて真似ます。安藤昌益の場合は、例えば「天地」を「転定(てんち)」と書いています。
菊池 ぼくらも、どういう漢字を使ってるかはかなりチェックしました。
松岡 この本ではマンガにしてるけど、漱石なんて無茶苦茶な漢字を使うでしょ。「~のせい」の「せい」というのも「所為」と書いたり。
菊池 はい。あと、近代の作家は、特に片仮名の使い方が今とぜんぜん違うんですよね。そこをつかむのが、結構苦労しました。
松岡 音引きを「ヰ」と書いて、「ドストエフスキヰ」と書いたりね。でも昔はそうやって書き分けてたものが、今だんだん単純になってきちゃったんです。
神田 そうですね。ぼくが気づいたのは、結構関西弁で書いてる作家が多いことです。「もしそば」では町田康と川上未映子、野坂昭如を取り上げたんですけど、ぼくは大阪出身なので得をしたというか、書き易かったです。
松岡 関西弁も、藤本義一とか小松左京、富岡多恵子とか田辺聖子までくると、ものすごくなりますよ。でも一番は、近松が書いた浄瑠璃。あの関西弁はやっぱすごいですよ。当時は、浄瑠璃自体が誰もやったことないニューメディアで、それに乗せた関西弁で誰も超えられないレベルまで到達したんですから。いずれそっちも挑戦してほしいですね。
神田 はい、勉強します。
菊池 方言は関西以外のもありますからね。
松岡 例えば、大原富枝という高知出身の素晴しい女流作家がいます。この人の作品に、江戸時代の野中兼山の娘を取り上げた『婉という女』という小説があるんですが、竜馬の土佐弁とは違う、独特の土佐弁が凄まじい。40年間幽閉されて暮らした婉の胸の潰れるような痛ましさは、方言ではないと書けなかったでしょうね。
後編につづく
ただいま特別掲載中の「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」も併せてお楽しみください
構成:小林英治