2018-03-11 03:05:33

3月11日。7年。

テーマ:ブログ
今年も3月11日になった。

我々は宮城県気仙沼市に来ております。

7年前と同じように、今年も気仙沼に来ました。
14時46分、あの大きく揺れた時間に黙祷します。

気仙沼の街は、またこの1年で変わりました。みんな毎日一生懸命になって頑張ってる証し。

夜、道路工事をしている方々と話した。
岡山県から助っ人に来て2年になると言っていました。

千葉県から派遣されて気仙沼市役所で働いてるという3人組の男性にもお会いした。

まだまだ他県のパワーを借りながら、全力で復興への道のりを歩んでいる。

でも、明らかに復旧から復興へと段階は移っている様にも感じています。

7年間、本当に、沿岸地区の皆さんや作業されている方々は頑張っています。スゴいと思います。

もう7年かぁって思う時もあるけど…いや、まだたったの7年か…というのが正解なのかも知れないな。
たったの7年で、よくもこんなにきれいに整備してお店や住居を作ったなぁって。

だって、本当に全てがぐちゃぐちゃになって…凄い惨状だったから。
自然の猛威に1から立ち向かう人間のパワーって、もしかしたら対等の力があるのかな。

自然の攻撃を受け、点数は沢山取られたけど…ようやくスリーアウトチェンジ。
次は人間のパワーの出番。(うまく言えないけど、野球でいうと。)
それにしても、前ニュース23の膳場貴子アナウンサーは今日も気仙沼に来て中継されてました。
膳場さんも震災直後から毎年何度も来て下さってます。
被災地を知っているからこそ、番組でも寄り添ったコメントをされています。

写真は、7年前の地震がきた時に我々がいた 『シャークミュージアム』の辺りの現在。



やっぱり、3月11日って特別な1日。
正直、色々と思い出す。
さっきまで、番組スタッフと話をしていた。『あの日、気仙沼で朝からロケをしていて…ロケ場所の順序が違っていたら津波から逃げ切れなかった恐れがある』
『避難する方向を間違っていたら、もしかしたら…』
スタッフとそんな話をしていた。
考えただけでも怖くなる。。
あの日の事は鮮明に覚えています。
音も匂いも全て。
まぁ、忘れる事はないだろうな。

我々は生きているから何でも出来る。

これからも、出来る事をしっかりやって行こう。
あの日、亡くなった沢山の方々の為にも。

2018・3・11
宮城県気仙沼市より
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リブログ(92)

  • ”3月11日。7年。”

    今日で東日本大震災から七年がたちました。あの日の自分の体験を思い出したり、サンドウィッチマンさんの記事や動画を見て、考えたこと。まずは被災地の出来事を他人事と考えず、同じ状況で自分だったらどうするか、を考えること。また、いつかくるかもしれない自然災害や非常時を時にはシュミレーションすることも、将来役…

    aki

    2018-03-12 00:20:43

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104 ■あの日

震災直後にも私はこのコメント欄に書いた「この震災は大変な事だけど、当日気仙沼で被災し、助かったこと、M-1で優勝したのは宮城のためにサンドウィッチマンさんが選ばれたの運命だったのかも知れない」と。
一緒に応援する気持ちは今も変わりません。
東北魂Tシャツまだ飾ってあります。

103 ■泣ける

東北の人達を思う気持ちが伝わってきました。
故郷の人達が苦しんでいるのは見ていられないんだろうな。
これからも引き続き状況が上向きになっていきますように。

102 ■熊本からです

伊達さんこんばんは‼️
あの大震災から7年、あの津波映像を見てて涙が止まりませんでした
もうすぐ4月がやって来ます
私たち熊本県も震度7を前震、本震とで経験しとても怖かったのを覚えていますあの大きな揺れは忘れたくても忘れられません❗深夜、大きな揺れの中パジャマのまま避難したのを覚えています
今、熊本もまだまだ復興半ばですまだまだ地震の傷跡が残っています共に頑張って行きましょう
そして犠牲者のご冥福をお祈りします

101 ■無題

はじめまして。
サンドさんの活動をニュースで拝見しました。
福島生まれ千葉育ちですが、高齢の祖母や親戚、いとこ達は福島で生活しています。原発の名残はまだまだあります。
今週末、福島県田村市にいきました。福島空港に向かう途中、除染した物を運ぶトラックと幾度もすれ違いました。
まだまだダメージはあると痛感しました。
サンドさんの活動は被災地の人々にとって心強く、私も自分が出来ることで協力していきたいです。
いつも笑いで元気にしてくれてありがとうございます。応援しています!

