民間事故調が報告書で厳しく指摘してあぶり出された、東京電力福島第1原発事故の発生当初の対応における当時の菅直人首相ら官邸の過剰介入。15日には、東電本店に乗り込んだ際の叱責ぶりも明るみに出た。
昨年の今ごろは、3月12日の福島第1原発を訪問したことが現地の収束作業を遅らせたとして、メディアの集中砲火を受けていた。
こうしたことを含めて「菅直人リスク」と国会で政府を追及したのは元官房長官の塩崎恭久衆院議員だが、その塩崎氏自身が先日、かつて支えた安倍晋三元首相の原発訪問が歓迎されざるものだったことを明かしている。
安倍氏は新潟県中越沖地震が起きた2007年7月、東京からヘリで被災地を視察した際、地震により火災などが発生した柏崎刈羽原発に立ち寄った。
塩崎氏は当時の官房長官。今回の会見で元ジャーナリスト上杉隆氏からその件を質問されると、福島事故後に泉田裕彦県知事と顔を合わせた際に「安倍総理に来てもらって迷惑だった」と言われたことを明かした。
「原子力緊急事態宣言が出されていない段階で、夕方に行ってその日のうちに帰ってきた。指揮官(原子力災害対策本部長は首相が務める)が最前線に行って、流れ弾に当たって死んだら…。変電所が燃えて、もし(発電所内の)電気が止まっていたら、福島と同じことが起きていた」
当時を振り返った塩崎氏は、やはり安倍氏の訪問は適切でなかったとの認識を示す。
現地で発電所長から報告を受けたこの訪問には、帰京後に放射能漏れを発表するというケチもついた。発電所の安全を確認して帰ってきたのに、微量の放射性物質を含む水が海に漏れ出ていた。
まさに赤っ恥。官邸は、所管である経産省の甘利明大臣(当時)を通じて、東電に報告のやり直しをさせたという。
国会事故調の生みの親的な存在でもある塩崎氏。政府事故調とは違い、国会事故調は当事者の責任を問うこともできる。「事実を明らかにした上で、司法がどう動くか」と、民間人の委員たちによる報告書の内容が事件化へのカギをにぎることを強調した。