倉山満氏なる”憲政史家”が、朝鮮は国ではなく単なる「場」だったと主張したいらしい。
しかし,では日朝修好条規(1876)はどうなるのだろうか。朝鮮が条約を結ぶ主体つまり「国」であったから日本と条約を結ぶことができたのではないか。倉山氏は日本は「場」「単なる地名」を相手に条約を結んだのだと言うのだろうか。
倉山満「韓国人の歴史観はすべてファンタジー」2013.11.11 ニュース
「韓国人の歴史観はすべてファンタジー」と斬り捨てるのは、待望の新刊『嘘だらけの日韓近現代史』を脱稿したばかりの憲政史家・倉山満氏。中でも“最も笑える妄言”を3つ挙げてほしいと乞うたところ、次のようなミもフタもない回答が(笑)。「韓国という国は、2000年の歴史の中で常に『中華帝国の第一の子分である』ということにのみアイデンティティを置き、自助努力で独立しようという意思も能力も見せることがなかった。日韓併合が許せないと言いますが、それでは当時、現実的にどんな選択肢があったのかと聞けば『アメリカの植民地になりたかった!』と力説したりしますからね(笑)。独自の王朝を持ってはいても、独立国家の要件をまるで満たしていない。国というより単なる地名です」
倉山満「朝鮮はしょせん中国史の一部」2013.11.18 ニュース
「朝鮮は常に『場』(Theater)であっても、『主体』(Actor)ではなかったからです。例えば、琉球という『場』で日本と中国という二つの『国』(Actor)が争うことはあっても、琉球が『主体』でなないことと同じ構図です。朝鮮には独自の文化こそあれど、常に『中華様』の属国であり、独立した国ではなかった。日本の東洋史学界でも、朝鮮はしょせん中国史の一部。常に小国で主体性のある『国』ではなく、周辺諸国に蹂躙される『場』でしかなかったからです」
しかし,では日朝修好条規(1876)はどうなるのだろうか。朝鮮が条約を結ぶ主体つまり「国」であったから日本と条約を結ぶことができたのではないか。倉山氏は日本は「場」「単なる地名」を相手に条約を結んだのだと言うのだろうか。