俺だって俺なりに

零細メーカーの経営企画。趣味は少額の株式投資。ファンダメンタルズ重視のバリュー投資をゼロから勉強中。仕事は経営の雑用。能力普通でそれなりに真面目。落ち込みやすく悩みがち。ガラスのハートのくせに実力以上に頑張って疲れたり。それでも俺だって俺なりに踏ん張ってます

見ても見なくても同じ結果になるものは見ないようになれると精神的に良いよね

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今日は気にしてもしょうがないことって色々あるから、気にならなくなればいいけど、やっぱり気にしちゃうという話。

俺の場合は始めたばかりの株を例に出すけど他にも色々あるよねという話をさせてください。

俺が少額でも株をはじめた理由

俺は数か月前に少額で株式投資をはじめた。もちろん子どもや奥さんに全額失っても迷惑かけない額としてだせる金100万円だけで信用取引もなしでだ(元本は多い方が良いが今はそんなリスクはとれない)。

株を少額で始めた理由はいくつかあるけど大きくは2つの理由がある。


一つ目は数千円でも足しになれば家計が楽になるという考え。何でこんな風に思ったかというと以下のような背景がある。

・会社は副業禁止
・もっと稼げる仕事に転職するパワーが今はない
・辞める動機がカネ以外にない
・残業をむりくりするより早く帰る
・共働きより子ども優先のライフステージ


2つ目は勉強する意味ではじめている。企業戦略とか買収とか仕事ではやってはいるものの、実態経済が影響を受けるマーケットという存在が気になっていたからだ。マーケットと何らかの関係が個人としてできれば、勉強好きな性格なので興味をもってもっと経済について学べるのではと考えたからだ。


勉強をしながら少し足しなる程度に利益が出れば良いと思って始めた投資も、投資額自体は増やせないが、やはり実際に10万円でも自分のお金を投資しているとなると興味をもって勉強をするようになったので、その点では充分収穫があったと感じている。

毎分、毎日気になってしょうがなくなった

元本を増やせない以上、大きく儲けられないのは当然としても、「損をしたくない!」という気持ちが強くでて毎日気になるような時期が続いた。


ちょうど2月のUS国債金利や指数の動きからはじまった暴落の時だ。

10万円ほどあった含み益がみるみるなくなりマイナス15万円ほどになった当たりで「なんでなんで」症候群に陥り、色々な原因を探ったり記事を読んだりした。


それ以降はトイレや食事中など常に経済指数(国債利回りや前日のダウ平均、為替)をチェックするようになって、自分の買った2-3銘柄の変動を常にチェックしてしまっている自分がいた。

ああ上がった、ああ下がった。

アメリカがどうだ、日本がどうだと毎日そういうニュースを気にするようになってしまっていた。


デイトレーダーをやりたいのならばそれで良いのだが、そんなことはサラリーマンにはできないし本業と家族との生活が最優先であるからそんなに画面に張り付いて株式投資はできないのに、常に気になるという、いかにも初心者が陥りそうな状態に陥った。

それが最近はそんなに気にならなくなった。

不思議といまは気にならなくなった気がする。

朝、晩の二回、主なニュースや経済指標を見ればそれで終わり。圧倒的に気にする時間が減った。そんなに気にしたって自分に出来ることが何もないということを体感してきたからだ。

俺が毎日トランプ大統領の発言を気にしたり、為替が105円が100円になるかたといって、それを操作することはできない。想定して動くことはできるかもしれないが、毎日気にしたってしょうがないということだ。黒田総裁やドラギ総裁が何と言おうが、俺には何もアクションを起こせないと体感したからだ。


気にしてもしょうがない理由はもう一つ。お金が無いからだ。

既に2-3銘柄もって投資できるお金を全部投資していたら、俺にできることは何かあるだろうか。損切りをして撤退するくらいしか選択肢はない。そこまで致命的な傷を負っていない状況では、「ほっておく」しか作戦は取れないのだ。


ようは身動きできない状態でどれだけいろいろ考えても、取れる選択オプションが無い場合は考えるだけ時間が無駄ということだ。


今日上がってハッピー、明日下がって気持ちドンヨリ。結局結果はプラスマイナスゼロだったら、俺の揺さぶられた感情はなんにも意味はないのだ。

当たり前だろ、そんなの、あほか。

と思われても仕方がない。まあ悩みがちな性格ということで許してほしい。


俺にとっては「体感する」というのが大事で、頭では分かっているつもりなのだ。数か月、毎日毎分気にしていたからこそ、無駄な時間ではあるものの、自分がそれを体感していった先に、「やっぱ意味ないよね」と思えたからこそ解脱(げだつ)できた気がする。

気にしてもしょうがないことって他にも色々ある


俺の場合は株式投資という話を例に出したけど、他にも色々ありそうだ。例えばこんなものもあるだろう。

見た目

体についてダイエットなど努力でできる部分は除外するとして、消すことができない傷や薄毛・ハゲも気にしてもしょうがない。出来る努力はあるがお金の面で出来なかったりする本来は気にしてもしょうがないのだ(俺は気にしてしまうけど)

スポーツ

スポートもあなたが結果をみようが見まいが結果に変わりはない。1-0で勝つかドローか0-3で負けるのかなど考えすぎてもしょうがない。プレーしている本人たちは努力で結果をかえる力があるが何も影響を与えられない(実際に観戦して応援を届けられる人は多少の影響は与えられるけど)。

ビッドしたあとのギャンブル

競馬でもルーレットでも宝くじでも、券を購入したり、意思を決めたあとにどれだけきにしもてしょうがない。外れたらどうしようとか、当たったらどうしようとかそういったことを考える必要はない。結果に念力で影響を与えることはできないのだから、結果だけを見て判断をすればよいのだ。

努力した末の仕事の結果、経営判断

自分として出来ることをしたあとの結果について悩む必要はない。やれることはやったのだから、あとはあなたが結果についてできることはない。色々な社内政治や上司の判断、あなたの仕事以外の会社として課題とのバランスなど色々とあなたの力が及ばないところの影響も受ける。これについては何を思っても意味がないので考えるだけ本当は時間が無駄だ。



結果だけを見るのもいいけど、スポーツ観戦やギャンブルはハラハラドキドキが醍醐味であるので、ワクワク楽しんで考える分には全然賛成。ただし「はずれたらどうしよう、もうあとがない」とかいうレベルで考えるのは精神をむしばむので止めた方が良いし、本来はそこまで入れ込んではいけないということなのかもしれない。


まあ俺は完全にできてなくて、投資したりギャンブルしたり、仕事をした場合の結果をしたり、全部基本的には気にしてしまうのが現状。



それでも株についてはちょっと気にする度合いが減ったので、他でもそういうように気にしてもしょうがないことが気にならなくなったらいいなあという願望の記事でした。



今回もお忙しいところ読んでいただきありがとうございました。

みなさん、良い週末を。