戦後日本を代表する政治学者として名を轟かせ、今も多くの人に読み継がれている丸山眞男。しかし、丸山と戦後民主主義は、すでに高度経済成長に敗北していた。はたして、いま丸山を読む意味はあるのか? 『丸山眞男の敗北』の著者、伊東祐吏氏にお話を伺った。(聞き手・構成 / 芹沢一也)
丸山眞男と戦後民主主義
――本日は『丸山眞男の敗北』という刺激的なタイトルの本を出された伊東祐吏氏にお話をお伺いします。丸山といえば論者によってさまざまな像があります。伊東先生にとって丸山とはどのような人物ですか?
丸山は内部に狂気を抱えた人だと思います。
一般的には、理知的で厳格な学者というイメージですよね。戦後民主主義を代表する知識人ですから。もちろん、丸山が本当はそういう人ではなかったと言うつもりはありません。もともと、「自由」「平等」といった理念にすごく感激しちゃう性格ですし。
ただ、私が丸山を研究するなかで見えてきたのは、狂気を抱えた本性の丸山が、理性的な丸山を必死に操縦するイメージでした。鉄人28号をあやつる少年や、ガンダムに乗って戦うアムロのような姿が思い浮かびます。
――「狂気」、ですか? 一般的な丸山像とは対極にあるものですね。
狂気というのは、たとえば、戦前の右翼やファシズムのように、大義に心酔した者が漂わせる、ムンムンした熱気や情熱のことです。一触即発状態で、なにかの拍子でいつ暴発するか分からない。丸山の内部にあるのも、それです。
しかし、丸山は彼らと違って、それを爆発させるようなマネはしません。原油をただ燃やすのではなく、ガソリンに精製して、それで車を動かすように、狂気を民主主義を駆動させるエネルギーとするのです。
だから、丸山の右翼やファシズムに対する感情は、同族嫌悪とまでは言いませんが、「オレはこれだけ必死にコントロールしているのに、お前たちはいったい何なんだ」という想いがあったはずです。
――なるほど、丸山の言動の奥底には、コントロールされてはいるけれど、狂気としかいいようのない熱情があったと。
そうです。そして、丸山は自分の中の狂気との戦いで、血まみれになっている。私は、その実態と一般的なイメージとのギャップに驚きました。キリスト教の教会に荘厳なイメージを抱いている日本人が、よく実際にヨーロッパの教会に入ってみて、血まみれのイエス像にギョッとするような感じでしょうか。
そうした丸山の姿に、周囲の人たちの一部も、気づいていたようです。たとえば、鶴見俊輔も丸山の狂気を指摘していますし、丸山自身も、自分が嫌いなワーグナーの音楽に感じられる狂気や熱気が自分の中に存在している、とメモに書きつけています。
――そんな丸山が、狂気と形容しうるほどの熱情をもって追求した戦後民主主義とは何だったのでしょうか?
戦後民主主義については、衰退する時期から見たほうが分かりやすいと思います。
戦後民主主義という言葉は、一九六〇年前後に生まれました。ちょうど、終戦直後からの民主主義運動が下火になった時期です。要するに、かつて盛んだった民主主義的な思想やムーブメントが、後から振り返るかたちで「戦後民主主義」と名づけられました。
衰退の要因は、経済成長です。一九五〇年代後半から日本の経済は上向き、一九六四年の東京オリンピックに湧き、高度経済成長へと突入していきます。でも、人々の関心が経済や私生活に向かうと、当然ながら、政治や思想なんてどうでもよくなる。
だから、裏を返せば、「戦後民主主義」というのは、終戦直後の貧しい経済状況と戦争の傷跡がなまなましく残るなかで、人々が本気で世の中を変え、民主主義国家として出直すんだという情熱を伴った思想だと言うことができると思います。
――たんなる制度としての民主主義ではなく、戦争による焼け跡のなかで、新しい日本を立ち上げるという理念に裏打ちされた思想だったわけですね。
そうです。そもそもデモクラシーとは、人民が政治に参加することですから、選挙がおこなわれていれば、民主政は保たれていると言えます。しかし丸山眞男は、民主主義は「理念と運動と制度との三位一体」だと言いました。つまり、制度だけじゃなく、人々が高い理念をもち、運動を起こさないとダメだ、と。そして、理念と運動が伴っていたのが、終戦直後の戦後民主主義だったのです。
――そうしたなか、丸山は「デモクラシーとナショナリズムの結合」を唱えました。
デモクラシーとナショナリズムをいかに結びつけるかは、日本に限らず、西洋以外のすべての後発近代国家が直面する課題です。
たとえばフランス革命では、民衆が民主主義革命をおこし、国民国家をつくりました。デモクラシーのパワーが、そのままナショナリズムに直結しています。一方、日本のような後進国は、指導者たちが西洋に学んで近代国家をつくりました。そのため、国民の「下から」の力よりも、国家の「上から」の力が強く、国民には自分が国家をつくりあげているという意識が育ちにくい。福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」という主張や、自由民権運動は、いずれも国民と国家のあり方の変革を志したものです。
