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作戦会議
今、正面には北から南へと蛇行しながら流れる大きな川の姿が見えていた。
あれがソビル山脈から流れるウィール川で間違いないだろう。
不死者軍を追い越し、ここまでの距離はそれなり離れており、恐らく件の大軍はあの王都ラリサから移動を始めたばかりだったようだ。
ここへ来るまでの道中、大きな平野部だった一部にソビル山脈とは違う山岳地帯が聳えており、それらが平野を少し狭めている様子が空から窺えた。
行軍の速度があれで若干落ちるとなれば、後二日か、いや三日はこのウィール川にその姿を見せる事はないと予想し、眼下に見える川の対岸に築かれた幾つかの領境の砦を見据える。
ここから確認できる砦の数は二つ。
しっかりとした石造りの外壁を持つそれらは、なかなかに立派な砦だ。
元々ノーザン王国領だった際の隣国を警戒しての国境の砦だったものだからだろう──街道を警備する為の詰所としてはなかなかに物々しい雰囲気の砦だが、成程、これに領軍などを詰めて置けば盗賊団も迂闊には周辺の領内へと侵入するのは難しいだろう。
その砦の傍には街道らしき道と川に掛かる立派な石造りの橋が整備されており、上空からでは川の水深は不明だが、あの橋を渡らなければ王都ラリサ方面からはブラニエ領に入れないようだ。
「ふむ、同国貴族からの嫌がらせ対策だったものが、今回の大規模な襲撃の際には拠点として十分に役に立つ事を思えば、世の中何がどう転ぶかなど分からんものだな」
「きゅん!」
自分の感心とも呆れともつかぬそんな呟きに同調するように鳴くポンタを見やれば、同じように此方を見返して小首を傾げる仕草をとる。
理解しているのか、していないのか、つぶらな瞳で見返すポンタの頭を撫で回しながら、フェルフィヴィスロッテに領境の砦から少し離れた場所に下ろしてくれるように頼む。
「フェルフィヴィスロッテ殿、砦から少し離れた場所に降ろしてくれぬか?」
ブラニエ辺境伯はノーザン王国を訪れてからは未だ自領へと帰還していない──という事は彼が参加を表明している今回の作戦もまだこちらには伝わっていない事になる。
それは当然、領境を監視、警備する兵士らも此方の素性を知る者がいないという事だ。そんな所へ全長八十メートルを超える龍王と共に乗りつける者が現れれば騒ぎになる。
だがあまり砦から離れた場所へと下りても、此方の目的が新たな転移座標を設ける事にあるので、特徴的な砦の景観が視界に収まる程度の距離でなければ意味がない。
砦から多少離れた場所に下りれば気付かれはするだろうが、巨体の龍王を悪戯に刺激しようとはしないだろうし、向こうが警戒して様子を見ている間に転移図画への風景の描き写しを済ませてソウリアへと戻れば大丈夫だろう。
《そしたら、ちょい揺れますえ》
彼女はその一言を発して後、着陸態勢をとってウィール川の東岸側へと真っ直ぐに下りて行く。
川の周辺には視界を遮るものはほとんど無く、彼女の背に乗りながら砦の方へと視線を向けると、見張りの塔に立つ兵士が慌てた様子で駆け下りて行く姿が目に入った。
彼のそれはごく自然の反応だ。
砦からは少し離れた距離であるとはいえ、人族から見れば圧倒的な巨体を持つ龍王が目視できる距離に降り立ったとなれば、無視できない事態だろう。
砦とその傍に掛かった石造りの橋の風景はなかなかに特徴的で、状況的に時間の押している現状である程度のラフなスケッチだけでも記憶を想起させる事ができる景色というのはありがたい。
「フェルフィヴィスロッテ殿、風景を写し終えたら一旦ここから王都ソウリアの方へ転移魔法を使って帰還するので、人型へと戻って貰っても良いか?」
そう言うと彼女は此方の言葉に快く頷いて返した。
彼女の巨体ごと転移魔法で移動させられない事はないが、巨大な魔法陣を構築すればそれだけ魔力を消耗するので今は少しでも余力を残しておきたい。
