anond.hatelabo.jp
なんか東たちと話が噛み合ってなくない?
1.反論対象と話が噛み合ってない
クリストフは王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独な変人だけど、仕事と家族を大切にしている。
そこらの王子様モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま、人間らしく描かれていると思う。
ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。
そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性の心理っていったい何なんだろう???
これは酷いよ。
東たちはヒーローを求めてはいないじゃん。
あの映画についてもそこを不満に思ってるわけではないじゃん。
ちゃんと東たちの主張読んだ?
東浩紀さん(以下、東):僕たちの共通意見としては、まずクリストフがかわいそう過ぎるのではないかと。アナとエルサの仲の良さを描きたかった映画なのはわかる。それなら最後にクリストフをダッシュさせることはないのではないかと。
東:エルサとアナが姉妹だってことになってるけど、母と子だったらリアルだよね。「あれ? 俺いらなくね? すみません!」。出産もそうだよね。すごい勢いでダッシュしても、「子ども生まれる! えっ生まれた? あっ俺ら関係ないですよね〜」みたいな。
夏野:しかも、それだけ一生懸命やっても「あなた間に合わなかったよね」ってめちゃめちゃ言われる。どんなにやったって浮かばれない。
こう言ってるよ。
「脇役にしてもやけに惨めな姿に描かれてないか」と。
当人なりに必死に動いたけど実は主体的な解決能力を与えられておらず、ダッシュは徒労である。主役級の露出でありながら、大団円でも「ご苦労」と褒美与えられて終わるだけの存在。
あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。
日本では特にその傾向が強いのではないかと思う。
繰り返し。
東達はヒーローやプリンスを求めてる?
もしくは、男はヒーローやプリンスを求めてるんだとか言ってる?
そうかなあ?
東:(中略)この間まで、ディズニーは王子様を出していたけど、90%の男たちがついていけないと。「俺に王子とか、無理無理」。ちょっとマーケットが引いてきたので、90%の男たちに向いてきたと。
こういう見解のようだけど。
2.アナとエルサは「ありのままのわたし」?
そんな感じで「脱プリンセス・ありのままのわたし」運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーロー・ありのままのおれ」運動は全然進まないように見える。
こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、
ちょっとまって、もしかして
アナとエルサは「ありのままの等身大に描かれている」のにって話なの?
その2人はあの大災害を終結させちゃうんだからヒーローの力の持ち主では?
しかも美しいんですが?お姫様ですが?
あんなのが「ありのままのわたし」なわけないじゃんよ。
そんな女が何人いるというのだ。
すごいな!あんな可愛くて美人で有能で世界を思い通りに動かす超人的な女を「ありのままのわたし」って言ってんのか。
妄想だよそりゃ。
この書き手の高揚感って一昔前の無邪気な男がヒーロー映画を見て自分を同化させて気分よくなってるのと同じやつだ
黒瀬:確かに、今までディズニーはすごく抑圧的に女の子を描いてきたから、それへの批判に応じるために、女の子の物語を作るのはわかるんです。けど、女の子の物語を作るからといって、男が全く必要ない物語にしてしまってはダメでしょう、ということですよね。それでは今まで男が女にやっていたことを、単にひっくり返しただけになっちゃう。
この危惧の通りのとこに陥ってるようにしか見えない。
昔男性がヒーロー的な男の物語に接して「これが男だ!」と気が大きくなったりしてたように、書き手は女がヒーローな映画としてのアナやエルサを「これがありのままの女だ!」って気が大きくなってるだけでは?
期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧からの解放だと描くこと。
それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。
うっそでえ~~~~。
抑圧を感じてる女性はいっぱい居ても、「私、プリンセス像を期待されてる」なんて感じてる女性はいないだろう。
いないよね?
「プリンセスを期待されてる」と思ってた女性も、「アナやエルサのように可愛く美人で一度荒れれば国中を巻き込み収拾に向かえば事態を思うままコントロールする超人がありのままのわたし」って思ってる女性も、それは相当な妄想癖や自意識過剰であって*1、そんな人がそれほど大勢いるとは思えない。書き手の特異な見解でしょそれ。
3.ヒーロー妄想の単なる逆転
ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。
リアリズム映画として全員が脇役みたいな映画(最近だとシンゴジラとね)はあると思うが、アナ雪を男女論として論じ、ヒーローのようなアナやエルサを「ありのままのわたし」と寝惚ける同じ口で脇役のクリストフを「ありのままのおれ」だよっていうのは、
黒瀬が危惧した通りの単なる異性を蔑ろにするヒーロー妄想の男女逆転では。
ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀にアナログすぎる。
あんたが「ありのままのわたし」として認定したエルサの力はハリウッド暴力映画でもなかなか出てこないぐらいの超暴力なんですが。あんたのような消費の仕方で見るならエルサは嫌ボーンとか俺TUEEEに近いよ。
自分を理解せず受け入れない世間に背を向けて本当の力を振るったら社会が震え上がるほどパワフルで、みんなが謝りに来て機嫌を戻してやるんだけどなんか正義としてたたえられるつつ都合のいい悪役(実力的には相手にもなってない)がしょっ引かれて大団円、みたいな。セカイ系となろう小説のあいのこみたいだ。
多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会の解体が、今世界的なムーブメントになっている。
あなたの説明を聞いてる限りだと、あなたはアナとエルサの超人としての側面に女を同一化して自尊心を得てるようにしか見えない。「ウーマンパワー!」「ブラックパワー!」みたいな。
4.同じ申し立てでも扱いの違うはてな
東たちの言ってる「クリストフの扱いが可哀想」っていうのが今回盛大に馬鹿にされてるけれども、かつて同じことを書いてたブログがそっちは大賛同だったんだよね。
semimaruclimb.hatenablog.com
どうしてこんなに違いが出たのかっていうと、
クリストフを「男」ではなく「被差別民族サーミ人」として申し立てたから。
「男の扱いが可哀想じゃないか」という申し立てだと
「甘えるな」「まだヒーローを求めている」「ミソジニー」と罵倒だらけになるのに、
「サーミ人の扱いが可哀想じゃないか」だったら
「その通り!」「見事な指摘!」「鋭い洞察!」と大絶賛になる。
アホくさ。
まとめ
もちろん『アナと雪の女王』はそんな浅はかな作品ではない。
増田の書き手の浅い見方や論理展開ではこうなってしまう、という角度の話をしている。
書き手が男性か女性かも知らないけど女性の気持ちを広くすくい取れてるようにすら思えない。
リベ的な変な勉強ばっかりしてるけど一般女性の平均よりはるかに頭悪い奴、のように感じる。
あと時代遅れは「アナログ」ではなく「アナクロ」な。「こっちの此岸」「あっちの彼岸」も気になったが、どうもちょこちょこ言葉の意味をしったかぶりで使ってるなこの人。
何が言いたいかっていうと、
馬鹿の低レベルな政治アジに『アナ雪』を使うなということ。
そんなしょうもない作品じゃないんだ。
これでも読んでろ。
*1:単にそういう願望充足ファンタジーとして楽しむのには1ミリの反対も揶揄も加えるものじゃないですよ。社会論として言ってるからんなアホな、とつっこんでいます。