100 ■無題

気仙沼出身です。
7年前、お二人にほんとに救われました。
まだまだ完全な復興まで
時間が掛かりますがこれからもよろしくお願いします!!、

99 ■7年前

7年前の今日の衝撃は今でも忘れられません。
テレビでの信じられない映像に言葉がありませんでした。
長く、辛く、苦しく、悲しい年月に、東北の方々は、強く、逞しく、優しく、強い絆で今日までの日々を過ごされてきたことを強く感じます。そして、被災されたサンドウィッチマンさんは、生かされた運命を、愛する故郷を全力で支援することに徹してこられ、それはきっと、神様がお二人に与えた使命なのかも知れません。
自分も、生かされている間、できることを頑張ってやっていこうと思います。

98 ■無題

今日、ぼんやりーぬ撮影中、お忙しいなか娘と写真を撮っていただきありがとうございます。娘の記念になりました。

97 ■2018.3.11 7年

伊達さん、こんばんは。

7年前の今頃は、職場から帰宅できず、停電の中、余震に震えながら
皆と、何ができるのか肩を寄せ合って考えていました。

伊達さんは今日は気仙沼にいらっしゃったのですね。

私は、伊達さんご出演の僕らの時代を見た後に、
仙台市若林区にある、震災遺構の荒浜小学校と、
地下鉄東西線・荒井駅の3.11メモリアル交流館に行き花を手向けて来ました。

伊達さんが番組でおっしゃっていた、
10年後も復興半ばって言ってるのかな…
10年後、このブログを思い出して、どうなっているのか、また書き込みしますね。

伊達さん、どうぞこれからも東北を見続けていてくださいね。
私もできる限り、伝え続けます。

96 ■無題

伊達さんこんばんは。あの日から7年。今年も静かにすごしました。7年前を思い出しながら。サンドさんはこの7年忙しいながら宮城県に通いすごい尊敬しています。宮城県の誇りはサンドさんと羽生ゆずる君ですよ。私は7年変わらずますます体調崩しがちになりました。サンドさんの笑いから元気もらっています。同じ宮城県でも浜の人達や福島の人達より私の住む登米市は裕福な方なのに何も出来ない自分に不安を感じてます。サンドさんや羽生君はもっている人です。サンドさん伊達さん富澤さん体調に気を付けてください。最近食べ物に0キロカロリーって言っているのをウォッチンプラスでも言っているのを見ました。お身体に気を付けて笑わせてくださいねぇ。

95 ■まだ7年

はじめまして。
震災後、様々な支援を毎年継続されてる
貴殿の姿には頭が下がります。
自分も宮城では無いですが
岩手の宮古に復旧支援ボランティアとして
10日間ほどお邪魔しました。

あのとき、石川県でもいつもと違う揺れが
長い時間続き普通じゃないと思ったけど
あれほどとは思わなかったし
現実に見た爪痕に愕然とし
涙しか出てこなかった強烈な記憶として
今でも残ってます。
残念ながら周囲(石川県)の記憶からは
薄れ行きつつあるのは事実だけど
少しでも語り継いでいきたいと思います。
これからも体調に気をつけて
ご活躍をお祈りしています。

