2018-02-28

それでも「いばらぎ」と読んでしまうんだ

日本人には清音と濁音を自然に読み分ける機能が備わっていると思う。

例えば北田坂田前田などという苗字を見た時、

フリガナが無くとも自然にそれぞれの「田」を読み分けることができる。

実際には、キタタさん、サカダさん、マエタさんも日本はいるだろうけれど、

大部分の日本人の読み方はキタダ、サカタ、マエダで統一される。

これはすごいことじゃないか

そんなの今までに出会った人々の苗字から学んでいるだけだろう、と言われるかもしれない。

けれどじゃあ、今までに見たこともないような苗字、たとえば

傘田、鯛田、傷田

なんかであっても、なぜか自然と清濁を読み分けることができるのは何故だろう?

日本人の脳には、清濁を自然に処理する法則が備わっている。

まれつき、とは言わない。何年も日本語と接してきた経験の中で勝手インストールされるのだ。

その、インストールされた脳の法則が、茨城は「いばらぎ」だと訴えている。

子供のころから訴えている。

大人になってもまだ、むしろ前よりずっと強く、訴え続けている。

から茨城は、やっぱり「いばらぎであるべきなのだ

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