恐らくソウリアへと戻った後、再びここにブラニエ辺境伯と共にこの地を守護する為の部隊およそ五千の兵士を転移魔法で連れて戻らねばならない筈だ。
彼女の背中から降りて、背負っていた荷物の中から筆記具と転移図画を取り出す。
「きゅん!」
「少し待っておれポンタ、ここが終わったら一旦ソウリアへ戻るからな」
頭の上に飛び乗って来たポンタを宥めつつそう言って、目の前の風景を視界に収める。
上空からでもしっかりと目視できるウィール川幅が百メートル以上、場所によってはその倍程も川幅があり、両岸の川表も加えればかなり大きな川だ。
しかし川幅が広い場所は逆に水深は浅いのか、川底に転がる石が川面に白波を立てさせており、不死者の蜘蛛人あたりにならば問題なく渡河されてしまうだろう。
そんな事を観察しながら手早くその風景を転移図画に描き写していく。
傍らではフェルフィヴィスロッテがその巨体を変化の術で人型へと変えている最中で、それももう間もなく変化が完了しそうだという段になって、先程砦内へと入って行った見張りの兵士が他の者を数人連れて再び塔の上部に姿を現した。
しかし見張りの兵が慌てた様子で周囲の様子を眺め、何やら此方を指差して身振り手振りを加えて連れて来た者達に必死に説明している様子がここからでも見える。
先程見た巨大なドラゴンが戻って見れば跡形も無く消えているのだから無理もないが、何やら少し可哀想な気がしないでもない。
「きゅん! きゅん!」
そんな余計な事を考えていると、頭の上からポンタが手が止まっている事を指摘するように兜を叩いてきたので、作業を思い出して再び手を動かし始めた。
「器用なもんどすなぁ」
だいたいの形が整い、ある程度の描き写しが終わってから実際の景色と、転移図画に描き込んだ風景とを見比べていると、後ろからフェルフィヴィスロッテがそれを興味深そうに覗き込んできた。
「お待たせして申し訳ない、一応ここでの作業は終わり故、一旦ソウリアへの方へと帰還する」
「はいな、転移魔法で飛ぶのは随分と久しぶりやわぁ」
転移図画を荷物袋に仕舞いながらフェルフィヴィスロッテに向き直ると、彼女もそれに応じて頷き返しながら昔を懐かしむように目を細めて笑った。
確か初代エヴァンジェリンも転移魔法の使い手だったという話だから、彼女と行動を共にしていたかつての記憶を思い起こして懐かしんでいるのだろう。
「【転移門】」
魔法を発動させると自分を中心とした足元に光の魔法陣が展開されて、その様子をフェルフィヴィスロッテが興味深そうに見つめている。
脳裏に今朝発った王都ソウリアの王宮の中庭を思い浮かべて座標を設定すると、すぐに周囲の景色が暗転し、気が付いた時には周りの景色が切り替わっていた。
「やっぱり転移魔法は便利どすなぁ」
戻って来て開口一番、そんな言葉と共にフェルフィヴィスロッテは大きく伸びをする。
「ここを発ってからまだ半日も経っておらぬ。これはフェルフィヴィスロッテ殿の翼を借りられたというのが大きいのである。皆に代わって感謝を」
いつもは背中に人など乗せて飛ばない彼女が自分とポンタを乗せたのだから、あれでも一応色々と気を使って貰っただろうと、彼女にそう言って礼をする。
「本当にあんさんは堅いお人やなぁ、初代とはえらい違はりますなぁ」
彼女は薄く笑みを浮かべて、そんな此方の様子を面白そうに観察していた。
「アークはん、言いましたやろ? 今回うちは手を貸すって決めたと。あ、もちろん、個人的な御礼なら受けますよって。どうどす?」
そう言って彼女は口元を半月に割ると、彼女の背中からぬらりと水晶の剣を持った長い尻尾が頭上へと持ち上がった。
「では、今回の報告を皆に共有せんといかんな」
「きゅん! きゅん!」
自分はそう言って逸早く話題を切り替えると、ポンタを抱えて彼女に背を向けると一目散に王城へと急ぐのだった。
王城のとある一室。
