映画「グレイテスト・ショーマン」成功の背景アカデミー賞で無冠も大衆を惹きつける理由|マネブ
確かに身体は感動している。瞳もずっと湿り続けている。でも、頭の中で、自分がストーリーのどこに感動しているのかがわからない。言わば「理由のない感動」をもたらす映画――率直に言えば、私にとっては、そういう映画であった。
冷静に考えれば、素材自体はなかなか感情移入しにくいものである。「19世紀半ばのアメリカでショービジネスの原点を築いた伝説のプロモーター」(パンフレットより)と言えば聞こえはいいが、実際は、低身長の「親指トム将軍」や、ヒゲの生えた女性歌手や、ほかにも巨人や、全身刺青の男性などの「ユニークな人」(要するにマイノリティ)を見世物にしたショーで大儲けし、「ペテン王子」と言われた実在の興行師=P.T.バーナムを主人公とした話なのだから。
そのせいか、本国アメリカでも、当初は評論家受けが芳しくなく、初日から3日間の興行収入は全米で880万ドル(約9億5000万円)と伸び悩んだようだが、観客評価は非常に高く、ジワジワと人気が広がり、3月4日時点で、1億6000万ドル(約170億円)の興収を上げるまでに盛り上がったという(出典:Rentrak Box Office Essentials)。
「大衆受け」は非常に良かった頭で映画を見る評論家が理屈で否定するも(そのせいか、アカデミー賞授賞式では、「ヒゲの生えた女性歌手」を演じたキアラ・セトルが挿入歌「This Is Me」を感動的なまでに歌い切るも、結局無冠に終わった)、身体で映画を受け止める大衆が、しっかりと食いついたということだろう。
対して日本では、公開初日から大ヒット。公開直後の週末(2/17~2/18)でいきなり首位デビュー、翌週末も首位キープ。直近の週末(3/3~3/4)においても、依然3位と高い水準にある(出典:興行通信社)。その上、サウンドトラックは最新3月12日付オリコン週間アルバムランキングで初の総合1位を獲得するヒットとなっている。
それではこの映画が、どのような理由で、この日本において支持されたのだろうか。まずはプロモーションにおいて、昨年、日本で大ヒットした映画『ラ・ラ・ランド』の威を、うまく借用したことがある。
突然ですがクイズです。以下の2つの文章の違いを指摘せよ。
(1) 公式サイトの「ABOUT THE MOVIE」のページより:「ヒュー・ジャックマン×『ラ・ラ・ランド』の製作チームが贈る映画至上最高のロマンティックな感動ミュージカル・エンターテイメント、開幕!」(2) パンフレット「INTRODUCTION」のページより:「ヒュー・ジャックマン×『ラ・ラ・ランド』の音楽家チームが贈る映画至上最高のロマンティックな感動ミュージカル・エンターテイメント、開幕!」そう、違いは「製作チーム」と「音楽家チーム」である。パンフレットより広く見られる公式ページでは、「製作チーム」と大きく表現することで、『ラ・ラ・ランド』のご威光を徹底的に活用するという意識が透けて見える。
実際に、『ラ・ラ・ランド』とこの映画で共通するのは、ベンジ・パセックとジャスティン・ポールという「音楽家チーム」だけである。さらにはこの2人、『グレイテスト・ショーマン』では作詞・作曲を担当しているのだが、『ラ・ラ・ランド』では、作詞しか担当していないのだから、「製作チーム」という言い方は、かなりギリギリだろう(しかし私は、後述する理由で、この件に目くじらなど立てない)。
かくして、『ラ・ラ・ランド』の感動をもう一度という面持ちで、詰めかけた観客も多かったと思われる。そして、『ラ・ラ・ランド』冒頭の、渋滞した道路の上で展開される傑作ミュージカルシーンにも負けない、この映画の冒頭の、ショーの出演者全員による楽曲「The Greatest Show」のシーンを見て、一気にテンションが上がったのではないか。
「映画体感志向」とうまくマッチしたそして2つ目の理由として指摘できるのは、「映画体感志向」との合致である。つまり、微動だにせず静かに「鑑賞」するのではなく、まるでスポーツ観戦やロックフェスに参加するように、映画でも、ライブな盛り上がりを「体感」したいというニーズのことである。
