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2018年 3月 どうなる イタリアの春 : 雪と選挙と『五つ星運動』 

Cultura Deep Roma Eccetera Società

2月末から欧州中に吹き荒れたシベリア寒風ブリアンが、地中海沿岸地域の南国をも掠めて大雪となり、雪慣れしていないイタリア南部は、鉄道も高速道路も乱れに乱れ、大騒ぎになりました。スーツケースを引っ張りながら「ボルツァーノからローマまで26時間もかかるとは。こんなの普通じゃ考えられない。イタリアはどうかしてる」と、声を荒げて文句を言う北部訛りの人や、「雪が解けたのに、まだ3時間待ちなんて!」と、電光掲示板を見上げて苛立つ若者たちのグループ、ビジネスマン、外国人トゥーリストで、テルミニ駅は身動きが取れないほどの人、人、人。一時は大混乱にもなり、ニュースによると午前中の空の便にも遅れが出たようです。

しかしローマの街中は、と言うと、6年ぶりに積もった雪に誰もが大はしゃぎ。学校も休みになって、子供たちも大人たちも、そして犬たちも公園を元気に走り回り、雪合戦だの、雪だるまだの、芸術作品(?)だの、と、ちょっとした「雪祭り」となりました。

おそらく今まで雪を見たことのない、熱帯の地域から移民してきたばっかりの東南アジアや南米、アフリカの人々のグループは、それぞれにスマートフォンで雪景色を激写、雪に覆われた公園の木陰でポーズをとっては互いに写真を撮りあっていた。画面を覗き込むと顔を見合わせて嬉しそうに笑い、またポーズをとっては顔を寄せ合って画面を覗き込む、そんな微笑ましい光景が、公園のあちらこちらで繰り広げられました。

しかしコロッセオ、フォロ・ロマーノなど名だたる廃墟をロマンティックに雪が飾る、その『異景』に喜び浮かれたのも束の間、翌日からの数日間は、ローマではいたって珍しい氷点下が続き、夜ともなるとマイナス7度という、今まで体験したことのない気温に見舞われ震え上がった。天気予報を見ながら、「こんなシベリア寒気の氷点下の夜、路上生活者の人々は、いったい何処に避難すればいいのだろう」と知人たちと話していたところ、ローマ市はただちに地下鉄の通路、駅舎を解放。簡易ベッドだけでなく、温かいお茶とパネトーネを用意した避難所もあったようです。

ゴミ問題、交通網の大混乱、マフィアの跋扈、不法ビジネスと、数え上げたらキリがない、ええっと驚く非常識な問題が天井知らずに山積みになったローマではありますが、このような人間的で迅速な配慮には、とりあえずはホッとします(タイトルに使った写真は、ローマで見つけたささやかな日本の風情。『幽閉された春』と名づけました)。

 

 

イタリア政治地図の大変換、激震とともに主役となった2つの政党

そういうわけで、シベリア風が収まると同時にサハラからシロッコが吹き、気温がぐんと上がって雨ばかりが続く中、3月4日の日曜日、いよいよ『2018年、イタリア総選挙』を迎える運びとなった。ちなみにローマ市では、選挙の行われた日曜から、開票がだいたい終わる火曜まで、市内バス、メトロを運営するATACの、運転手を含む従業員の人々が、投票場、開票手助けに動員され「選挙なのだから、バス、トラムのダイヤの乱れもやむなし、遅延、便数削減も我慢してください」と、市民生活にも静かなプレッシャーがかかる、力の入った選挙でした。

今回、投票の方法も用紙も変わり、「1時間待ち」と混雑した投票所もありましたが、日曜の投票はつつがなく終わり、いつもよりは多少低いといえども、上院、下院ともに約73%という投票率でした。毎度のことながら、73%で低いとは!と驚く、選挙ともなれば「国民の権利であり、義務である」と、力強く声を掛け合い出かけてゆく、イタリア共和国の国民です。

さて、23時に投票所が閉まると同時に、各TVチャンネルが特番を組んで開票速報を流しはじめるのは日本と同じ。今回はしかし、イタリアの通常の選挙とは、少し様子が違ったと言わざるをえないでしょう。番組がはじまって出口調査とアンケートの結果が各種発表された途端、シンと静まり返ったローマの闇夜に、声のない驚きのような、ため息のような、密やかなざわめきがひたひたと満ちてゆき、目の前には長い長い夜が待ち受けていた。

多くの人々が、その後の深夜の選挙速報を、固唾を呑んで見守った、という感じでしょうか。なにしろ、個人の政治的選択の妨げになる、と2月15日を最後に、どのメディアも世論調査は公表していないので、これほど数字が変わるとは誰も予測していなかった。

