どの会社でも予算達成が難しかったり、今ある既存の事業では成長できなくなって「変革」とか「イノベーション」とか聞き飽きた言葉が叫ばれていると思う。俺の会社でもそうだ。
古い会社だからなおさら「チャレンジマインドの醸成による事業変革を通じてイノベーションを創出する」というまったく意味の分からない日本語のオンパレードだったりする。
これだけ声高にチャレンジや変革が叫ばれる割に、本当に変革できている企業はごく少数で、大多数の企業で変われないのか。
最終的には経営者の覚悟だと思うが、今日は日本企業という独特の文化が背景にあるんじゃないか?と思ったこと。
- 失敗したら部下の責任、成功したら俺の成功
- 「うちの社員は言われたことしかしない、おとなしすぎる」と言っている重症な経営層いるよね?
- 言われていないことはやらない大人たち
- 成功も失敗も責任を分散、分散、分散
- ただ、日本だけの特異的な減少ではなく多くの国でも同じかもね
- 日本独自の問題は減点主義と恥の文化が組み合わさるから
失敗したら部下の責任、成功したら俺の成功
半沢直樹のドラマがまだ記憶に残っている。部下の成功は上司のものであり、部下の失敗は部下に押し付ける。
ドラマなのでかなり誇張しているが、実は普通のことだ。昇進している人たちはもっともリスクをとらなかった人たちと言っていい。現実の社会では半沢直樹のように「倍返し」することはできない。
だからドラマは受けたのだが俺らの会社もそうじゃないか?俺らの日常にはドラマや小説で描かれるような理想の上司像は稀有である。
部下にチャレンジさせることで上司はリスクを取る必要はない。成功すれば自分の部署の成果となるし失敗すればその個人をたたけばいいのだ。
だから自らやらない上層部がいるような会社では「イノベーション」をいくら言っても意味が無い。部下たちは面白いアイディアを提案する気にはなれない。
自分で提案したら自分でやるしかないのだ。擁護してくれるバックアップの上司がいなければ一切やるメリットは個人にはない。社員はおとなしく、言われたことをやることが最適解という結論に至ることをはたして責められるだろうか。
「うちの社員は言われたことしかしない、おとなしすぎる」と言っている重症な経営層いるよね?
このような愚痴を聞いたことは数え切れないほどある。しかしそうなった理由は個人や世代ギャップにあると片付けてしまってよいのだろうか。
上に意見しないのには理由があるのでは?おとなしいのは理由があるのでは?と思う。
今の日本企業は減点方式であるといえる。横並びの意識が未だに強いし、出る杭は打たれる。打てないほど抜きん出ている人は辞めてしまう。
一つミスをすれば「一生その評価がついてまわる」という状況でみんな会社のために「失敗してもいいからやろう!」という気持ちになるだろうか。
おそらくならない。言われたことを粛々とやる。上司に意見はしない。そうすると上からするとおとなしくうつる。
それだけの話だ。ようは減点方式と横並び意識が悪いのであってあまり個人の問題ではないと考える。
厳しい就職活動を乗り切って狭き門をくぐってきたワカモノがその職を手放してでもぶつかっていくだろうか。
言われていないことはやらない大人たち
本当の仕事の価値は言われていないけど新しいことを考えて提案して実行することにある。
例えばあなたの会社で年度の途中で新しく取り組みたいテーマが出てきたとしよう。それを企画部だったり工場に持ち込んでみる。
すると「年初のテーマにないからできない」という回答を受けた方はいないだろうか。
いるとすればそれは減点方式が影響していると思っていい。工場であれ、技術であれ、年初に決まったテーマ以外は基本的にやりたがらない。
人事考課の期初目標も書いていることだし、それ以外のことはやりたくないと思う。
俺はどちらかというと一切そういったことは無視して評価が下がろうが面白いこと、会社の利になると思えることは勝手にやるので良く思われないことも多いが、少数の面白がってくれる人だけを頼りにしてやっている。
