蹴球探訪
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【格闘技】Kzy変貌 肉体改造で鮮やかイメチェン2018年3月14日 紙面から
ドラゴンゲートで今、最も注目されているのが、デビュー12年目を迎える31歳のKzy(ケージー)だ。デビュー当時は軽いノリのラッパーキャラクターだったが、昨年、肉体改造に成功。試合内容も明るいムードメーカーから一変、絞った肉体をフルにいかしたキレのあるスタイルへと変貌した。戦いの前線に飛び出し、存在感を際立たせている彼を直撃してみた。 (聞き手・仲田美歩) -プロレスラーになろうと思ったのは Kzy「プロレスにハマったのは小学生のころ。当時は新日本プロレスなら武藤敬司選手のかっこよさにしびれ、全日本プロレスだと三沢光晴選手に憧れました。ジュニアの選手だと獣神サンダーライガーさんが好きでしたね。ちょうどそのころ、新日本のリングにも上がっていた闘龍門(ドラゴンゲートの前身)の存在を知ったんです。選手たちは体がそんなに大きくないのに、スピーディーで派手な動きをしていて、一気にひきつけられました。高3で進路を決めるとき、どうせなら憧れていることにチャレンジしてみようと決断。ドラゴンゲートの門をたたきました」 -スポーツ歴は 「一番長く続けていたのがバスケットボールで9年。北海道出身なのでスキーやスノーボードなど、スノースポーツはこなせます」 -デビュー当時はラッパースタイル。ダンスもプロ級ですが 「あくまで趣味の世界です。遊び程度。特にプロを目指していたわけではないです」 -メキシコ修行も体験した 「初めての海外がこのメキシコ修行だったんですよ。選手の家に3カ月居候してました。夜中に銃声が聞こえたり、スーパーにマシンガンを携えた警備員が立っていたり…。刺激的な毎日でしたね。幸い、ぼく自身は怖い目には遭わずにすみました。メキシコに行くと必ずおなかをこわすって言われてましたけど、タコスは大丈夫でした。ただ屋台のハンバーガーにあたって、まる1日寝込んだことはあります。機会があれば、またメキシコに行きたいって思っていますよ」 -好きな食べ物は 「そばが好きです。そばならこだわらず何でも好きで、今日も水道橋のゆで太郎に寄ってきました(笑)。日本酒やビールのあてにも、そばは最高ですね」(見かけと違って日本男児なんですね) -出身地の江別市のご自慢は 「札幌のベッドタウン的な街。ほどよく自然もあって酪農大学もあるし、いい所。レンガと小麦が有名です。『えべチュン』というゆるキャラがいて、ぼくは飼育係のメンバーのひとりなんですよ」 -好きな女性のタイプは 「ノリのいい明るい女性。ちょっと気が強いくらいがいいかな。外見的には特にこだわらず、これまでつきあった人もタイプはバラバラ。フィーリングが合えばOKです。今31歳ですけど、特に結婚願望はないですね。まだ遊びたい!」 -ヒールとベビーフェース。どっちがやりやすい 「ぼくのキャラクターがガッチリとハマったのはヒールかな~。好き勝手できたし、特に気を使わなくていいし。あの経験があったので今の自分がある」 -プロレスラーになっていなかったら 「音楽関係に行ってたかも。昔は電子オルガンを習っていたんですよ。あとは飲み屋とかクラブのバーテンダーとか…」 -休みの日の息抜きは 「クラブに行ったりとか。大阪あたりに出没してます」 -弱点を教えてください 「オフは意外と静かなんですねとよく言われます。自分からガンガンいくタイプではないので…」(確かに! 全然チャラくない。もしかして人見知り?) -昨年から肉体改造をしたのは 「ヒールをやっていて、自分の中でポジションを勝手に決めていたんです。自分はこの位置がベストだと思い込んでいた。ただ同じユニットで同期のYAMATOや同郷のB×Bハルク選手が奮起して光を浴びている姿に感化され、だんだんと、このままじゃダメなんじゃないかと思い始めたんですよ。ちょうどそのタイミングで戸沢陽選手が米国のWWEに行くことが決まり、『何かを変えないと上にあがっていけない』と改めて気付かされました。そこで、まず最初に体を変えようと取り掛かったんです」 -具体的にどんな減量法を 「まずは徹底した食事療法でしたね。ぼくはお酒が好きなんですけど、アルコールも一切絶ちました。トレーニングはK-ness(クネス)選手にお願いして、初心に戻り、いちから教え込んでもらいました。約3カ月かかりましたね。今はちょっとだけアルコールを解禁しました(笑)」 -試合内容も変わりました 「軽くなった分、動きやすくなったし、以前だと一歩出なかった場面で積極的に前へ出るようになった。気持ちの面でも変わりました」 -自信につながったんですね。肉体改造は内面も変わって大成功ですね!
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