余談ですが、わたしはあらゆる選挙といえば、チャンネルLA7のディレクターである、エンリコ・メンターナが仕切る「メンターナ・選挙マラソン」を欠かさず観ることにしています。エンリコ・メンターナというベテランのジャーナリストは、まさに『超人』としか言いようがなく、24時間以上ぶっ続けでスタジオに入りっぱなし、夜中も、早朝も、昼食時間も、夕方も、いつTVをつけても、同じ冷静さと鋭さで、ゲストと共に(ゲストは入れ替わります)状況を刻々と解説、分析し続けている。メンターナという人物は、実はふたり存在するのでは?と疑いを抱くほどです。

今回の、イタリアにおいては、いわば『天変地異』とも言いえる選挙に関しては、さらに熱が入り、選挙番組が終わった後のニュースでも、総括として状況を分析。その時メンターナが語った分析は、ぴたりと状況を見通して、次の日からは彼が言った通りの騒動が巻き起こり、いよいよ尊敬した次第です。

そして肝心の結果は、といえば、すでに各紙で報道がなされている通り、単独政党としては上院、下院とも約32%という数字で『五つ星運動』がぶち抜きで大勝、ベルルスコーニの『フォルツァ・イタリア』とマテオ・サルヴィーニの『レーガ』、ジョルジャ・メローニの『フラテッリ・ディタリア(イタリアの同胞)』が連帯する『右派連合』が約37%と、5%ほど5つ星を超える議席数を獲得しています。いわゆるポピュリズム、ナショナリズムの大躍進となったというわけです。

 

Il fatto quotidiano(イル・ファット・クゥオティディアーノ紙から引用した獲得議員数。上段:下院 下段:上院 左から自由と平等、中央左派、民主党、五つ星運動、中道右派、フォルツァ・イタリア、レーガ、イタリアの同胞、無所属。中央線が組閣に必要な議員数。イタリアの選挙法は、何度改正されても複雑極まりない悪法と言われ、早速「いますぐ選挙法改正!」が主張されています。

 

残念ながらわたしにはイタリアでの選挙権がない、とはいえ今回は、正直言って「この政党は是非とも支持したい」という思いが湧くような、手応えを感じる説得力のある公約を掲げる政党はありませんでした。強いて言うなら、民主党ーPDでレンツィ党首と大喧嘩して出ていった、旧イタリア共産党勢力から『オリーブの木』、それからPDへと移行したメンバーたちと、元下院議長のラウラ・ボルドゥリーニも属するLiberi e Uguari (自由と平等)というところでしょうか。LeUの結果は惨敗でしたが、3月6日にボルドゥリーニや、大御所メンバーたちが比例で上がり、胸を撫でおろしたところです。

今回の選挙では、今までPD(民主党)を支持していた人々も「今回はPDには投票したくない」という人が明らかに多く、PDがそれを逆手にとって、ネットスポットで選挙広告にしたほどでした。車で出かけるPD支持の家族が「こんなに成果をあげた、PDってすごい」と誉めそやす中、お父さんだけが「今回はPDには投票しない」と断言し続けるところに、党首マテオ・レンツィが自転車で颯爽と現れ、「本当にPDに投票しなくていいの?」と問うという、自虐的な政党コマーシャルでしたが、今となっては、多少胸が痛む、切ないCMになってしまいました。

確かに、この選挙戦をめぐるキャンペーンの間に、『5つ星運動』が醸す雰囲気は大きく変わっていき、いつの間にか周囲の人々から、「5つ星しかないかもね」という声が多く聞かれるようになった。若い世代が多いこともあって、とにかく候補者たち、活動家たち、そして支持者たちに溌剌とした勢いがあり、このままだと、多分『5つ星』がいい線いくだろう、とは予測していましたが、32%という大勝に関しては、誰もが驚いたようです。後述しますが、彼らの躍進のせいで、PDが息の根を止められそうな事態になるとは、予想できませんでした。

さらに、もっと大きな衝撃は、極右政党『レーガ』が17%と、ベルルスコーニの政党「フォルツァ・イタリア』の14%を抜いた上に、PDの18~9%と拮抗する、ゆゆしき数字を獲得したことです。これがイタリアで左派を支持してきた人々にとって、何よりのショックだったのではないかと思いますが、いつの間にかイタリアはけっこう右傾化していた、という事実が判明したということになります。

