高校生がインタビューで「ぼくは学校は電車通です。だから…」と話していた。
文脈から考えて、このときの「電車通」という言葉の意味は、
「電車について詳しい」ということではなく、
「電車で学校に通っている」という意味だ。

このインタビューを聞いて、思い出した。
高校生だった頃、電車で通学している友だちは
「電車通」とは言わず、「汽車通」と言っていた。
電車で通っているにもかかわらず…。

汽車は小2の頃まで走っていたので、
(汽車がトンネルに入る前にうっかり窓を閉め忘れたら
車内に煙が入って大変だったのを思い出しますね。ご同輩以上のみなさん!)
汽車から電車に代わって(電気で車両を動かすというのは本当に驚きだった)から
当時10年近く経ってたはずだが
周囲の大人もふくめて「電車で通う」ことをみんな「汽車通」と呼んだ。
その言い方にだれも違和感を感じていないようだった。
だから、あれから40年ほど経った今、
インタビューで「電車通」ということばを聞いて、はっとしたのだ。
(おそらく今では「汽車通」という言葉は死語になっているのだろう。
「汽車通」がいつまで続いたのか気になるところだ。)

「言葉は常に保守的であるから、なかなか変わらない」
何かの本で読んだ記憶がある。

「汽車通」の他にも、「筆箱」がそうだ。
筆が入っていないにも関わらず、なぜか「筆箱」だ。
(今は「ペンケース」という言葉も併用されているようだが…)
残念ながら、筆箱の中に筆が入っていた時代を私は経験していない。
どの世代が「筆が入っている筆箱」を経験しているのだろう。
多少気になるところだ。

止まっている物体は外部から力が加わらなければ
ずっと止まっている(物理学でいうところの「慣性の法則」)ように
どうやら言葉にも「慣性の法則」が働くようだ。
まわりの状況が変わろうとも、
言葉自体にある種の力が加えられなければ、変わらないようである。

このことは、言葉そのもののレベルにとどまらず、
個人個人の信念にも同じような傾向がある。

前回の記事の中で述べたように、
私たちが「正しい」と思っていることは
状況が変わろうがなかなか変わることはないのだ。


教育に携わっている方々も例外ではない。
教育現場ではおそらく次のような信念のもと、
子どもたちに対する指導が行われているのではなかろうか。

「漢字を覚えるためには何度も何度も書かなくてはいけない」
「計算をマスターするためには何度も何度も解かなくてはいけない」
「算数の文章題は最初に式を立てる」
「わからないことは悪いことだ」
テストで悪い点を取ることは悪いことだ」
「ノートはきれいにとらなくてはいけない」
「「速さ」「割合」の問題は公式を覚えて、それにあてはめて解く」
「学校には必ず行かなくてはいけない」…


これらの指導に対して、かりに子どもたちが疑問を感じたとしても従わざるを得ない。
従わなければ、「反抗的な子ども」のレッテルが貼られ、問題児扱いされる。
そのことが予想されるため、子どもたちもよほどのことが無い限り、
影で愚痴を言い合うことはあっても、表だって口にすることはめったにない。

もちろんこれらの指導のもと、確実な学力が養成されるならば、何ら問題はない。
だが、個人塾を始めてからというもの、
一般に「正しい」と信じられている指導にふつふつと疑問が湧いてきた
のだ。

個人塾を始める前、私は中学入試専門の進学塾「日能研」で10年近く働いてきた。
そこでは「かなりできる子」たちに、
学校で教えられていることとはちがった、今振り返って考えると、
異次元ともいえる世界(ある意味、中学入試は高校入試よりも難しい)を教えていたので、
実際に子どもたちが学校でどのような内容をどのように教わっているか知らなかった。
だが、個人塾を立ち上げ、いわゆる「ふつうの子」を教え始めて、
最初はちょっとした違和感、時間が経つにつれて
具体的にどのような指導を受けているかが明確になるにつれて
はっきりとした疑問を感じるようになったのだ。

それからというもの、塾屋の立場で「本物の学力」をつけるためには
どうすればいいのか
ずっと考えてきた。

その結果、教育界を支配している「常識」のいくつかは
あきらかに学力アップの障壁になっている
と考えるようになり、
そのことをブログにも書いて訴えてきた。

「漢字を覚えるためには何度も何度も書かなくてはいけない」ことに対して、

 漢字が苦手な子どもたちへ
 漢字学習の落とし穴
 「論理」も学べる漢字学習法

「計算をマスターするためには何度も何度も解かなくてはいけない」ことに対して、

 本当は怖い計算ドリル(12個の記事からなるシリーズです)
 数イメージのメタモルフォーゼ ~算数の基礎・基本を問う!~
 不器用さが高みへと導く
 
「算数の文章題は最初に式を立てる」ことに対して、

 娘の日々の楽習 ~算数文章題~

「わからないことは悪いことだ」ことに対して、

 数学という名の恋人

「テストで悪い点を取ることは悪いことだ」ことに対して、

 よかったね、悪くて

「ノートはきれいにとらなくてはいけない」
ことに対して、

 カラフル・ノートは、危険信号!?

「「速さ」「割合」の問題は公式を覚えて、それにあてはめて解く」ことに対して、

 あのね、「速さの公式」なんか覚えちゃダメなんだよ!�
 あのね、「速さの公式」なんか覚えちゃダメなんだよ!�
 「速さの公式」の弊害 
 あのね、「割合の公式」なんか覚えちゃダメなんだよ!(その1)
 あのね、「割合の公式」なんか覚えちゃダメなんだよ!(その2)
 「割合」の理解度テスト ~「公式病」という病にかかっていませんか?~
 子どもたちは「割合」がいやなのではない。「割合の公式」がいやなのだ!

「学校には必ず行かなくてはいけない」ことに対して、

 「不登校」は問題行動なのか?

などの記事を書いてきた。

これからも教育現場にはびこる悪しき教育的「常識」に気づけば
どんどん書いていきたい。