津波で原発の全電源が喪失
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2011年3月11日の東電福島第一原発事故の発生から「88時間」を中心に、2018年の今と「同じ時刻」の出来事を表示していきます。(自動更新するには「最新の情報をみる」を押してください)
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2011年3月11日の東電福島第一原発事故の発生から「88時間」を中心に、2018年の今と「同じ時刻」の出来事を表示していきます。(自動更新するには「最新の情報をみる」を押してください)
津波で原発の全電源が喪失
2011年3月11日、日本を襲った巨大地震と津波によって、世界有数の原発、東京電力福島第一原発が未曾有の危機に陥りました。
放射性物質の大量放出を食い止めようと、自衛隊やアメリカ軍なども出動し、大規模な作戦を展開。収束までに9ヶ月を要しました。
このサイトでは史上最悪レベルとなった原発事故の現場で起きたことを、危機が最も深刻化した地震発生からの88時間を中心に、2018年の今と「同じ時刻」の出来事を自動更新で表示していきます。
3月11日午後2時46分以降、原発事故の出来事が表示されていきます。表示を自動更新するには「最新の情報をみる」を押してください。(スマートフォンでは左上のボタンを押してください)
【2011年3月11日(金)午前のニュース】
多くの公立中学校で卒業式(3/11 9:00)
【3/11午前のニュース】
あす12日の九州新幹線全線開業を前に、JR九州唯一の新幹線の総合車両基地、熊本市の「熊本総合車両所」で新幹線の車両14編成が並ぶ。(3/11 11:00)
【3/11昼の主なニュース】
●菅総理大臣 在日外国人からの政治献金指摘について参院決算委で説明
●ニュージーランド地震で日本の国際緊急援助隊が活動終了
●野田財務大臣 政党支部にNPO法人から献金。政治資金収支報告書を訂正
福島第一原発は6基の原子炉を抱える世界有数の原発だ。半世紀近く、首都東京の電力をまかなってきた。この日(2011年3月11日)は1号機から3号機、3つの原子炉が運転中だった

巨大地震発生の1時間前
この日(2011年3月11日)、福島県浜通地方は日中になっても10度に届かず、冬に逆戻りしたような肌寒い天気だった
1号機から3号機までの3基の原発は、定格の出力でフルパワー発電を行っていた。
福島第一原発全体では、いつもより多い6350人もの人が働いていた。
1,2号機の中央制御室では、この日も52歳の当直長の指示のもと、総勢14人の運転員達は、いつもと同じように決められたマニュアルに従い、整然と業務をこなしていた

巨大地震発生の30分前
それは午後2時46分に襲ってきた。
国会中継中に緊急地震速報のテロップ(14:46)

地震が起きたとき国会では、菅総理大臣とすべての閣僚が出席して参議院決算委員会の審議が行われていた。
委員会室の中でも激しい揺れで、審議は中断。

東日本大震災発生(3/11 14:46)
1,2号機の中央制御室を突然大きな揺れが襲った。
14人いた運転員のうち何人かが思わず操作盤のレバーを強くつかんだ

運転員の証言「今までに経験したことのないような長い揺れでした。揺れがあまりにも長くてレバーを握ったまま座り込んでしまいました」
東電社員の証言「揺れの最中から、アドレナリンが大量に出たのか恐怖感はあまりなく、妙に冷静だったような気がする。まるで夢の中の出来事のような…」
当直長「みんな、落ち着け!まずスクラムを確認!」

スクラムとは、原発の核分裂反応をとめるために制御棒を原子炉に挿入すること

原子炉の様子を示すパネルがすべて赤く点灯。スクラムが成功し、原子炉が止まった
運転員「当直長!外部電源が喪失しています!」
外部電源の喪失は誰もが初めての事態だった
当直長「非常用DG(ディーゼル発電機)確認して」
ディーゼル発動機が起動
運転員の証言「まだ警報器はいっぱい鳴っていました。しかしスクラムに成功し、電気を確保することが出来れば、あとはマニュアルに従ってゆっくりと設備の状態を点検していけばいいんです」
次々と襲う緊急事態にも、運転員は粛々と対応していた。
次は、原子炉の温度を現在の約300度から100度以下に下げる必要があった
建屋内にいた作業員はアナウンスで指示を受け屋外に避難

緊急地震速報が出たことにより、国会中継から急きょスタジオでの放送に切りかわった。

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気象庁 岩手県・宮城県・福島県に大津波警報を発表(14:49)

福島県郡山市役所で激しく揺れるフロアの映像。マグニチュード8.8という超巨大地震が起こったことは判明したが、この激しい揺れがどこでどんな被害をもたらしているのか、この段階では全くわからない状況だった。

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宮城県 仙台市役所の被害の様子

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運転員「1号機のIC(イソコン=非常用の原子炉の冷却装置)起動しました」

非常時に原子炉を冷却する1号機の装置が自動起動(14:52)

原子炉の温度がゆっくり低下
張り詰めていた中央制御室の空気がゆるんだ
気象庁「大船渡市で20cmの津波観測」(14:59)
中央制御室から350メートル離れた免震重要棟には、

吉田昌郎所長ら幹部が次々に到着した

15時すぎ 三陸沿岸に津波が到達 岩手・久慈港にも波が押し寄せる

東京・お台場地区で起きた火災をカメラがとらえた。

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【あの日わたしは】

岩手県大船渡市で、小学校の校長を務めていた今野義雄さん。地震からわずか25分後に津波が押し寄せ、校舎は全壊。児童も含め全員無事だったのは、2日前に起きた地震による避難訓練が功を奏したと振り返る
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岩手県釜石市 岸壁を乗り越えて、波が流れ込む