『レーガ』はもともと『レーガ・ノルドー北部同盟』という、20年近い歴史のある、そもそもは『アンチファシスト』を主張したロンバルディア出自の政党です。しかし、マテオ・サルヴィーニが党首になってからは、いつしか『北部』が政党名から消え、イタリアを代表する新しいナショナリスト、しかも「ファシストと呼ばれても結構」という傍若無人な顔を持ちはじめた。ところがイタリア全土をカバーするふりをしても、古いメンバーたちが「ロンバルディアのイタリアからの独立、自治」という当初の目標に従って、去年の10月22日にロンバルディアの『模擬・独立市民投票』を行うなど、やはり根本のところでは北部に重きを置いているには違いありません。

実際、『レーガ』を含む右派連合は北部の票を集め南部はほぼ『5つ星』支持となっています。シチリアに関しては、50〜70%『5つ星』の票だったという投票所もあるそうです。クロスする部分も幾分ある両政党 (厳密にいえば、『5つ星』は活動家を多く抱える市民運動を維持していますが、2013年の総選挙の時点から、上院、下院に多数の議員を有し、もはや政党と呼ぶに相応しい規模を持っています)の公約のうち、『右派連合』はフラットタックス導入で裕福な北部の人々の票をさらい、『5つ星』は、ベーシックインカム(仕事のない人々にも、月780ユーロのサラリーを保証。充分な収入がない場合も、780ユーロまで段階的に保証)で、失業率の高い南部の票を総なめにしました。

 

 

ラ・レプッブリカ紙より引用、左:下院、右;上院 イタリア選挙地図:ブルー『右派連合』赤『PD』黄色『5つ星運動』

 

いずれにしても、ここ数ヶ月の間に、イタリアでは「ファッショ」vs「アンチファッショ」の緊張がかなり高まっており、サルヴィーニが調子に乗れば乗るほど、ネオナチたちが勢いづいて、痛ましい事件が起こるのではないか、と心配です。つい最近、マルケ州、マチェラータで、ナイジェリア人のマフィアたちに、ドラッグ絡みで殺害された若いイタリア人女性への復讐と称して、『レーガ』に籍を置いていたネオナチ青年が、アフリカ移民の人々に向かって無差別に銃を発砲する、という事件が起きたばかりです。

その事件の後、緊張はさらに高まり、マチェラータで開かれたアンチファシストのデモは当局との衝突にまで発展。極右政党党首、サルヴィーニ、メローニが行くところ、「ファシストは帰れ」「ナチは帰れ」と大きな抗議が巻き起こってもいます。ところがマチェラータでは、そんな事件が起こっても、おおらかな移民政策を推進するPDは惨敗し、『右派連合(しかもレーガの候補者)』『5つ星』がともに約35%の支持を集める、という結果となった。ここに来て、レイシズムが売りでもあった『レーガ』は組閣の可能性を目の前にした途端、「イタリアではじめてのナイジェリア出身の上院議員」を擁立するという、やや滑稽な火消しに奔走しています。

さらに、今回の選挙で明らか印象づけられたのは、ベルルスコーニが率いる中道右派の『フォルツァ・イタリア』と、歴史ある中道左派としての『PD、民主党』が、一瞬のうちにあっけなく表舞台から姿を消し、『5つ星』と『レーガ』という、過激主義、と表現される2極がイタリア政治の主人公に躍り出た、ということでしょうか。しかしながらどの勢力も組閣に必要な議席数を確保していないため、『5つ星運動』の首相候補、ルイジ・ディ・マイオ、『レーガ』の首相候補、マテオ・サルヴィーニが、いずれも組閣を目指して勝利宣言しても、どちらもまだ、まったく確実ではありません。これから両極で、熾烈な議席確保合戦が行われ、どちらかの勢力が組閣に成功するか、あるいはどうにもならずに再び選挙となるか、今の段階では先が見えない状態です。

なお、国際紙では『5つ星』と『レーガ』が連立するようなことがあれば、ヨーロッパを恐怖を陥れる、というような予測もありましたが、極左を根に持つ、イタリア現代演劇を代表するダリオ・フォーが強く支持した『5つ星』という市民運動が、イタリアではファシストと刻印される『レーガ』と連立を組むなどということはあり得ない、ととりあえず(というのも、イタリアでは何が起こるか分からないので)断言しておきましょう。また、早速『右派連合』のリーダー気取りだったサルヴィーニに、ベルルスコーニはその勝利を祝福しながらも「『右派連合』においては、わたしが監督者である」とをさしています。

