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あの日から、笑ったことは一度もない。 震災PTSDのいま

「Jアラート」で発症するケースもある。

震災から7年経っても、心の傷が癒えていない人たちがいる。なかには、新たに心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断を受ける人も、だ。

これは災害があれば当然のことだ。ただ、津波に加えて原発事故の複合災害に見舞われた福島では、その分ストレス要因も複合的になり、PTSDを抱える人の割合が多くなるとみられている。

患者の人たちは、いまをどう生きているのか。そして、いま何が求められているのだろうか。福島県相馬市のメンタルクリニックを訪れた。

毎日のように蘇る、あの日

「震災前は幸せでした。でも、心のそこから笑えたと思ったことは、あの日から一度もないですね」

そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、相馬市に暮らす男性(61)だ。医師から、PTSDの診断を受けている。フラッシュバックなどの症状があるからだ。

いまでも毎日、遭遇した津波の光景が唐突に蘇るという。それも、1日に何回も。

「あのときの記憶だけは、いまもはっきりと覚えているんです。それはもう、恐ろしいことですよね。経験してみないと……わからないと思いますが……」

地震の直後。海際に住む母親の様子を見にいこうとして、渋滞に巻き込まれているさなかのことだった。

いきなり現れた、見たこともない黒い水の塊。目の前に並んでいた救急車やタクシーなどが飲み込まれていった。

「津波とは認識できなかった。みんな、巻き込まれてしまった」

男性はあわててハンドルを切り返した。奇跡的にも、濁流は車を高台に運んだ。避難していた数人とともに、波に飲み込まれていくまちの様子を、見つめた。

車から、人から、漁船から。何もかもが、流されている。その中には、赤ちゃんを抱えたお母さんもいた。あたりには、雪が吹きすさんでいた。

「同じ人間が、目の前で流されていくんですよ。本当に、寒かった。この世の終わりって、こんなものなのでしょうね」

原発事故から逃げようとした

津波でひとつ、深い心の傷を負った男性は、さらに追い討ちをかけられることになる。原発事故だ。

知人から、「逃げた方がいい」という噂を聞き、幼い娘や親戚を連れて、車をひたすらに走らせた。

しかし、道中では何度も宿泊を断られた。「福島から来たのなら、放射能が心配だ」。そんな差別をされていると感じ、傷ついたという。

明け方にようやく泊まることができたホテルも、たった4時間ほどの滞在で、8万円近くの宿泊費を取られた。背中を銃で撃ち抜かれたような感覚を覚えた。

「それから、人が信じられなくなってしまったんですよ」

その後、福島市内の親戚のアパートに暮らすことになった。1ヶ月にわたって、ワンルームの部屋に7人で暮らした。見えない恐怖に苛まれる、「悲惨な暮らし」だった。

男性は震災前から、妻とともに、スナックと人材派遣会社を経営していた。復興特需で事業は「毎日数十万円」という稼ぎも出たが、気持ちは滅入るいっぽうだった。

人に会いたくない。そんな気持ちが強くなり、家族との関係は悪化。離婚し、仕事もすべてたたんでしまった。自殺も試みた。でも、死ねなかった。

何もやる気が起きない。夜になると、津波や遺体捜索のこと、亡くなった友人たちの顔が頭に浮かんで、寝られないーー。

病院に通うようになり、薬を飲む事で少しは改善されたが、人付き合いがうまくできないままだ。最近では毎日、アパートにこもって、「何もせずにぼーっと」している日々が続いている。男性は言う。

「あの日を境に、何もかも変わってしまった。もう、生に対しての執着はないんですよ」

逃げることはできなかった

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支援者側として、心に傷を負っている人もいる。

相馬市に暮らす女性(53)も、やはり震災後にPTSDとの診断を受けた。この女性の場合は、津波に巻き込まれた経験はなく、家も家族も無事だった。

「みんな、捨てられていったんです」

老人保健施設で介護士として働いていた女性は、震災直後から、家に帰ることもなくひたすら働き続けていた。

普段の業務に加え、併設する病院には遺体やけが人が次々と運び込まれていたからだ。とても人手は足りず、ずっと、泊りがけだった。

「テレビを見る余裕もなく、原発が爆発をしたことは知りませんでした。ある日、消防の人たちが窓を全部閉めて換気扇も止めるようにと伝えにきたのですが、防護服を着ていて。私たちは普通の格好をしているわけですよね。何がなんだかわからなくって……」

1号機が爆発した日のことだ。

この日を境に、スタッフたちが減っていった。もともとは40人いたはずが、いつの間にか10人に。多くは何も言わずに、消えていった。信頼していた仲間に裏切られた、という気持ちが膨らんでいった。

「私は責任感が強いタイプで、逃げられなかった。でも、同僚には『死のうが何しようが、俺は逃げる』と言っていたんですよね。人って、信じられないな、とショックを受けました」

まるで「姥捨山」だった

避難するさなか、高齢者を預けにくる人たちが相次いだのも、トラウマだ。

「『年寄りは連れていけない。お願いします』と、家族がどんどんおじいさん、おばあさんを預けに来たんです。こちらは、断るわけにはいかないですよね。まるで、姥捨山ですよ」