4年前の大ヒット映画『アナと雪の女王』の、スクリーンに表示される歌詞に合わせて歌うことができる「みんなで歌おう版」の上映などをきっかけに、そのニーズは顕在化。最近では、リアルな臨場感を体感できる「IMAXシアター」や「DOLBY ATMOS」の普及、さらには、日本各地で行われている「爆音上映」などが、その「映画体感志向」に応えている。
『ラ・ラ・ランド』との違いとして、この映画は、のべつまくなし歌い・踊っているということがある。『ラ・ラ・ランド』に比べ、ストーリーの起伏は少なく、何か問題や障害が起きても、歌い踊っている間に解決し、物事は前に進んでいく。正直、ストーリーにそれほどの深みは感じられなかった。
しかしその分、その歌や踊りに、身体中で「体感」「没入」できる。事実、私が見ていて、無意識に涙が流れてきたのも、先の冒頭の「The Greatest Show」のシーン、アカデミー賞主題歌賞にも輝いた「This Is Me」のシーン、歌姫「ジェニー・リンド」がホイットニー・ヒューストン並みのキレのあるボーカルで聴かせる「Never Enough」のシーンなど、要するに、ストーリーの機微で「泣いた」のではなく、圧倒的な歌や踊りという力技で「泣かされた」のだ。
と、ここまでを読むと、「何と俗っぽい映画か」と思われるかもしれないが、そういう見方に対してフォローするのが、3つ目の理由となる、閉塞的な時代の空気に呼応した「いい話」要素の有効活用である。
「いい話」要素がヒットをたぐり寄せたネタバレを防ぐために詳述は避けるが、映画の途中で、「ユニークな人」(マイノリティ)が決起するシーンがある。そこで歌われるのが「This Is Me」だ。「マイノリティの私たちだって、輝ける場所があるのよ」という内容の曲である。
多少うがった見方になるが、この歌によって、この映画全体が、差別を否定し、マイノリティの人権を尊重する「いい話」として機能し始める。そしてそれは、とりわけトランプ政権下のアメリカでは、時代の空気が求めるものでもあっただろう。逆に、このような「いい話」としての要素がなければ、ここまでのヒットには、決して至らなかったはずだ。
ここで、私が注目したいのは、これまで挙げた「『ラ・ラ・ランド』の威の借用」「『体感ニーズ』との合致」「『いい話』要素の活用」という3つのヒット要因は、まるまる映画の中のP.T.バーナムが用いていた方法論だという、驚くべき事実である。
P.T.バーナムの手にかかれば、誇大表現・誇大広告など当たり前、また、大きなホールやテント劇場を作って、盛り上がりを大衆に「体感」させ、また、評論家や地域住民の批判に対して、「われわれは人々を楽しく幸せにしているんだ」という「いい話」要素を盾に、徹底的に居直る。
つまり、この映画のマーケティングは、映画の中のP.T.バーナムのマーケティング手法に、ぴったり沿っているのである。そう考えると、実に見事なメタ構造であり、ここまで私が述べてきた違和感など、正直どうでもよくなってくる。「『ラ・ラ・ランド』の製作チーム」という文言でいいじゃないかと。
P.T.バーナムのショーと同じような感覚おそらく、19世紀半ばのニューヨークで、P.T.バーナムのショーを実際に見た人たちも、同じような感覚だったのではないか。「何だかうさんくさいなぁ」→「でも面白いぞ」→「気がついたら、盛り上がっていた」→「訳もわからず泣いていた」……。
2月の日本は、平昌五輪一色だった。テレビは、メダルを獲得した選手たちへの「感動をありがとう!」といった言説に支配されていた。努力、根性、愛情……を根拠とした、言わば「理由のある感動」の大安売りだ。
そんなタイミングだったからこそ、この映画のシンプルなストーリーに積み重ねられ、厚みを増していく、見事な歌と踊りを「体感」することで、「『理由のある感動』疲れ」のようなものが身体から排出されていくという、一種のデトックスのような感覚を味わったのだ。
気持ちよかった。気持ちよく泣いた。冒頭で書いた「理由のない感動」に、唯一理由があるとしたら、そういうことだ。
引用元:東洋経済オンライン
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