入社後に社員を育成するのが企業の本来の姿・・・そう、メンバーシップ型社会では
2月9日に朝日新聞に載った投書を巡っていろいろと議論がされているようですが、
https://togetter.com/li/1197869 (『入社後に社員を育成するのが企業の本来の姿である』という投書に「即戦力とかいう考え方滅びろ」など色々な意見)
これもまた、本ブログで何回も論じてきた日本型雇用システムにあまりにも適応しすぎた日本型教育システムの病理みたいな話で、懐かしさがいっぱい溢れてきます。
表層的な善悪論の周りをぐるぐる回っているばかりで、なかなか問題の本質である雇用システムに論究することにならない点だけは、あまり変わっていませんが。
これもまた、もう5年前に出版した拙著『若者と労働』(中公新書ラクレ)から、やや皮肉な視点から論じた一節を引用しておきましょうか。
第3章 「入社」のための教育システム
4 職業的意義なき教育ゆえの「人間力」就活
ジョブ型社会の「職業能力」就活
日本であれ、欧米であれ、学生が企業に対して、自分が企業にとって役に立つ人材であることを売り込まなければならない立場にあるという点では何の違いもありません。違うのは、その「役に立つ」ということを判断する基準です。
欧米のようなジョブ型社会においては、第一章でみたように採用とは基本的に欠員補充ですから、自分はその求人されている仕事がちゃんとできるということをいかにアピールするかがもっとも重要になります。学生の場合、売りになる職業経験はないのですから、その仕事に必要な資格や能力を持っているということをアピールするしかありません。そのもっとも重要な武器は、卒業証書、英語で言うディプロマです。
欧米では、一部の有名大学を除けば入学するのはそんなに難しくはありませんから、ある大学に入学したことだけでは何の説得力もありません。むしろ、日本と違ってカリキュラムはハードで、ついてこれない学生はどんどん脱落し、卒業の頃には同期の学生がだいぶ減っているというのが普通ですから、卒業証書こそがその人の能力を証明するものだと一般的に考えられています。
そして、ここが重要なのですが、その能力というのは、日本でいう「能力」、つまり一般的抽象的な潜在的能力のことではなく、具体的な職業と密接に関連した職業能力を指すのです。卒業証書を学歴と言い換えれば、欧米社会とは言葉の正確な意味での学歴社会ということもできます。日本でいわれる学歴社会というのが、具体的にどの学部でどういう勉強をしてどういう知識や技能を身につけたかとはあまり関係のない、入学段階の偏差値のみに偏したものであるのに対して、欧米の学歴社会というのは、具体的にどの学部でどういう勉強をしてどういう知識や技能を身につけたかを、厳格な基準で付与される卒業証書を判断材料として判定されるものなのです。こういう社会では、言葉の正確な意味でのもっとも重要な就「職」活動は、必死で勉強して卒業証書を獲得することになります。
ちなみに、こういうジョブ型社会ではあまりにも当たり前の行動を、日本社会で下手にやるととんでもない大騒ぎになることがあります。かつて、ある大学の法学部で、既に企業に内定している四年生の学生に対し、必修科目の民法で不可をつけた教授の行動が、マスコミで取り上げられ、世論を賑わしました。入学時の偏差値と面接時の人間力判定で十分採用できると企業が考えているのに、本来何の職業的意義もない大学の授業における教授の成績評価によってできるはずの卒業ができなくなり、「入社」の予定が狂わされるのは、本末転倒である、と、少なくとも当時の日本社会の大多数の人々は考えていたということでしょう。
まあ、なんにせよ、「入社後に社員を育成するのが企業の本来の姿」という、日本的なメンバーシップ型労働社会を当然の前提として、(特定の企業に関わらない)職業人材養成をするのが自分の使命だなんて全然思っていない特殊日本的大学教授の認識のありようが、ものの見事に露呈している騒ぎではあります。
大学教育が本当に重要なものであり、その重要性に着目して企業が卒業生を採用しているのであるのであれば、卒論をないがしろにするような学生に卒業証書を出さなければそれでいいだけの話であり、大学が品質保証をしていないような学生を採用するのはその企業の自己責任ということになるだけでしょう。
それがジョブ型社会の常識というものであり、それに付け加える話など何もないはずなのですが、もちろんこの日本というメンバーシップ型社会で、それに最適化された(「就職」ではなく「入社」のための)教育をしている大学には、そういうジョブ型社会の常識を振り回す余地などかけらもないから、こういう事態になるわけですが。
(追記)
ちなみに、こういう自省なき議論に比べて、よっぽど物事を深く考えている学生さんのブログ記事がこちらにありました。
https://faraspice.com/book/133/ (「大学生は何をすればいいのか」について考えてみよう! )
では、なぜ大学で勉強をしなくても就職できるのか?という問いにつながります。
企業が育ててくれる
はい、これです。企業が育ててくれるから。
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コメント
「企業本来の姿」といわれると、一体企業を何だと思っているのだろう、という感想も出てきますね。
企業は営利の追求を目的とした組織であって、それは我が国の法律で定められていることであり、営利の追求以外のことを行うことは禁じられているわけですけども。営利事業と非営利事業を同じ組織が行うことを実質禁じているのは日本に限らないと思いますが。
企業で何かを行う際には、それがどう営利に結びつくのか、どれだけの時間でどれだけの利益を生むと想定するのか、数字の裏づけをしっかりとしないといけないですし、それをしっかりと行わないと、監査で指摘され、場合によっては決算書が不適切とされてしまうわけですね。
企業が社会のために営利の追求以外のことを何かしなければならない、と考える人がいるのは、これもまた戦争中の総動員体制の名残ですかね。戦争中は企業もお国のために奉仕せねばならない、とされていたのでしょうけど。
投稿: IG | 2018年2月11日 (日) 23時27分
えーっと、これ企業に向けた皮肉ですよね?
IGさんが読めてないのか、私が勘違いしてるのか。
さて?
投稿: Dursan | 2018年2月12日 (月) 18時01分