以前「益体の無い話」として痩せた話を書いたが、何のことはない。ガンだった。
発生した場所は大腸のS字結腸という、尻の穴手前最後のカーブあたり。そこにコブシ大の腫瘍が出来ていて、あと少しで通り道を塞いで腸閉塞を起こしかけていた。これが食欲を無くしていた原因だ。
その患部が急激に痛みだし、たまらず病院に駆け込み、ガンが見つかったのが2月のアタマ。すぐに入院、手術となった。
●寝たきり
手術前。患部がウンコの通り道であることから、手術時の感染症を防ぐため腹の中をカラにする必要があり、口からは水分以外は入れられず、栄養分はすべて点滴で供給される生活を1週間ほど強いられた。
キャスター付の棒にぶらさがった点滴を四六時中繋げた生活。棒を持てば動けるとはいえ、もちろん外出は無理。病室からトイレまでの往復が活動範囲だ。必然的にほぼ24時間ベッド上での生活になった。
手術が終わると身体には点滴に、患部の膿を吸い出す直径2cmほどの管が3本、尿道にカテーテルが突っ込まれトイレに行く必要も無くなった。身体に繋がった都合5本の管は棒にぶら下がったビニール袋に繋がり、名実共にベッドに縛り付けられた格好だ。
寝たきり中年の誕生である。
●飛んだ
手術で大腸を切って繋ぎ合わせたため、医者はキチンと繋がっているかを気にして毎日オナラが出たかを聞いてきた。しかし、手術1週間前から物を食わず、手術後まだ何も食っていない頃。オナラの原料になるものが腹に何も無いのにオナラが生成されるハズも無く。しかし、とうとう強行手段として腹を下す座薬をつっこまれた。
栄養に抗生物質、貧血用の薬を点滴され、痛み止めの薬を2種、加えて下剤座薬を投入された状態。そのチャンポンが効いたのか夜中に脳みそが沸騰したような感覚に襲われ、身体中を掻き毟らずにいられなくなった。堪らず看護士に睡眠薬を強請った。
記憶はココで飛んでしまう。
私はデパート催事場の展示の仕事をしていた。両手に値札をつける結束バンドがからまり「あぁ、鬱陶しい!」と引き千切ろうとした瞬間、
「何してるんですか!」
看護士に呼び止められた私はベッドの横に立ち、身体から伸びた点滴の管を引き千切ろうとしていた。しかも、どこで生成したのかパンツの中にクソを漏らしながら。
斯くして強制的にオムツを履かされ、オムツを履いた寝たきり中年が爆誕である。
●病院食
上記した通り、手術前1週間ほど物は食えず。手術後もしばらくは口から水分すら入れさせてもらえなかった。唾も出ず、舌は完全に乾いて、触ると犬の足の裏のような感触がした。
ようやく物が食べられるようになっても、まずは「重湯」から。濃いめの米のとぎ汁を温めたような代物である。重湯のおかずは具無しみそ汁。デザートにくず湯。ホットミルク。それにお茶。全て液体だ。
その期間が終わると「3分粥(1/2量)」。重湯に3割ほどの粥が浮かんだもの。おかずにはグニャグニャに茹でたニンジン。ツブしたかぼちゃ。フニャフニャになったブロッコリー。豆腐など。限りなく液体に近い固形物だ。
その次が「5 分 粥(1/2量)」。最後は量が倍になった「5 分 粥(全量)」。
その次が「5 分 粥(1/2量)」。最後は量が倍になった「5 分 粥(全量)」。
粥は3分も5分もヤマト糊を溶いたような味気の無いねっとりした汁に形がほとんど無くなるまで茹でられた飯が浮かんだもの。おかずは全て薄味で、ヤマト糊風の粥を食べるには圧倒的にパンチが足りない。
しばらくはマズさに辟易して残していたが、『ワイルド7 緑の墓 編』での 飛葉ちゃんの言葉を思い出し、ヘボピーの気持ちで無理してヤマト糊汁を腹へ流し込んだ。
●さらに痩せる
そうした抵抗もむなしく、退院時には東西南北どこから見ても「不健康にやせ細った人」であった。
具体的には、入院時に履いていた36インチのジーパンはブカブカになり、買いなおしたジーパンは33インチ。それでもやや緩めである。
そもそも、太り気味だった上に、ワザとオーバーサイズにしてダブっとした服を好んで着ていたので、持っている服は全て(本当に全て)ブカブカのダブダブになった。
裸になると如実に痩せた箇所が解った。腹まわりもそうだが、特に尻や腿の肉が無くなり、余った皮がダブついてタレてブラ下がっているのだ。板を通しただけのベンチに座ると、尻の肉より先に尾てい骨がゴリゴリとあたる。どこかに背を寄りかからせると背中の筋肉より先に背骨があたる。深く息をするとあばら骨を皮膚が撫でる感触がある。
生まれてこのかた、ずーっとポッチャリ型で生きてきた私にはどれもこれも初めての経験だ。
●スタミナ
痩せて落ちたのは贅肉だけでは無かった。寝たきりの生活は、筋力とスタミナも落とした。
手術後、一週間が過ぎたくらい。がさつなリハビリ担当者がやって来て
「では、あそこまで歩いてみましょうか!」と指差したのは病室を出て3メートルほど先にある談話室だった。歩数で5~6歩だろうか。“コイツは何を言っているんだ?”と思いつつも言われた通り談話室を目指して歩き出したのだが、まず足が上がらない。
頭で思ったように足が動かない。やっと踏み出した一歩は思っていた7分ほど手前で着地してしまう。そして、その一歩が重い。汗もかいていなけりゃ息が切れているワケでも無いが、最初の一歩で身体がバテたのが解る。愕然としながら気力で足を動かし続け、目的地の談話室に着くころには疲労がべっとりと全身に圧し掛かっていた。
●備えよ常に
退院した今では、歩くことは出来るが走れない。ちょっとした小走りすら出来ない。点滅する青信号を前に立ち止まってしまう。入院前、当然のようにしていたこと、出来ていたことが出来ないのだ。
原因は約3週間のプレ寝たきり生活で細くなった筋肉に加え、圧倒的な“燃料不足”だ。入院での点滴生活は身体に備蓄していた脂肪という“燃料”を使い切ってしまった。
退院した現在は毎日高タンパクの食事をし、血肉の生成に勤しんでいる。
良いものとして世に謳われている「ダイエット」だが、実際に痩せてみると、太り過ぎて歩けないとかなら話は別だが、ちょっとポッチャリくらいであれば、やめておいた方がいい。
その「贅肉」は「災害時のための備蓄品」になる。