選挙が終わって、これは面白い現象だ、と思ったのは、それまで『5つ星』を過激分子として、「危険である、注意しなければならない」と盛んに主張していた左派の知識人、ジャーナリストたちが、選挙が終わって『5つ星』の大勝が決まった途端、すっかりトーンを変えて「考えようによっては、彼らは新しい左派の流れだ」とか「むしろ極左だよね」とか、ずいぶんと好意的な発言が多くなったことでしょうか。今回の選挙の後も、意外なことに市場は安定しているし、やはり『勝てば官軍』、フィアットもイタリア経団連も、イタリア赤字国債懸念にも関わらず「ポピュリズム、恐れずに足らず」と暗に選挙の結果を容認する態度を示しています。『5つ星』に貼られていた『過激主義』というレッテルは、彼らが他の勢力との連帯に、選挙後はじめて扉を開いたことでフェイドアウトしました。

ラ・レプッブリカ紙の創立者であり、60年代にカラビニエリ(軍部)の大佐が企てたクーデターをすっぱ抜いた、『鉛の時代』以来の伝説の左派ジャーナリスト、エウジェニオ・スカルファリも「サルヴィーニとディ・マイオであれば、わたしはディ・マイオを選ぶだろうね。わたしは生涯(御年94歳)、右派に投票したことはなく、左派にしか投票したことがないんでね」と発言。世論は少しづつ『5つ星』組閣を希望する方向へ向かっているようにも思えます。

アンチシステムアンチエスタブリッシュの『5つ星』が、今回の選挙で、『ユーロ離脱』や『移民排斥傾向』など、今までの強行姿勢を急激に軟化させたことで、今まで中道左派であるPDを支持していた人々の、特にイタリア南部の人々の票が一気に集まったことは、流れとしては理解できる現象です。そして驚くことに、伝統的左派である労働組合の人々の多くが『5つ星』に投票しています。

しかし選挙の結果としては『右派連合』が議員数を多く確保しており、他勢力から議員を増員しての組閣の可能性は『5つ星』よりも高いということになる。そしてそうなれば「民主主義とはそういうものだ。選挙の結果なのだからしかたない」とも思いますが、移民やロムの人々を暴力的に攻撃し続けてきた、極右勢力の親玉のようなマテオ・サルヴィーニが首相になることは、率直に言うと、耐えられません。

その最悪のシナリオが万が一実現し、サルヴィーニのマッチョなナルチシズムに来る日も来る日もつき合わされたうえに、衰えを隠せないベルルスコーニの脈絡のない話や、レナート・ブルネッタの自信満々、独りよがりな経済分析を聴かなきゃいけないかと思うと、うんざりです。『右派連合』が政権を獲得した場合、イタリアは何ひとつ変わることなく、むしろ再び古風なマフィア政治へと逆戻り。それに、いくらPDと拮抗する数字を獲得したとしても、17%しか獲得していない『レーガ』が『5つ星』を差し置いて組閣することになれば、イタリア社会に大きな反発、憎悪と敵意が渦巻き、過激な行動、衝突も増加するかもしれません。イタリアの若いアンティファグループは、強い連帯と動員力を誇る、決してじっと黙ってはいない人々です。

新しいユートピア・ヴィジョンを語り続けた5つ星の勝因

わたし個人は、初期の『5つ星』が掲げた、『移民排斥傾向』、リアリティのない『ユーロ離脱』政策にはまったく賛成していません。しかし、すでにイタリアの政府議会で経験を積んだ若い議員たちを多く有する、この市民運動の今回の選挙キャンペーンでは、それらの政策については、ほとんど語られませんでした。そういえば、ローマ市長選(『5つ星』概要)あたりから、『5つ星』は過激な主張を抑えるようになりましたが、いまにして思えば、それがグリッロの支持層集客ストラテジーだったのかもしれません。炎上発言とともに、既成の政治右、左、関係なく』に回し、市民による『革命』を鼓舞しながら、『5つ星運動』の知名度をあげ、フラストのある層の支持を、まず集めていった。

群衆が共有する『』に、日常のあらゆるフラストを憎悪として集約させながら強い連帯感を構築するのが、古今東西、ポピュリズムの基本です。自分の『敵』は自分だ!などと言う精神論は通用しません。さすが演劇人、ベッペ・グリッロの扇動は見事に成功した。それに『5つ星』のベースとなった初期の彼のブログは、かなり魅力的な内容でした。

 

5つ星運動の集会は、政治集会というよりも、ひとつのショーとしても充分楽しめる演出です。ポピュリズムの名に恥じない、モダンな革命の空気と、正義の達成感、群衆が肩を寄せ合う場の一体感が味わえます。

 