もともと90人ほどを入所していたが、その人数は150人にまで膨れ上がった。100床しかない施設で、だ。

食べ物やおむつなどの備品ほとんど底を尽きた。少なくなった職員による限界ギリギリの業務は、自衛隊のヘリによる移送作業が終わるまで、1週間ほどそうした日々が続いた。

健康や環境の変化のため、移送先で亡くなってしまった入所者も、少なくない。女性は自責の念が拭えないままにいる。

「あの時、私が食べるご飯を減らして入所者に渡していれば。移送に反対して、ずっと付き添っていれば。亡くなる人はいなかったんじゃないか、できることはもっとあったんじゃないかと、ずっと考えてしまって……」

震災から2年ほど経って、当時のことを思い出し、寝られなくなった。食事は喉を通らず、外にも出られなくなり、人も会えない日々が続くようになった。

「今までは普通に生きてきたんですけど、あれから、前向きになれないんです。人も信用できないままですね」

毎年「あの日」が近づくと、いやでも思い出してしまう。薬の処方を受けて症状は緩和されたが、いまも気持ちが晴れることはない。

複雑化したストレス要因

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「震災から7年を経ても、PTSDを発症することがあるんです」

相馬にある「メンタルクリニックなごみ」の現院長・蟻塚亮二さんは、BuzzFeed Newsの取材にそう語る。

「なごみ」は震災後の2012年にオープンした。もともと精神科医療機関がなかった地区だったが、原発事故で近隣地区の病院などが診療停止になったことから、地域の精神医療の拠点としてつくられた施設だ。

開院以来、受診した人たちは2700人を超える。毎月診療に訪れるのは700人程度で、「街の規模からみても多い」(蟻塚院長)。

患者全体のうち震災によるPTSDの割合は集計できていないが、フラッシュバックや不眠、パニック障害、抑うつなどの症状を訴える人は少なくない。

「震災の被害を受けた人たちの中で、症状が潜在化している人は間違いなくいるでしょう。特に福島の場合は、津波だけではなく原発災害も重なったことから、生業や故郷を失うなど、ストレス要因が複雑化している」

「火事で家を燃やされたあと、今度は原発が爆発するといったら、どうしようもなくなってしまうでしょう。シングル、ダブル、トリプルとストレスがかかると、人間は破綻してしまうんです」

実際、生業や故郷を失った避難者に至っては、2017年現在でも47%がPTSDのリスクを抱えている、という研究結果(早稲田大学・辻内琢也教授)もある。

「Jアラート」で発症した人も

7年経っていても、発症のリスクが低下しているわけではない。日常のなかふとした弾みで症状が出てしまう人もいる。

一時帰宅した際に、家のまわりに動物が大量にいたことから、パニック症状が出てしまった人。「Jアラート」の警報音で震災当時の記憶がフラッシュバックし、不眠症状が出てしまった人——。

いずれも、最近になって診断を受けた人たちだ。

「PTSDはいつ、発症するかわからないのです。子ども時代や若いころに戦争を経験した人が、社会に出たあとや、高齢者になってから発症するケースもあった。福島で同じことが起こらないとは限りません」

沖縄戦で心に傷を負い、のちにPTSDを発症した人たちの診療を続けていた蟻塚さんは、そう警鐘を鳴らす。

こうした発症は、「遅発性PTSD」「晩発性PTSD」と呼ばれる。ベトナム戦争の帰還兵にも、戦後数十年経ってからPTSDを発症する人もいたことがわかっている。

リスクがあると知っておくこと

なかでも、心的外傷は子ども時代につきやすい。

沖縄戦被害者のケースでは、リスクが一番高いのは当時14歳の人たちだった、という。それゆえ、震災当時にその年代だった人たちのリスクを懸念している。

「10年経っても、50年経っても、リスクがなくなるわけではない。大切なのは、その可能性がありうるのだと知っておくこと。『自分だけでじゃないんだ』という気づきを得ることは、大事なことです」

PTSDの影響は、患者個人だけに止まるものではない。たとえば先出の男性のように、家庭不和や離婚につながることもある。

DVや虐待の増加、さらにはそれを通じて世代間でトラウマが連鎖してしまう恐れも、だ。子どもたちの場合は、いじめや不登校に走るケースもみられている。

蟻塚さんは、こう言葉に力を込める。

「いま、ここに暮らす人たちの心の中で、何が起きているのか。将来のリスクを減らすためにも、しっかりとした調査をすることが求められるのではないでしょうか」

津波、そして原発事故。未曾有の複合災害は、その地域全体を傷つけた。人々の心は、簡単に癒えるものではない。「時」ですら解決できないものが、あるのだ。


BuzzFeed Newsでは【原発避難者の半数がPTSDリスク。調査から見える「心の傷」】という記事も掲載しています。


Kota Hatachiに連絡する メールアドレス:Kota.Hatachi@buzzfeed.com.

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