また、この日が来た。
そりゃ、あの災害を忘れないようにしようとするのも結構だが。その一方で忘れてしまいたいのも事実。オレが被ったヒデえ事件を以下列挙すると、こうなる。
第十位 家に帰れない
→津波被災のため、三日間国道が閉鎖されて家に帰れず。自衛隊の尽力で瓦礫が撤去されて家に帰れるようにはなったが、家には電気・水道・ガスも通っておらず結局なんでも揃ってる職場に一週間寝泊まりした。
第九位 物資が入らない
→震災直後、職場の目の前の国道が通行止めなったモンで、車を職場の駐車場に乗り捨てる不届き者がいないように見張りを頼まれた(独りでできる仕事か?)。で、駐車場の入り口で突っ立ってたら。目の前のコンビニに人が殺到して次々物資を買いあさっていた。「あー、こんな仕事してるせいでコンビニにも行けねえんだな。」って落胆。実際、復旧するまでの一週間。店でモノ買った記憶がない。
→でも、意外と支援物資が早く届いた。確か三日後には来はじめてた。ある日、水とインスタントラーメンが大量に届いたので、倉庫に職員のみんなで運んでいたときに。それ見てた職場のテナントの方が「実は私、避難所にいまいてて...。すみませんが私たちにも分けてもらえませんか?」と頼まれたけど。今後どうなるか検討もつかなかったオレは露骨に断った、ひでぇ事したなと今でも後悔してる。
第七位 インフラが壊滅
→電気・水道・ガスが止まるのは勿論の事、固定電話も不通。携帯電話も頼りない状況の頃。NTTが公衆電話に「お手紙ボックス」みたいなのを付けて郵便のようなサービスをしてた。もちろん、誰も使う人なんていなかった。
第六位 お役所が何もしてくれない
→震災当日、職場と関係のある役所がちっとも来てくれない(しかも電話が通じない)。しびれを切らして、職場の有志が
不通になってる国道を迂回して、瓦礫の中を5キロ歩いて役所に行ったら。全員、ショックを受け止められなかったか、唖然とした顔でデスクに固まっていた。使えねえ。みんな、今度生まれ変わったらお役人さまになろうな!
第五位 人の本性が丸出し
→日頃、仕事しない奴が昼はデスクでボケーっといてて。夜は定時でその辺のソファに毛布しいて寝てる生活を一週間繰り返してた。
→職場が24時間体制になって、夜シフトもあったんだが。普通は夜勤明けは寝られる筈なのにそのまま仕事させられた。夕方になって、急にシフトが変えられてまた夜勤させられた。
→その年の一月に別れ立ての彼女の家が津波で全損、「何かオレにできることはないか?」と携帯電話が復旧した頃メールしたけど。すんげえビジネスライクにお断りされた。フェーズは二次被害に進行していた。
→それから半年が経って、東海地方のある市長が被災地をバッシングした発言したのにとてもブチ切れてしまい。市役所に怒りの電話を入れた。でもよ、日曜日に電凸しても警備のおじさんが困るだけなんだよな。そういう訳で、市役所に電凸する時は平日にしよう(営業妨害だけど)、おじさんとの約束だよ!
→周知の通り、東日本大震災と原発事故がセットで起きたせいで。特にTwitterで「放射脳」がやたらイキってて、たまにバッシング先が我々被災者になって、しばらくSNSから遠ざかってた。
→当時、少しでも情報がほしくて入ったコミュニティでアンチが荒らしてて。とってもムカついたので特定作業を行って、そいつの通ってる専門学校に「お宅の生徒がイキってるんですが」とお知らせしたら、大人しくなった。なんでかな?
あー、思い出してくると色々腹立ってくんな。
あと、こういう時だけブログとかで「お悔やみ投稿」する奴がキモいんで、増田で長々と書いた次第。
報告ご苦労。 そんなくだらないことはさっさと忘れたまえ。 ふぉあげっと!!!!