そういえば、インターネットから巻き起こった『5つ星』の初期のスローガンは、『Vaffanculo(くそくらえ)』というものでした。このスローガンは、今では俗にVaffa(ヴァッファ)と呼ばれ、既存の政治システムに、何でも過激にノーを突きつける、『5つ星』独自のカウンター精神です。運動が誕生してほぼ10年、ついに国政に最も近い距離にたどり着いたベッペ・グリッロと『5つ星運動』は、その『ヴァッファ』の精神をポケットにしまい込み、以前よりは幾分エレガントにはなった。加えて今回、グリッロが選挙キャンペーン、表舞台から退いて、完全に若者たちに活動をまかせたことは、『五つ星運動』にある種の自由と軽やかさを与えたかもしれません。

この運動のメンターと言われ、初期のデジタル・ストラテジーを構築した、ネット・マーケティングの鬼才ジャンロベルト・カッサレッジョが早逝、運動の初期から、強く支持し続けた「ノーベル賞」受賞者のダリオ・フォーも亡くなり、唯一『5つ星』を率いてきたベッペ・グリッロは、「もうここまで彼らが育てば大丈夫」と思ったのか、単に政治に飽きてしまったのか、それとも選挙結果をある程度見越して、カリスマが存在することで他勢力との連帯が難しくなる、と戦況を読んだのか、ある時、ふっと『五つ星運動』のブログから去り、別のブログへ移行してしまいました。そしてそれは選挙戦略として、非常に賢明な選択でもあった。

『5つ星』に焼きついていたグリッロカラーがぐっと薄くなり、候補者それぞれの魅力と個性が前面に押し出され、そのひたむきさと真面目さが(融通が利かない感じは否めませんが)、有権者たちに「この子たちにまかせてみてもいいんじゃないか」という人間的な信頼、そして未来への希望に繋がったように思います。彼らがまったくロビー活動をせずに、活動資金を支援者の寄付とファンドレイジングで集めていることも、好感を持たれている理由のひとつです。そしてとにかく裏方のマーケティングが上手い。

『鉛の時代』以来、蓋を開ければ、経済界、銀行、マフィア、教会、秘密結社、国際諜報が組んず解れつ、理解不能な緻密な闇システムのドロドロ談合があり、それこそが政治、とでも言わんばかりの馴れ合いに、市民はとっくに愛想をつかせていました。しかもやっと終わった、と思ったら、今度はモンティ暫定政権で、厳しい緊縮財政政治が繰り広げられ、生活は苦しくなるばかりだった。

そういえば、『Suburra(暗黒街)』(多分日本のNetflixでも観れるのではないかと思うのですが)という、2000年の歴史に彩られたローマの街の暗闇に蠢く、政治とマフィアの世界を描いた映画は、もちろん映画なので、エンターテインメントとして面白おかしく脚色されているとはいえ、かなりリアリティのある、「あった、あった、そういえばこんな事件」という内容です。政治といえばマフィア、談合、収賄、というイメージが市民の脳裏に焼きついている。

そんなイタリアで、2013年の総選挙では、ベッペ・グリッロが『5つ星運動』を率いて、『Vaffanculo(くそくらえ)』のスローガンを掲げ、イタリア全国Tsunamiツアーを敢行、目を見張るような躍進を遂げました。その頃の彼らは、自分たちのことを『戦士』と表現していましたが、その選挙で上院、下院ともに大量議席を獲得して国政に躍り出て5年、前回の選挙で38%の議席を獲得したPDが今回は18%と壊滅、ほぼ半分になったのに対し、5つ星は25%から32%へと大躍進しています。

さて、『5つ星運動』の2018年の主な公約は、簡単に書くと以下のようなものです。
●失業者に支給、あるいは低所得者に段階的に支給される780ユーロのベーシックインカム。●年金受給者の年金の最低額を780ユーロに上げる。(このふたつの公約の財源は、計算上では可能な数字となっています)●細かい法律でがんじがらめになった法のジャングルから400の法律を削除する。●減税と生活の質の向上。●国会議員のサラリーを半額に。また議員年金を削減。●市民の安全を守るために10000人の軍、警察を増員。●移民ビジネスを禁止する。10000人の監査官を動員し、欧州の他国のように移民の人々の滞在に許可を下ろすかどうか精査する。● マネーロンダリングなどを含める、銀行預金の管理。保護。投機行為の監視。●100%のクリーンエネルギー。● 新しいテクノロジーへの投資。●メイドイン・イタリー製品の保護。

