日本人には清音と濁音を自然に読み分ける機能が備わっていると思う。
フリガナが無くとも自然にそれぞれの「田」を読み分けることができる。
実際には、キタタさん、サカダさん、マエタさんも日本にはいるだろうけれど、
大部分の日本人の読み方はキタダ、サカタ、マエダで統一される。
そんなの今までに出会った人々の苗字から学んでいるだけだろう、と言われるかもしれない。
傘田、鯛田、傷田
なんかであっても、なぜか自然と清濁を読み分けることができるのは何故だろう?
生まれつき、とは言わない。何年も日本語と接してきた経験の中で勝手にインストールされるのだ。
その、インストールされた脳の法則が、茨城は「いばらぎ」だと訴えている。
大人になってもまだ、むしろ前よりずっと強く、訴え続けている。