菅野完をRTしながら、#metoo と言う人に、言いたいこと。
これ読んだんだけどさあ。
わたしのブログをゴヒエツコ、菅野で検索してもらえばわかるんだけど。
わたしは、性暴力被害者です。
嘘だと思う?
でも、警察に履歴があるよ。
菅野完の被害者であるゴヒエツコは、わたしに菅野完の性暴力を非難する記事を書かせ、そのせいで被害の後遺症が出て苦しむわたしを嘲笑し、障碍者差別し、今も訴訟までほのめかして嫌がらせを続けています。
(何の名目で訴訟するのか謎だけど)
ほんとーにいろんな嫌がらせされているんだよ。
例えば、ゴヒエツコの裏工作の証拠になるスクショをツイートしたら、ツイッターを凍結されたし、ブログにも開示請求が来ました。はてなブログむ止めざるを得なくなった。ブログくらいって思うかもしれませんが、わたしにとっては財産だったんですよ。
菅野完がリツイートされたときのゴヒエツコの気持ちを想像できるなら、同じ性暴力の被害者だからと思って、善意で協力したのに、そのお返しが「嘲笑」「嫌がらせ」「差別」だったわたしの気持ちも考えてください。
わたしをバカにするツイートをしている人もいました。集団で嫌がらせや暴言を吐かれました。
ゴヒエツコに大人としての責任を取らせてください。
わたしに、謝罪させ、嫌がらせをやめさせたうえで、いくらでもかわいそうがればいいじゃないですか。
わたしへの責任を取らせないのって、結局人間扱いしてないんですよ。わたしのことも。
ゴヒエツコに対してもそうですよ、あなたは責任とらなくても守ってあげますよ、ってメッセージ送ってるんですよ。
それって本人のためになります?
尊重するなら、責任を取らせるべき。
それとも、この被害者(ゴヒエツコ)は気の毒だけど、この被害者(c71)は気の毒じゃないって思ってます?
わたしは、菅野完の被害者をかばう文章読むと、気分が悪くなって病状が悪化します。
具合悪いですよ。
だから、こういう思いやりができる人が、わたしのような立場の人間について考えないのを見ると、「ああ、私は本当にどうでもいい存在だな」と思います。
無神経な人がなんか言うよりも傷が深いです。
ほんとに傷つく。
複雑なことを考えられないんですか?
わたしがした失敗は、彼女自身が語るべき言葉を代行したことです。
彼女は、被害内容を言いたくないと言ったのですが、あとから知った被害はわたしのほうが深刻でした。
性暴力被害にことの軽重をつけるなと人は言いますが、あきらかに、より、深刻な被害を被った相手に、矢面に立たせて、負担を背負わせ、その結果が気に入らなければ、嫌がらせをしたり、暴言を吐くことが許されるんでしょうか。
それに、被害者を思いやるのはけっこうですが、こういう風に彼女が言ってもいないことを書くのは、彼女の言葉を奪っていることにもなります。
彼女自身が語るべき言葉を彼女から奪うな、わたしと同じ失敗を繰り返すなと思います。
忖度と思いやりは重なっている部分と違う部分があると思います。
人の気持ちを考えろといいながら、彼女がまだ口にしてもいない言葉を、代わりに言うことは慎むべきです。
当事者性や、経験を、他人は奪ってはなりません。
そのうえで、彼女がこうしてほしいと言ったからと言って、その通りにするかは別。
自分が嫌だからと言って「きっとあの人はこう思っている」と書くのは、被害者を矢面に立たせているのと同じことです。
涙あふれそうなセンチメンタルな文章書くのもいいですけど、その文章を書くなら、ちゃんと責任とれるか、考えるべき。
他人の被害について何か書くのってすごい責任が生じますよ。
このブログを書いた人、ちゃんと、それをわかっていますか?
あのエントリを拡散している人、ちゃんと、考えたり、思いやったりしてますか?
自分はいい人間だと思えるから、拡散してませんか?
自分は性暴力被害者について、ちゃんと考えられる人間だ!って思えるから、いい気分になれるから、書いたり、ツイートしたりしてるんじゃないですか?
その、あなたの「いい気分」の裏で、わたしは傷ついています。
追記
週刊金曜日は菅野氏をうんこと呼び、原稿にうんこ.pdfと名前をつけ、菅野氏の犯罪をレイプであるかのように書きました。
しかし、実際にはgropeです。
事実を歪めて、メディアとしての力を間違って使っています。