ボルネオ島の先住民たちと人生をともにした二人の欧米人がいた。ひとりはスイス人の環境保護活動家。腰巻きを身に着け、吹き矢で狩りをする術を会得した彼は、ジャングルで姿を消した。もうひとりは米国の美術商。彼はダヤク族の芸術を求めて森の奥深くへ入り込んでいった。
作家のカール・ホフマン氏は新著『ボルネオ最後の野生の男(The Last Wild Men Of Borneo)』の中で、この二人の男性と、彼らのボルネオに対する執着について書いている。ホフマン氏に話を聞いた。
――『ボルネオ最後の野生の男』の主役である、スイスの環境保護活動家ブルーノ・マンサー氏と、米国の美術商マイケル・パーミエリ氏について教えてください。
ブルーノは1954年生まれで、戦後の豊かな時代に典型的なベビーブーマーとして育ちました。スイスでは成人男性はみな兵役に就くのですが、ブルーノはこれを拒否したことにより裁判で実刑判決を受け、4カ月間投獄されました。刑期を終えた彼はアルプス高地に向かい、牛を育ててチーズを作る仕事をした後、羊飼いになります。それはまるで修行のような生活です。スイスの山の上で、自然の壮大さと厳しさ、そして孤独に彩られた日々を送るのです。
すべてを自給自足したい
しかしブルーノはこれに満足しませんでした。彼は商業文化との関わりを完全に絶ち、金銭を使わずにすべてを自給自足したいと考えたのです。彼はタイへ飛び、半年間東南アジアを放浪した後、ボルネオ島のムル洞窟に向かう英国の探検隊にこっそり忍び込みます。そこから彼はプナン族を探して、未開の奥地を目指すのです。(参考記事:「27年一度も人と接触せず、ある森の「隠者」の真相」)
マイケルはブルーノより少し年長で、ベトナム戦争の反対運動が始まる頃には成人していました。サーフィンが好きで、ブルーノのようなインテリタイプではありませんでした。1964年に徴兵の知らせを受けますが、これを無視して米国からメキシコに向かい、そこから貨物船で大西洋を渡りました。ヨーロッパで10年間過ごした後、インドネシアのバリ島とボルネオ島に向かいます。
マイケルとブルーノはまったく違うタイプの人間ですが、一方で非常に似ているところもあります。マイケルの目的が、ブルーノのそれよりも金銭的なものだったことは確かですが、彼は「ボルネオに行って金持ちになるぞ!」と思っていたわけではありません。彼は部族の人々と、彼らの不思議な世界に強く惹かれたのです。彼が望んでいたのはそれを目撃すること、そして冒険をすることでした。