――福沢は「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」と言いましたが、国家を内発的に支える国民を、外から作り出さなくてはならなかったわけですね。
そう。戦後の丸山も、この困難な課題の前に立たされます。丸山には、戦後日本がどうあるべきか、具体的な青写真があったわけではありません。とはいえ、抽象的なことばかり考えていたのでもない。
彼が目指したのは、国民と国家のどちらかが強くなりすぎることなく、バランスよく両輪として駆動することでした。そして、国民のエネルギーを、世界における日本の役割に結びつけるべく、国際情勢や社会状況に応じて、それぞれ具体策を検討しました。
たとえば、一九五〇年代に日本が独立を回復する時期には、国民の「平和を守りとおす強い決意」をもとに、冷戦で米ソのどちらにも肩入れしない「中立」を目指すべきだと訴えています。原則にもとづき、状況に応じて具体策を考えるのが、丸山のやり方です。
ただし、丸山は決して認めないでしょうが、どうしても言っておかなければならないことがあります。それは、戦争と戦後民主主義の関係です。全国民が有無を言わずに追随した現象は、この二つしかありません。
両者は正反対のものに見えますが、同じ役者が別の芝居を演じたものと考えたほうがいい。思想の額面は真逆でも、ムーブメントの性質としては同じで、戦後民主主義は戦争協力の延長であり反動だ、と考えて間違いありません。
――戦争への動員から民主主義への動員へと位相が変わっただけ、という側面があるのはたしかに否めないですよね。そうは言っても、一丸となって民主主義を打ち立てるんだ、という熱気がその分強くあった。
福沢諭吉と「相対の哲学」
――丸山の哲学についてお話を伺いたいと思います。先ほど福沢諭吉の話がでましたが、丸山にとって福沢はつねに特権的な言論人でした。丸山は福沢から何を読みとったのでしょうか?
丸山と福沢は、時代は違えど、どちらも「開国」の時代を生きた思想家でした。幕末・明治維新と同じく、西洋の近代思想や文化が一気に流入し、国家体制の改革や思想の大転換をせまられたのが、敗戦直後の日本です。丸山は、戦後を「第二の開国」と呼んでいます。「開国」を生きる先達として、福沢はいいお手本だったのです。
また、丸山にとって重要なのが、福沢の「哲学」でした。「哲学」とは、要するに、福沢という人間の行動や思想を決定する原理原則のことです。
福沢は、超有名人のわりに、意外と分かりにくい人だと思います。幕末には、攘夷論が沸騰するなかで、「江戸中を開国論に口説き落とす」と啖呵をきりますが、明治になると「徳川時代のほうがよかった」、「幕臣としての忠義が大事だ」などと言い、一筋縄ではいかない。
そんな福沢の多面性を、丸山はうまく利用します。たとえば、戦時中に福沢が国家主義者として利用されると、丸山は福沢がもつそれとは反対の面を強調して、ギリギリの抵抗を試みました。
――福沢の自由主義によって、国家主義に対抗したんですね。
そう。さらに、丸山は福沢の「哲学」に法則性を見出します。バラバラで気まぐれに見える福沢の発言は、じつは、時流と対決しつつ、反対側の真実を見せることで、人々の考え方をほぐし、物事の価値を相対化させるものだという。いわば、「相対の哲学」です。
私は、この哲学は、福沢の哲学というより、丸山自身の哲学だと思います。丸山は自分の哲学を、福沢を通して読みとったのです。
ただ、戦中・戦後の動乱の時代に丸山を支えた「相対の哲学」も、一九六〇年代以降の豊かな世の中では、うまく機能しませんでした。国家権力という巨大な敵と戦い慣れたせいか、政治的無関心という得体の知れない敵に対して、丸山はやる気を失い、どうすることもできません。
――敵がはっきりしなくなっていくなかで、実際、丸山はスランプに陥っていく。
はい。それ以降も、丸山は「戦後民主主義を守れ」と言いつづけますが、それは時流と戦っているのではなく、時流に飲み込まれるなかでの捨てゼリフだと思います。
私は、丸山のように、経済成長を果たした豊かな戦後日本を否定する気にはなりません。それこそ、戦争に負けた国民がリアルに求めたものでしたし、戦後日本の「あるべき姿」ですよ。
それに、丸山が理想とする戦後民主主義の思想が、高度経済成長期に風化してしまったのは、必然だと思います。思想に限らず、人々が本当に真剣なのは、お腹が空いて困っているときだけですから。
だから、逆に言うと、日本がまた困難に陥り、衣食住に困ったときには、必ず思想に身が入るので、なにも心配はいりません。私は、思想の内実や本気度よりも、たとえ不純で不誠実でも、豊かでお腹いっぱいの世の中のほうがいいと思いますけどね。【次ページにつづく】
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