94 ■無題

津波が引いた後に残された無限に続く瓦礫の街…
あの光景は一生忘れないでしょう。

伊達さん、いつも寄り添ってくれてありがとうございます。
これからも一緒に進んでいきましょうね。

93 ■まだ❕❕

まだ?もう7年がたつんですよね!
末っ子は小学5年生でした。
学校で被災して、先生とお友達と一緒でした
数日間、電気、水道、ガス、が無い生活
でしたけど、余震が続き数ヵ月は怖かった
ですね。あのサイレンの音が嫌で末っ子と
二人でサイレンが鳴ると耳をふさいでました。
宮城県沖地震も小学生の時に体験しましたが
比べ物にならない地震でしたからね❗️
こんなに怖くて死ぬ!って思った地震は
ありませんでしたね。
塩釜も少しずつ復興してますものね。
親戚が石巻にいて、遊びに行きたいけど
怖くて行けないんです❗️
あの光景が甦ってきて怖くて石巻方面に
近付くと動悸がしてきて足が震えるんです❗️
映像でしか観てませんが怖いんですよね~❕
去年の暮れに従兄弟が急死して石巻に行き
祭場に付く迄は目を閉じてました❗️
あの揺れは体験した人じゃないとわからない
怖さですよね。早く復興して笑顔が絶えない
宮城県になりますように❕
サンドのお二人も健康には呉々も気を付けて
お仕事頑張って❗️

92 ■今晩は

7年の時が過ぎてもいまだ置き去りにされてる被災者の方々がいます。。。。先週ラジオで「被災かれた方一人一人が「復興した」と感じられた時が本当の復興だろう」と話されてる方がいました。うん。。。そうだろうな。。。これからも私ができる事を(震災を忘れない事、募金、東北や北関東の食材を積極的に購入する事)続けていきます。

91 ■無題

安心出来る「東北魂」募金、毎月必ずしています。いえ、させて頂いています。ありがとう伊達ちゃん&トミー!
いつだって色々支えになってくれています。
勇気が出ず辛かった時期、何回も書いていますが笑、
二人の新幹線のポスター眺めながら頑張って改札を出て、鬱で辛かった自分を支えてくれたから今も、二人のあのポスターは心の中の宝物です。
ありがとう。ずっと忘れず続ける習慣が出来たのは二人がずっと先導して下さるからです。
どうもありがとう。

90 ■無題

7年

昨日はじめて 美田園駅から徒歩で閖上さいかい市場に行って来ました。建物、道路は整っていました。


何かコメントと思いますが 多くのことが頭の中を駆け巡り文字がでてきません。

仙台で 黙祷させていただきました。

89 ■無題

伊達さん~、涙が出るブログありがとうございます。私は福島です。今は当たり前のように仮設住宅があり、当たり前のように除染作業をやっています。でもこれは当たり前じゃないんだよね。
宮城県のこと、東北のこと、芸能界でも語ってくれる伊達さん。本当にあの日、一歩間違えていたらと思うとサンドウィッチマンだってどうなってたか分からないんですもんね。本当に忘れちゃダメな日です!
義援金も本当にすごいなぁと思います!これからも風化させないように呼びかけて下さい(^^)

88 ■無題

あれから7年
早かった様な、長かった様な…

震災を体験された方々は
あの日のままだったり
日々の積み重ねで7年が経った方
あの日があったから…という方も

簡単には分けることはできないが
それぞれの7年がある

震災に直接関係していない人にも
7年が過ぎた

あの日から始まった何かもある

いろんな垣根なく
最善の未来を祈っています

サンドのお二人のお姿は
本当に温かい

これからも応援しています

87 ■無題

今日で震災から7年になりますが、やっぱりこの日が来ると胸がグッとくる思いが来ます。

でも、3月11日という日に決して目を背けてはいけない。被災された地域の現状をしっかりこの目で確かめるという意味で絶対に風化させてはいけない。

86 ■東北魂!!

絶対に忘れちゃダメですよね!!私は、宮城とは反対側の秋田ですが、あの日の事は、絶対に忘れないです。サンドイッチマンのお二人も、積極的に復興支援のイベント等に参加されていて、とても素晴らしいなと思います!!お仕事、とっても忙しいと思いますが、同じ東北人として、いつも応援しています!!東北の方々へ、お笑いを通じて笑顔を届けて下さい!!お二人から元気を貰ってる方達、沢山いらっしゃると思います!!
東北限定ウーロン茶、少しでも義援金になるのならと思って、沢山買います!!w
頑張って下さい!!

85 ■無題

伝え続けてくれてありがとう。
サンドイッチマンは宮城の誇りです!

