僕たち日本人は今、東日本大震災を背負って生きています。
いや、震災の前から震災は既にあったと言うべきでしょう。ただ、それを背負っていると言う認識を持てないでいたわけです。震災は、我々の想像の中の防波堤が、防いでくれるはずのものだったんです。
停止時計
何年たってもあの日のことを常に考えている方がいらっしゃいます。そんな方々の時計は、震災当時で止まっています。
しかし、震災で止まった時計とそうでない時計があるように、人々の時間は残酷に、それぞれ違うペースで進んでしまうものです。
「震災を忘れないでほしい」という声は、毎分毎秒被災地のことを考えてほしいと言っているわけではありません。そもそもそんなことは大半の日本国民にはできないですよね。
じゃあ、我々はどうするのか。
止まらない時計を
僕は「忘れない」をこう解釈しています。
「次は、時計を止めさせるな」
自然、あるいは社会において、「停止」は「衰退」を意味します。停止した生命は食物連鎖で分解され、停止されたコミュニティは周囲から取り残され、簡単に人が戻らない死んだコミュニティになってしまいます。東日本大震災では、こうした「停止事例」が多発してしまいました。
「忘れない」とは、震災を背負って生き残った我々一人一人が、同じようなことが再び起きた時、助かり、そして生き抜くことだと思います。
震災の「経験者」を継いでいこう、と言うことです。これは人命保護や被害の抑制だけでなく、コミュニティの再構築や復興までを願うものです。
簡単には超えられない課題です。それでも、超えなくてはならない。
これが、生き残った僕たちが背負う、今の震災なのではないでしょうか。