転職者300万人時代を迎え、退職者も増加の一途だ 卒業シーズンを迎えた。最近は、ビジネスパーソンの間でも、転職などで会社を辞める際に、「退職します」ではなく「卒業します」と言う人が増えている。別に女性アイドルグループの影響ばかりではないようだ。卒業という言葉に込められた思いや、卒業宣言が広がる背景を探った。
■声を詰まらせて「卒業」します
外資系情報セキュリティー会社に勤務する奥山純子さん(42)は昨年10月、今の会社に転職するため、8年半勤めた外資系パソコンメーカーを退職した。
転職が決まった時には、親しい同僚らに「実は卒業することに決めた」と退職を報告。最終出勤日に職場であいさつした際にも、卒業という言葉を使って自分の思いを伝えた。同僚がスマートフォンで撮影したという動画を見せてもらうと、確かに、時折声を詰まらせながら、「卒業」を口にする奥山さんの姿が映っていた。
卒業という言葉を使った理由を奥山さんは、「営業職としてたくさんのことを勉強させてもらったことに対する感謝の気持ちや、会社に対する愛着の気持ちを表したかった。と同時に、新たな挑戦のために退職するということを知って欲しかった」と説明する。
キャリアアドバイザーの藤井佐和子さんは、「ここ数年、とくにベンチャー企業に勤める20代から40代の世代で、SNSなどで周囲に退職の意向を告げる際に、『退職』や『退社』、『辞める』ではなく、『卒業』という言葉を使う人が非常に増えてきている」と話す。
奥山さんも、「外資系企業は人の出入りが激しいので中途退社は珍しくないが、私の前に辞めた人たちも、普通に卒業という言葉を使っていた」と証言する。
「卒業」は大企業の社員にも浸透し始めているようだ。大手飲料メーカーで長年、広報を担当していた女性は、2年前の退職の際に、「今春、○○(会社名)を卒業させて頂くことになりました」と社外の関係者にあいさつのメールを送った。メールには、現在の心境や感謝の気持ちと共に、「また別の新たな挑戦をしたい」「新たなステージに進ませて頂く」と、旅立ちの決意が述べられていた。
「卒業」という言葉はリクルートから広まった。 「卒業」が広がる背景には、テレビなどの影響を指摘する声もある。「アイドルグル―プAKB48の○○が、同グループ卒業を発表」といった具合に、最近は、グループは「脱退」ではなく「卒業」するのが主流だ。テレビ局のアナウンサーも、近ごろは、担当番組を「降板」ではなく「卒業」するようになった。
■「卒業」はリクルートが先駆け
だが実は、そのはるか前から、卒業を退職の意味で使ってきた会社がある。リクルートグループだ。同社は昔から、将来の独立や転職を前提に入社する新卒者が比較的多く、実際、何年か働いた後に辞めていく人がかなりいる。そうした社風が、多くの優れた起業家を輩出する土壌にもなってきた。「元リク」という言葉も生まれるほどだ。
そのリクルートの関係者によると、同社では以前から、退職することを卒業すると言い、社内では「○○さん、もうすぐ卒業だね」といった会話がよく交わされるという。また同社では、退職者のことを卒業生と呼び、退職者とのつながりを大事にしている。ちょうど、大学が卒業生との関係を大切にするのと似ている。
会社を辞める際に「卒業します」と言う人が増えているのは、こうしたリクルートの社内文化が同社の出身者を通じて徐々に広がったのが一因との見方もある。だが、さらに探っていくと、最近の、多様で柔軟な働き方を目指す「働き方改革」の流れも関係があるようだ。
これまで日本では、「会社を勤め上げる」という表現があるように、定年まで1つの会社で働くことを是とする文化が、特に大企業の間で強かった。そういった文化の中では、転職はどちらかと言えばマイナスのイメージ。中途退社でみんなから祝福されるのは、女性社員の寿退社ぐらいだった。
しかし最近は、外資系企業の進出加速や、M&A(合併・買収)の増加、大企業のリストラ・経営破たんなどを背景に、転職者数は増加傾向。総務省によると、昨年の転職者数は311万人と7年連続で前年を上回り、リーマンショック直前の水準に戻りつつある。もともと転職が多い20~30代に加え、40~50代の転職者も顕著に増えており、転職という働き方が珍しくなくなってきている。
退職者も「出戻りOK」の時代に 転職の理由も、リストラなどやむを得ない理由だけでなく、キャリアアップやワークライフバランスの実現という前向きなものも目立つ。また、リクルートの例のように、入社前から、何歳までに転職あるいは起業するという目標を立て、会社を目標を実現するための学びの場と捉える若手ビジネスパーソンも少なくない。彼らにとっては、転職や独立はまさに卒業を意味する。
こうした社会や個人の意識変化に伴い、「転職を身近に、かつ、人生の新たなチャレンジとしてプラスのイメージでとらえる人たちが増えている」と、藤井さんは指摘。そして、その結果、「会社を辞める際に、人生の次のステージに進むことをイメージさせる卒業という前向きな言葉で、退職を表現するようになっているのではないか」と推測する。
転職や中途退社のイメージが大きく変わったのは、企業が転職などで辞めた元社員とのつながりを重視し始めたことも大きい。
■コニカミノルタ 出戻りもOK
一例が、転職やビジネススクールへの留学などを理由に退職した元社員を、再雇用する動きの広がりだ。出産や育児を理由に家庭に入った元女性社員を再雇用する企業はこれまでもあったが、キャリアアップを目的に自ら会社を飛び出した元社員の再雇用に積極的な日本企業は、これまでは珍しかった。最近では、コニカミノルタが昨年12月に「ジョブ・リターン制度」を導入するなど、大企業の中にも、有能な退職者の出戻りを認め、歓迎するところが増えている。
企業が出戻り社員を歓迎し始めているのは、出戻り社員が新たな知識やアイデアを社内にもたらし、イノベーション(技術革新)を起こす可能性を高めてくれるからだ。イノベーションは今や、企業が成長し続けるための重要なキーワードとなっている。
一方、辞める側も、元の会社と良好な関係を維持しておいて損はない。企業間の垣根を越えた技術開発やマーケティングが盛んになっている今は、いつ、どこで再び一緒に仕事をすることになるかわからないからだ。奥山さんは今でも、元の会社の仲間とよく食事をしたりするという。このあたりも、卒業生が同窓会やクラス会を開いて昔の仲間と旧交を温めるのに似ている。
転職サイト「リクナビNEXT」の藤井薫編集長は、「イノベーションを起こす力が求められるこれからは、企業にとってもビジネスパーソン個人にとっても、社内外を問わず、人同士のつながり、すなわち関係資本を強化することが非常に重要になってくる」と指摘する。
会社を辞める人たちの「卒業します」という言葉には、互いに「これからもよろしく」という意味が込められているのかもしれない。
猪瀬聖
慶応義塾大学法学部卒。米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修了。日本経済新聞社編集局生活情報部、同ロサンゼルス支局長などを経て、現在はフリーライター。キャリア、マイノリティー、米社会、ワインなど幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ)、『仕事のできる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)。
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