84 ■無題

初めてコメントします。東京在住です。
私は3月11日のちょうど1週間前の週末、親友と仙台に遊びに行ってました。

震災の次の日から私の携帯のGPSに変な現象が起きました。私の居場所が仙台駅なんです。何回起動しても、1週間たっても直りませんでした。docomoに持っていくと、非常にレアなケースなので預からせていただきたい、場合によっては調査のために基盤から変えさせてもらいたいとのお話があり、何か今後の震災時の役に立つのではないかと思いそのままお預けしました。無償で基盤を交換していただき、携帯自体の故障とかではないと言われました。私が仙台が好きすぎて、心が飛んでいってしまったんですかね。

震災後、都内はしばらくスーパーに食べ物がなく、1週間前に仙台で買った牛タンや笹かま、おやつは萩の月で過ごしました。仙台の食べ物に助けてもらいました。

こんなことを3月11日が近付くと思い出します。もちろん、その後も仙台には遊びに行ってます!外観は復興したように見えますが、まだまだ辛い思いをされている方々もたくさんいらっしゃることと思います。東北の皆様が心穏やかに暮らせる日が1日でも早くきますよう、祈っています。

83 ■無題

僕も復旧のお手伝いをさせてもらったことがあります。
その時出会ったおじちゃんに出稼ぎに来やがってと言われました。
なんかいい意味ですごく考えさせられました。
今は手伝いには行けませんが、まだまだ復旧、復興陰ながら応援させてもらいます
頑張れ日本、頑張れ東北

82 ■無題

サンドイッチマンさんの言葉に行動に、多くの方々が勇気づけられたと思います。
私も忘れることなく胸に刻み、これからにいかしていくつもりです。

サンドイッチマンさん、ありがとう。
大好きです。

81 ■無題

サンドウィッチマンさんが気仙沼に毎年来てくれてるのに私は今年帰れなかった、、、。
やっぱり3/11は気仙沼にいなきゃ。。
なんか、、、胸が苦しい。。
私も何かできることがあればいいのにな。。。

80 ■震災遺構

7年は長い月日なのか
あっという間なのか…


被災した建物が震災遺構として遺されていますが
一番大切なののは、私達一人一人が心の中にしっかりと遺し忘れないことではないでしょうか


私に出来る3.11

これから東京・新宿で、仙台ガールズの試合を観戦してきます
昨年は骨折していたので、松葉杖で観戦しました


月末には仙台へ行きます


被災された方々の心と生活の復興と、安心が本当の意味で訪れる日を願っています

79 ■こんにちは

私は、宮城県出身ではないのですが
宮城県には特別な思い入れがあります
人々はとても親切で暖かくて、勤勉な方が多くて…
在住している間には、本当に大変お世話になりました。
本当に良い所でした。

被災地の方は前向きに頑張っていらっしゃるのに、私はまだ直視出来ずにいます

宮城県ももちろんですが、被災地の方々皆様により良い日が訪れますようにお祈りと、微々たる応援しか出来ずに申し訳ないです…

78 ■ありがとう。

被災地気仙沼の事
いつまでも忘れないでいてくれて
ありがとう。

77 ■あの日

私はあの日仙台空港に向かっていたのですが、携帯を自宅に忘れ戻ったことで難を免れました。忘れてなければと考えると今でも恐くてたまりません。いろんな想いの人がいますが、サンドさんの発信力で多くの方が意識してくれていると思います。これからも益々のご活躍で発信をお願い致します。
漫才にも癒されます(^^)v

76 ■はじめまして

はじめまして。

あの恐ろしい震災から7年ですね。サンドイッチマンのお二人は、常に被災地と寄り添ってらして本当に素晴らしいと敬愛しています。
私は子供もいるし、大きなことはできないのですが、先月からパートを始めました。
自分で働いて得たお金を募金できるのって、ささやかかもしれないけど、自己満足かもしれないけど、とても嬉しい気持ちになります。
それもお二人が先頭にたって道を作って下さっているからです。