気象庁 津波予想高さ引き上げ(宮城10m以上、岩手・福島6m)各地で3m超の大津波相次ぎ観測(15:14)
岩手県宮古市などに津波押し寄せる

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岩手県釜石港 押し寄せた津波で多くの車が海水に浸かる

岩手県釜石市内に激しく入り込む波

ごう音とともに津波にのみ込まれる釜石市の住宅地

大きな船が、工場のタンクが、桟橋が、次々と津波にのみこまれた。

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原子炉の温度は運転中の300度から180度程度まで下がり、順調に冷却
「事態はこれまで想定してきた範囲内におさまっている」中央制御室も司令塔の免震棟もそう感じていた
しかし津波が福島第一原発にも迫っていた
千葉県銚子港 波に流され岸壁にぶつかる船

気象庁 津波予想高さ引き上げ(岩手から千葉10m以上)(15:30)
宮城県気仙沼市 工場のタンクが流され、陸地にも水があふれる

【あの日わたしは】

岩手県大船渡市の精密機械工場に勤めていた葉澤健一さん。地震の後、車いすを押してもらい、かろうじて高台に避難した。
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【あの日わたしは】

宮城県女川町の佐々木里子さんは自宅にいた。「これくらい大丈夫だ。お前、先に逃げていろ」と言う両親を家に残して高台に着くと、女川の町は水の中に沈んでいた。
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宮城県気仙沼市 流される桟橋

福島第一原発に高さ約6メートルの津波が到達(15:35)

高さ11メートルを超える津波が襲来

中央制御室のランプが次々に消えた

津波によって電源が失われていった。
津波で原発の全電源が喪失(15:37)
運転員の証言「何が起きたのか、まったくわかりませんでした。目の前で起こっていることが、本当に現実なのかと思いました」

当直長「SBO!(全交流電源喪失)、非常用発電機が落ちました」
最後の砦だった非常用ディーゼル発電機が、何らかの原因で発電ができなくなり、すべての電源が失われた
腰からずぶ濡れになった運転員が「やばい、海水が流れ込んでる!」と大声で叫びながら中央制御室に入ってきた

福島第一原発を襲った津波の第2波は13メートルを超え、防波堤を乗り越えて敷地に流れ込み、海側にあるタンクや付属機器をなぎ倒しながら、タービン建屋や原子炉建屋に襲いかかった

建物には最大50トンをこえる水圧がかかったと見られている

大量の海水が建屋内部に流れ込み、次々に電源盤が使用不能に

何重もの防護システムで守られ、過酷事故は起きないと国と原子力関係者が言い続けてきた、日本の原子力発電所の”安全神話”はもろくも崩れた

東京電力 災害対策特別措置法に基づく10条通報を原子力安全・保安院に(15:42)
人であふれる東京・新宿駅

暗闇の中で運転員達が懐中電灯などの灯りを頼りに、過酷事故の対応が書かれてあるマニュアルを調査

しかしすべての電源を失った緊急事態の対応は記されていなかった
運転員の証言「やれることはもうほとんどないという思いを持った」
1号機と2号機の非常用の冷却装置は、ランプが消えていたため動いているかどうかわからなくなった。
しかしこのとき吉田所長以下、免震棟の幹部は、1号機の冷却は続いていると考えていた
北海道 十勝港に津波到達

青森県 八戸港に津波が到達。船が岸壁に打ち寄せられる

宮城県仙台市・名取市 名取川を遡上した津波は濁流となって、河口付近の畑や住宅をのみこんでいった。

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気象庁「M8.4に修正」(16:00)
福島県南相馬市 港に押し寄せた津波

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福島県 小名浜港でも大きな被害

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16時すぎ、東京電力本社が全国各地の支店から電源車を福島第一原発に派遣するよう指示。東北電力にも協力要請
原子炉の冷却作業に携わる可能性のない社員や作業員、5000人余りはバスやマイカーで原発を後に

宮城県仙台市・名取市 名取川河口に津波の第二波、第三波

千葉県市原市 黒煙をあげる石油コンビナート

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冠水した仙台空港

気象庁、地震の名称を「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」に(16:20)
震災の名称は、その後2011年4月1日の閣議で「東日本大震災」とされた
宮城県亘理町 浸水した住宅街 建物の上に人の姿

揺れるカメラ 福島第一原発の映像

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福島県南相馬市の被害状況

東京電力が福島第一原発1号機と2号機の15条通報を原子力安全・保安院に。原子力緊急事態宣言(16:36)
原子力で緊急事態が起きたときには速やかに国に連絡を入れることになっており、国内でこの通報が出るのは初めてだった。
東京電力・小森明生常務「これはえらいことになるかもしれない、と思いました。電気がないということは絶対にあってはならない状況です。まずは詳細を分かりたい、その一心でしたが、通信網が断絶していて、ままならない状況が続きました」
津波は青森県八戸市にも押し寄せ、漁船が岸壁に乗り上げ、家屋も流された。

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暗闇に包まれた中央制御室で運転員「1号機の水位計が見えました!」
バッテリーの一部が一時的に復活したようだった。
原子炉の水位は、津波が来る前より、1メートル90センチも低くなっていたことを示していた。これは1号機の冷却装置が動いていないことを示す重要な情報だった。
NHKが専門機関と行ったシミュレーションでは、この時点ですでに水位は燃料の先端まで下がっていたと推定されている