ところで『5つ星運動』のイタリア国政への足がかりとして、いち早く首都ローマを制したヴィルジニア・ラッジ市長は、市役所官僚の談合スキャンダルをはじめ、ことあるごとに糾弾され、PD支持者からは『資格』なし、との烙印を押されます。わたしはまったく彼女を庇うつもりはありませんし、政治家として高い評価もしませんが、こんな談合都市でインフラ企業やマフィアの嫌がらせ、メディア総攻撃を受けながらもよく耐え抜いた、とは思います。はっきり言ってローマ市は、ゴミ問題ひとつを取っても、そもそも談合なしには動かない複雑なシステムが出来上がっていて、しかも問題が起こっても、誰も責任を取らない、間違えを認めない、本当のことを言わない、言うことは聞かない。したがって誰が市長になっても手にも負えない都市ではあるのです。また、その事実を、市民はよく理解してもいる。

実は今回、選挙キャンペーンのファイナルとなったポポロ広場の『5つ星』の政治集会にはじめて参加してみました。ルイジ・ディ・マイオ、アレッサンドロ・ディ・バッティスタなど、『5つ星』のいまや『』である面々の話を、実際にライブで聞いてみたわけですが、上から目線の他の政党の政治家たちと違って、市民の目線で捉えた、誰でも感じているだろう身近な問題を、平易な言葉で一生懸命に訴える姿と群衆との一体感は、不覚にも胸に迫るものがあった。なるほど、これがポピュリズムというものか、と改めて感心した次第です。レトリックなく手練れなく、数年の間、必死で勉強してきたことが手に取るように分かる、真剣でまっすぐな言葉は人の心を打ちます。

もちろん「政治は無垢で一生懸命な正義感だけじゃだめなんだよ。清濁併せ呑む老獪な手腕が必要」、ということは百も承知ではありますが、経済界にもマフィア界にも、また国際的にもまったく『しがらみ』を持たない、ネットから生まれたデジタル世代の『市民運動』に、実験的に政治をまかせてみたとしても『世界の終わり』じゃないのではないか、と思ったのが正直な感想でした。それに、「もうたくさん、お腹いっぱい」と食傷する『バロックなしがらみ』だらけのスキャンダル、有象無象の魑魅魍魎が蠢くイタリアで、彼らがどう立ち回るのか、どう成長するのか、やはり彼らも時とともに政治の垢にまみれていくのか、経緯を見てみたい、とも無責任に思いました。

初期の炎上狙いの過激発言もすっかり影を潜め、モデラート(ほどほど)な立ち居振る舞いの候補者たちの真摯な発言を聞いて、わたしのような気持ちになった有権者も多くいたのではないか、と想像しています。大失敗に終わるかもしれませんが、管理されない民主主義というものは本来そういうもので、わたしを含める市民の大勢というものは、たいてい愚かで、日和見です。

また、「彼らの新しい政治スタイルを受け入れてもいいんじゃないかな。こんなに大勢の市民が望んでいるんだから」という傾向が見え隠れする現在のイタリアを見ていると、1960年から70年代にかけてイタリア共産党が市民に受け入れられて大躍進した時代も、こんな熱気だったのかもしれない、という感想をも持ちました。ポポロ広場の集会で、『僕たちの訴えていることは、左翼と言われる人々より、もっと左翼だと言いたい』というディ・バッティスタの言葉が、非常に印象的でしたが、もちろんそうでなければ、極左のダリオ・フォーが彼らを支持するわけはない。

『5つ星』は、既存のイデオロギーに由来しない、つまり右でも左でもない。さらに突き詰めると極左の要素も極右の要素もあわせ持つ、デジタル世代の倫理と価値観で理想の政治を目指す『モダン革命分子』です。とそんなことを書いた後、ルネッサンス、再生の国イタリアは『革命』の空気なしでは、時間が進まない国なのかもしれない、とも考えました。

しかしそんな盛り上がりのなか、イタリアらしい、複雑で怖い言葉もそっと放たれるのです。ガットパルディズムという、ヴィスコンティが映画化したトマーゾ・ディ・ランペデゥーサ『山猫』ーgattopardoを由来とする言葉ですが、「見えるスタイルは全て変わったように思えても、実は何も変わっていなかった、変わるものは実は何もない」という意味で、この数日ガットパルディズムという言葉が、まるで風に舞う羽のように、あちらこちらの闇で囁かれ、ゆらゆらと不気味に揺れることがあります。

 

※ポポロ広場で行われた、『5つ星』のスターたちが集合した政治集会。26:58辺りから首相候補ディ・マイオの演説。この集会でベッペ・グリッロは最後にほんの少し顔を出すだけです。

PD、民主党の敗因とこれからのシナリオ

さて、途中で分裂した政治家たちを含め、わたしは基本的にはずっとPDを支持していた(今回はLeUを支持していましたが)ので、今回の惨敗は、かなりの痛手に感じました。しかし最近のイタリアの中道左派は、どこに向かっているのか明確さがなく、「たるんでいる」と感じることが多々あったことは事実です。したがって今回の選挙は、彼らたちにとっても、気持ちを新たに出直すいい機会になるのではないか、とも思います。