今年ももうすぐあの時間がくる・・・
亡くなった方々のために、黙祷します。

75 ■3.11から7年

気仙沼で伊達さんは一瞬にして変わり果てた環境を身をもって体験されたことは未だ目に焼き付いておられるでしょう。TV報道でみるより現状は悲惨な現状だった。
と当時、知人に言われました。
伊達さんが気仙沼に行き勇気付けられ方々が、今もいらっしゃるでしょう。
そして家族を一瞬にして亡くした子供達は泣けなくなりカウンセリングを受けている現状に悲しさを感じています。
また、避難した都道府県ではイジメにあいなが亡くなった人の分頑張る!情けはない人達の中で生活している子供達もいる。
3,11は私も忘れませんので、伊達さん、これから気仙沼の方々に笑いと勇気を与えてくださいね。

74 ■私も忘れない。

これからも微力ながら 寄り添い 応援していきます。

73 ■特別な一日

今朝、糸井さんとのぼくらの時代も拝見致しました。東京の片隅で暮らす私にも、あの1日は忘れる事は出来ません。これからもどうか東北の皆様に寄り添って、時々忘れてしまいそうな、皆に声を掛け続けて頂きたいと思います。私も多くの事は出来ませんが、少しだけお役に立てるように生きていきたいと思い続け7年目の今日を迎えております。職場におりますが、時間には祈りを捧げます。お体ご自愛下さいね。

72 ■頑張ってください

今朝
ぼくらの時代みました!
(毎週見てます)

糸井さんとの会話、震災を目の当たりにしたお二人のお話はリアルであり、7年変化を見られて感じること私たちに伝わりました。
なかでも
復旧のゴールはあるのか?という疑問で
マラソンに例えたら、ゴールテープが永遠にない!
そんな例えでした。
まだ7年、いやもう7年??
まだまだ復旧は続いてます。
お二人の東北魂これからも
ずっと応援させていただきます!うまく伝えられなくすみません。
でも朝から感動しました。頑張って下さい❗️

71 ■こんにちは❗

3月11日のあの日を時々思い出します

春になったら相馬の友に会いに行きます
海に向かって名前を呼んで黙祷します

まだまだ先は見えないけど前に歩きましょう

サンドさんのライブにも行きますよ

70 ■無題

今朝のボクらの時代見ました。
途中から涙が止まらなくなりました。

そしてこのブログを読んでも(涙)

私は宮城出身の神奈川在住です。
7年前にはもう宮城には居ませんでしたが、母姉兄は今も住んでいます。
あの日の事を思い出したり、映像を見たりすると、今でも苦しくなり涙が溢れてきます。
いつも遊びに行ってた場所、花火を見に行った場所、ご飯食べによく行った場所、キャンプした場所、デートした場所、プロポーズされた場所、そんな色々な想い出がある所が無くなってしまった。でも少しずつ少しずつ復興されている。

人は強いですよね!
みんな優しいですよね!
生きている限りあの日を忘れる事はありません。
あの日の想いを胸にこれからも生きていきます。

ずっとずっとサンドイッチマンを応援しています!

69 ■無題

『東北魂』応援してます。

68 ■黙祷します!

あの3月11日は忘れもしません!
北海道に住んでる此方まで揺れました!
地震発生からのニュースを観ながら驚きと怖さでドキドキしたのを覚えてます。
此方で黙祷します。

67 ■はじめまして

いつものご活躍拝見しております
震災の事を思うと、いつも心が痛みます
日常の仕事。主婦ですので、
掃除洗濯等々、出来ることに感謝
夜、家族が揃うことに感謝
喧嘩する家族いて感謝
愚痴を言える環境に感謝
感謝感謝です
忘れがちですが有り難い事ですよね

66 ■無題

いつもご支援ありがとうございます。

私は、この日は静かに迎えたいかな…という気持ちです。
宮城県に住んでいれば震災のことなんて忘れようがないし、日頃から考えています。
むしろ、この日は世間で「震災、震災、震災」…この文字が多すぎて
胸が押し潰されそうになります。受け止め切れません。

むしろ、3.11というのは被災地外の人達が震災を考えるための日なのかなという気がします。
この日本に住んでいる限り、どこで震災が起きるか分かりません。
他人事と思わず、しっかり備えて頂きたいです。そういうことを考える日なのかな、と。

