川村元気という海賊による略奪。奪われたのは、藤子・F・不二雄『ドラえもん』、ロバート・ルイス・スティーヴンソン『宝島』という児童文学が誇る偉大なフォーマットだ。今作のベースにスティーヴンソンの『宝島』が置かれる必然性がまったく理解できなかった。
- 出版社/メーカー: 小学館
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川村元気を戦犯に指名してしまうのはフェアではないかもしれない。わたしたちの”感動したがり”が、あらゆるエンターテインメントを薄っぺらいものにしてしまっていて、その余波が『ドラえもん』にも及んでいるのだ。『STAND BY ME ドラえもん』(2014)はその最たる例だろう。
大人は絶対に間違えないの?
僕たちが大事にしたいと思うことはそんなに間違っているの?
当たり前だろ・・・だって僕はパパの息子なんだから
今作においても、こういった如何にもな台詞にどうしても違和感を覚えてしまう。ここに挙げた以外にも、所謂メッセージ的なものが飛び交い、混線し、そのすべてを味気ないものにしている。そして、感動的な台詞に辿り着くためにお膳立てされた物語は、どうしても貧しい。そんな言葉などなくとも、のび太たちの太古の世界や遥か彼方の宇宙での血沸き肉躍る冒険での決断やアクションは、友情や親子の絆の大切さをわたしたちに伝えてきたはず。
今作は歴代興行収入を更新する勢いの大ヒットを飛ばしているらしい。その一因として星野源による主題歌『ドラえもん』が貢献しているそうだ。たしかにいい曲で、劇場で子どもたちがサビを一緒に口ずさんでいる光景には思わず涙腺を刺激させられた。しかし、やはりこの曲も、わたしたちの”感動したがり”が作り出してしまったようなところがあって、『ドラえもん』という作品の一要素でしかない”感動”がふんだんに拾い上げられている。
機械だって 涙を流して 震えながら 勇気を叫ぶだろう
背中越しの過去と 輝く未来を 赤い血の流れる今で 繋ごう
何者でなくても世界を救おう
う、うるせぇ。ここで、星野源の『ドラえもん』においても間奏でサンプリングされる『ぼくドラえもん』の歌詞を眺めてみよう。作詞は藤子不二雄だ。
あたまテカテカ さえてピカピカ
それがどうした ぼくドラえもん
みらいのせかいの ネコがたロボット
どんなもんだい ぼくドラえもん
キミョウ キテレツ マカフシギ
キソウテンガイ シシャゴニュウ
デマエ ジンソク ラクガキ ムヨウ
ドラえもん ドラえもん
ホンワカパッパ ホンワカパッパ
ドラえもん
そうこなくっちゃ!と震える筆致である。「それがどうした ぼくドラえもん」「ホンワカパッパ ホンワカパッパ ドラえもん」、こういったマインドが貫かれたドラえもん映画の新作が待たれる。