だいたい、党首マテオ・レンツィが鳴り物入りで提案した『国民投票』は、あえなく否決され、否決されれば「政界から身を引く」と宣言していたにも関らず、舌の根も乾かぬうちにPDの党首選挙に立候補して返り咲き、その後結党以来のメンバーたちと大喧嘩の末、分裂してしまったことは、PD支持者の期待を大きく裏切ったかもしれません。

マテオ・レンツィという人物は、非常に頭のいい、経済界、金融界とも太いパイプを持つ(少し持ちすぎ)、新しいタイプの中道左派エスタブリッシュメントですが、才気走りすぎた感は否めない。あまりにも性急に、自分の取り巻きだけで物事を進め、左派だというのに、市民の方向、特に弱者には目が向いていないようにも感じました。一部のジャーナリストから「レンツィの政治はベルルスコーニとまったく同じマフィア政治だ」と強く攻撃される場面も多々あった。

イタリアには若者も含め、昔ながらの左派も多く、いわば米国的というか、リベラルというか、モダンなスタイルの中道左派路線を「そもそも左派じゃない」「イタリアにはもはや左派は存在しない」と受け入れない傾向があり、『ローレックスを嵌めた共産主義者』という皮肉を込めた歌(カストロがローレックスのコレクターだったらしく)もあるほどです。そんなアンチエスタブリッシュメントの流れから、今回の選挙では、PDへの批判票が『5つ星』に流れた、と考えられますが、新聞やTVは、今回の敗因はPDという政党ではなく、レンツィ党首だ、と激しく非難する論調でもあります。

しかしながらPDが政権を務めた5年の間に、マイナスだった国民総生産は2017年に+1.6%となり、2018年は+1.5が見込まれ、失業率は11%台(若年層失業率は40%に上ります)に収まっている。つまり統計上、経済状況は少しづつ良くなってはいるのです。毎月80ユーロのボーナスを各家庭に支給するレンツィ党首肝いりの政策では、年間1000ユーロ近く各家庭に支給され、ずいぶん家計が助かってもいた。しかし、多くの左派の人々から、仕事のある人々には月に80ユーロが支給されるのに、仕事もなく、家も失ってしまった、最も弱い立場にいる人々には国から何の補助もないことに、大きな疑問が呈されてもいました。

また、レンツィが首相の座を降りたあと組閣したパオロ・ジェンティローニ首相は各界からの信望も厚く、ヨーロッパ諸国からも信頼され、今回の選挙戦では、今後も政府を担っていく人物として、元大統領ジョルジョ・ナポリターノ、『オリーブの木』の提唱者、中道左派の重鎮ロマーノ・プロディが支持、地元ローマでは非常に高い支持率で当選しています。選挙で大敗した後のPDの、ジェンティローニが実質的なリーダーでもあると考えられている(が、一瞬で変わる可能性もあります)。

さらに、2013年には38%もあった支持率が、今年の選挙では18%にまで下がってしまったのは、レンツィ首相の人柄が信頼できない、というのもひとつの要因ですが、ミンニーティ内務大臣が尽力したとはいえ、極右政党『レーガ』が派手に攻撃プロパガンダを推し進めてきた「移民の受け入れ」のあり方が問題になったことは想像に難くありません。わたしは移民の人々をおおらかに受け入れる政策があるからこそ、中道左派を支持してきましたが、フランチェスコ教皇が強く、移民受け入れを推進しているにも関らず、イタリアの移民の人々への想いは、少しづつ偏狭になってきたのではないかと心配です。

 

I ministri del governo Gentiloni (ANDREAS SOLARO/AFP/Getty Images)  PD ー中道右派連立 ジェンティローニ内閣 Il Post紙より引用。

 

いずれにしても、今回の選挙の大敗を受けてのレンツィ首相の辞任会見は、その瞬間から「フェイク!陰謀だ。策略だ」と大きな非難を受けました。というのも、彼が敗因を分析することもなく「自分は辞めるが過激主義者とは連立しない」と断言、しかも辞任の時期を明確にせず、先延ばしするかのように曖昧にぼかしたからでした。『右派連合』も『5つ星』も組閣するためには、上院、下院とも議席の絶対数が足りず、単独では不可能なので、他党との連立の可能性を探るしか方法がないわけですが、レンツィ党首は自らの辞任と引き換えにPDを人質に、その扉を締めてしまったわけです。