自分の会社が受けてくれないのであれば社外を巻き込んで利益を上げるスキームを考える。基本的に上司から言われていないことに対して心理的なハードルがあるので、あまりにもハードルが高い場合は乗り越えるだけの労力は無駄。
そこまでして会社のために動きたいとは思わないので、色々と新しい案件があっても黙っている人も多い。
机や頭の片隅にしまっておくだろう。そういった部分を引き出したい会社の経営者は嘆くのではなく、引き出せるような仕掛けを作っていくしかない。人間は思っているよりも創造力は高い。何も無い会社はあるけど何も無い人はいない。
成功も失敗も責任を分散、分散、分散
この国の体質ともいえるが、責任を取って辞職ということも少ないし、形だけ辞職しても会社の中にはいる場合も多い。成功についてもある社員を昇格させたり抜擢することは少ない。会社の序列を考えて一時金やボーナスくらいはあげるとしてもそれだけだ。
失敗も成功もみんなで共有する文化の中では減点方式は致命的だ。あいつが失敗したおかげでうちの部署が虐げられると思われるかもしれない。
そうすれば人はチャレンジをしなくなる。事業が赤字でも衰退していてもみんなで共有して愚痴って終わり。飲み屋に行けば上司の悪口や事業を嘆くだけ。
それではあまりにつまらないが、上から責められる理由は無い。今日明日いきなり事業が悪くなったわけではない。
脈々とマネジメント、経営陣が経営をしてきた。部門長が方針を出してきた。それに従った部下を責めるよりもその判断をしてきたマネジメントこそ責められるべきだ。さらにこういったマネジメントは抜け駆けしようとする可能性が高い。
自分のキャリアにキズをつけたくないないので隙を見せたら「部下がやったこと」といいかねない。「前任からの方針なので」というかもしれない。
そんな人には誰もついてこないはずだ。権限を持っている場合、嫌われたら自分の居場所がなくなるのでゴマをすったり、機嫌をとってくれている部下も心の底では仕方なく付き合っている可能性も大である。
ただ、日本だけの特異的な減少ではなく多くの国でも同じかもね
日本を特異的に見ることを日本人自らしている節があるが、実はこういった状況は日本だけではない。
海外ではもっと当たり前のことだ。そもそも半沢直樹のように上に意見することはあり得ない。失敗をしたら責任をとってクビ、さらには部門ごと解雇ということもありうる。
だから部下に責任を押し付けることなんで当たり前だし、そもそも上司は人事権を持っている場合が多いので誰もたてつかない。
半沢直樹の上司の大和田常務は何もめずらしいことではなく、グローバルに見ればああいった人はどこでもいるのだ。では日本独特のまずさはどこにあるのだろうか。
日本独自の問題は減点主義と恥の文化が組み合わさるから
単なる減点方式ならまだフェア。失敗をしたら責任をとって去る。人材市場が流動的であれば転職することも比較的容易だ。
日本も転職率は上がっているとはいえ、未だに大企業では転職率は低いと思われる。人材市場が流動的ではないし、転職に対する悪いイメージが未だに強い。
会社をクビになったらその人は部下を連れて部門ごと競合の会社に移ったなんていう話を海外の方から聞くことはあるが、日本ではそういったことはおきにくい。日本には恥の文化が加わる。
減点方式に恥の文化が加わるとかなりストレスが溜まりやすい状況になる。恥の文化は「失敗したら恥ずかしい」というもので私もこの文化に完全に浸っている。失敗をしたら赤面するし、恥ずかしい。
自分が悪いと自分を責めてしまう。良い面もあるので全否定は出来ないが、減点方式にこの恥の文化が結びついているので独特の閉塞感が生まれている気がする。
こういった状況への打開策はどこにあるのだろうか。またじっくりと考えてみたいけど今日はここまで。
お忙しいところ読んでいただきありがとうございます。