65 ■ありがとうございます

私も気仙沼です。震災でいろんなものをなくしました。今年もまだ仮設から脱出できませんでした。あの時、命懸けで逃げて、生き延びたのだから一生懸命行きようと思います。伊達さん、富澤さんひさいちをおありがとうございます。もってくれて

64 ■こんにちは。

初めてコメします。



丸7年ですね。

地元、気仙沼なので
毎年あのサイレンの音を耳に
するたび
あの日のことが鮮明に
思い浮かばれます。

復興が進み、少しずつですが
変わって行くこの町を
目にすると、うれしい反面、

震災前の町並みが時々
思い出されてふと
寂しく感じることもあります。

でも、時に思いだし
涙してもそれでも

前向きな気持ちで
笑顔で今日からまた、生き続けて
行こうと思います。

63 ■はじめまして

はじめまして、ヨシと申します。
私は宮城に住んでいます。 あの日…私は仕事で工事にいました。そして、母親は1人家にいました。
築年数の古いアパートだったので、壊れてはいないか、母親は大丈夫かと、そればかり心配でした。
急いで家に戻り母親の顔を見て安心しました。
母親も同じで、私の顔を見るなり泣きました。
アパートは、なんとか大丈夫でした。暗くなっていく部屋…ローソクの灯りで過ごす日々…当たり前が当たり前じゃなくなった日…
会社の同僚が津波の被害に遭いました…その訃報を聞いた時は涙が止まりませんでした。
沢山の方が犠牲になってしまった日…。
あれから7年…早いような…まだ7年…のような感じがしています。
生きていられる事に感謝して、今日を過ごしたいと思います。

62 ■本当にご苦労様

初めまして、お笑いであること。いい人を上手く掻い潜ってこれからも身体に気を付けてください。応援します。

61 ■無題

自分は北九州ですが、震災があった時に
何をして、東北のお力になったらいいか
記事を見る度に涙が出ます。昨日福岡の
番組、土曜日もアサデスに、東北未来塾で
紹介された、架け橋ハウスされてる同じ
北九州出身田中さんが、出てました。
気仙沼はサンドのお二人も震災あった場所
だけど、同じ地元からも釜石に派遣に
行ったり、復興イベントしてくれたり
しってる方が、炊き出しに行ったり
当たり前の事が、まだ出来てないけど
今応援出来る事をしました。
離れていても絆の輪が深まってるなって
思います。本当、今日3.11は忘れる事は
出来ないです。落ち着いたら、気仙沼に
も行きますね。

60 ■無題

こんにちは。わたしも仙台で仕事中でした、帰りは2時間かけて歩きました。やっぱり、この日は、顔が、気持ちが、ギュっとなります。

59 ■あの日亡くなった方々へ

あの日実際には自分自身に被害は無かったけど遠く離れた場所でも凄く大きな揺れに驚きました自分が生きている限りは震災の事を忘れず生きているありがたみを感謝したいと思いますそして出来る事があれば復興を応援したいと思います

58 ■無題

私ごとですが、ガンになり、ただ今2回目の手術が終わり入院中です。
朝一、黙祷しました。
ガンなんかに負けてられないとおもいます。。
3月11日、あのひのことはっきり覚えてます。

57 ■無題

お二人からどれだけの人がちからをもらっているか。被災された方々はもちろん、そうでない人も。だからすごいのはもちろんなんですが、こうやって人は支え合って力を出し合って歩き続けるのだと、改めてありがたく、生かされていることに感謝の朝です。

56 ■これからも

復興に区切りはないと、サンドイッチマンさんの言葉が響いています。当たり前のように復興支援されてますが、なかなか継続は、難しいとおもいます。津波の恐ろしさは、経験されたかたしかわかりませんが、私もできることを少しでもやっていきたいです。

55 ■黙祷

もうあれから7年…
早いものですね。
サンドウィッチマンのお2人の活躍もあって復興が進んでいます。
犠牲になった人達は帰らないけど、元の美しい東北が戻る事を願っています。

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