おそらく背後では、PD内に『5つ星』との連立で組閣しても良い、と考える議員たちの分裂の動きがあり、重要人物からの打診、働きかけもあったのでは、と匂わせる発言内容もあり、ただでさえ穏やかさを失っていたPD内は、レンツィ党首への反発も含め、蜂の巣をつついたような騒ぎとなりました。

その騒ぎを落ち着かせるためか、あるいは火に油をそそぐためか、それとも次期PD党首選に立候補するためか、レンツィ辞任会見の翌日には、それまで、どの党にも属していなかった経済発展省カルロ・カレンダ大臣が突如としてPDに登録し「分裂せずに、今あるPDを立て直すべき。しかしもし『5つ星』と連立するというようなことがあるなら、自分はすぐに出ていく」と脅しをかけたり、党幹部が「PDでは90%の党員が連立に反対」と、ヒステリックに発言、「レンツィ党首には一刻の猶予なく今すぐに辞任だ。早速PD全国統一会議を開く」と、副党首が発議するなど、大変な緊張が覆っています。予定では、今日12日に開かれる幹部会議で、PDの方向性が決定することになっていますが、いずれにしても党首選(すでに数人が立候補しています)を含む党内の意見の統一(あるいは不統一)は、まだまだ先になりそうです。

何人かのPD議員は「連立に扉を開いてもいいんじゃないの?」と意思表示をしていますが、そういうわけで少し期待していたPDと『5つ星』の連立は、いまだ机上の空論。そして経済界と強い絆のある、政治家というよりは実務家という印象が強く、レンツィ党首とは仲が悪そうだったカレンダ大臣が、一体何をするためにいきなりPD党員になったのか、今のところやはり、まったくの謎のままです。20日以降には、下院、上院議会の形成と両議長の決定が行われなければいけない予定だというのに、劇場政治もここまで行くと、次のシナリオが読めません。

そういうわけで、PDの周囲には、左派のいつものいざこざではすまない党の存亡に関わる緊張が漂っています。イタリアの伝統ある左派の流れを組む政党ではあるので、立て直すなら立て直すで、党内の争いごとで時間を浪費せず、一刻も早く党を整備してほしいと願います。また、『5つ星』だけではなく、『右派同盟』もPDに秋波を送る様相もあり、いったいいつになったら組閣できるのか、それとも組閣できずに、結局新たな選挙が行われることになるのか、それとも大統領権限での暫定政権が樹立されるのか、PDの出方次第、まったく見通しがつかない状況です。

大統領は「国にとって益となる、責任ある態度を」と発言し、「いつまでも無政府状態でいるわけにはいかないので、早く組閣の準備を整えよ」と、暗に各政党に整備を促しています。また、経済界も市場も欧州社会も「イタリアの問題は赤字国債。我々はマッタレッラ大統領を信頼している」と反応している。

わたし個人としては、経験豊かな議員を抱えるPDが何らかの形で『5つ星』に連帯して『実験的な政府』を組閣、赤字国債を管理しながらヨーロッパや国際社会との関係を取り持ち、例えば軍部諜報関係などを含む、複雑な安全保障のシステムなどを若者議員たちに理解してもらって、クリーンさを保ちながら過激主義をセーブ、そうすればルネッサンスな政治の流れを共に作ることができるかもしれない、などとも無邪気に考えますが、策略渦巻く政治の世界には、そんな童話は通用しないのかもしれません。

確かに両者の政治方針は、最初から明らかに違う。それに今のところPDには、かつてイタリア共産党と手を結ぼうとしたアルド・モーロ元首相のような、新しい勢力と手を組んで新しい政治を作ってみよう、というおおらかな気概のある政治家が現れる気配はありません。

アルド・モーロ元首相といえば、まもなくその、イタリア近代史に大きな遺産を遺す『キリスト教民主党党首』の元首相が誘拐されてから、40年目のメモリアル・デーを迎えようとしていますが、2018年のイタリア総選挙は『鉛の時代』に繰り広げられた権力闘争をメタフォライズするような政治カオスとなってしまいました。いずれにしてもモーロ事件に関しては、主要各紙、TVが40年のメモリアルを前に、さまざまな特集を組みはじめ、これからあっと驚く新たな情報が出てくるかもしれず、こちらも注視していくつもりです。

もちろんこれから状況は、ええ!ドラスティックに変わる可能性も大きく、今は誰もがもやもやした気分のまま、イタリアン・ハングパーラメントを観察しているところですが、イタリアにはドイツのように6ヶ月もかけて組閣するような余裕はないと言っておきましょう。

どうなる、イタリア。

※この項は、今後何か大きな動きがあれば、追記したいと思います。

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