そこにはヒルク教国に対抗する為に集まった各勢力の代表達が集結していた。
自分と龍王フェルフィヴィスロッテを中心に、各勢力の代表者達やアリアンやチヨメ、ゴエモンなど、皆の視線が中央に置かれた卓上に向けられていた。
卓上に広げられた地図には、先日並べていた白駒と黒駒がそのままの状態で置かれている。
そして自分はそんな黒駒の一つであるサルマ王国の王都ラリサの位置に置かれた駒を手に取って、その位置を東へと移動させて再び地図の上に置いた。
「何と!? 連中はラリサを既に攻略して東へと移動しているのか!?」
地図に示された一連の動きを見ていたブラニエ辺境伯は驚きの声と共に立ち上がり、此方が示した黒駒の動き──不死者軍の様子の詳細を知ろうと目で促してきた。
「うむ、王都ラリサには占領地を守護するだけの最低限の不死者しかおらず、本隊は既にブラニエ領方面へと移動しておった。その移動も整列しての行軍ではなく、少数部隊で散会した状態で各々が東へと向かっているという状態──」
そこまでの状況を説明していると、横からフェルフィヴィスロッテが顔を出し、その移動した黒駒を指で弾いて薄く笑みを浮かべた。
「人族のように揃って歩いてはったら、うちが一息に吹き飛ばせましたのになぁ」
そんな彼女の笑顔に人族側の代表者であるアスパルフ国王とセクト王子、ブラニエ辺境伯が顔を引き攣らせるが、リィル王女だけは彼らの反応を不思議そうに見上げて首を傾げていた。
「フェルフィヴィスロッテ様がそれほどにお強いならば、不死者に襲われ疲弊している国の民も安心して復興の作業ができるのじゃ。お父様はなぜそんな難しい顔をしておるのじゃ?」
真摯な眼差しでそう語るリィル王女に、アスパルフ国王は気を取り直すように咳払いをする。
それをきっかけに我に返ったブラニエ辺境伯は、その鋭い眼光を地図の上から此方へと移した。
「それでアーク殿、連中がブラニエ領へと到達するのはいつ頃になるのか、見当はついておられるのか? 正確でなくとも良いのだが、おおよその日数が分かるのであれば」
ブラニエ辺境伯の縋るような──祈るような瞳の色を見返して、自分は見て来た事の詳細を語りつつ、不死者軍がブラニエ領に到達するまでのおおよその残り日数を口にした。
「我の見立てでは二日、ないしは三日といった所だろう」
「……それは、予想外に速いな」
自分が口にしたその答えに眉間の皺を深くして呻くように呟くブラニエ辺境伯の言葉に、地図を睨んでいたディラン長老が顔を上げて相手の動きの速さに関してある指摘を入れる。
「不死者は生者とは違い、食糧も口にしなければ、夜休む事も無いのです。補給の要らない集団ならば、それだけ移動に割ける時間は多い。地形を考慮しても四日は掛からないでしょう」
ディラン長老が指摘した通り、正真正銘の不死者は動く為に食糧は必要としない上に、寝る場所も時間も必要ないのだ。
食料を必要としないという事は、その荷物を運搬する荷車も荷馬も必要ない──そして荷馬の食糧や水も要らないとなればその行軍速度は人族の軍のそれでは到底かなわないだろう。
二十四時間、補給なしで戦える不死者兵士というのはある意味究極の兵士かも知れない。
おまけに既に死んでいる身なので、戦死する事も無いのだ。
見た目だけの不死者で、食事は摂るわ、ベッドで朝までぐっすり寝るわ、挙句に風呂に入る事を喜びとしているような似非不死者とは根本から違う。
そんな不死者と自身の相違の大きさに改めて考察していると、フェルフィヴィスロッテが地図に置かれた白駒を手に取ってウィール川上に線を引くようにして示して見せた。
「とりあえず、このウィール川を防衛線にして連中の足が止まった所でうちがある程度の数を減ららすよって、あとの残りはそちらで適当に処理してくれはります?」
その彼女の言葉にアスパルフ国王とブラニエ辺境伯は困惑の表情を浮かべるが、対してファンガス大長老やディラン長老らは大きく頷いて返した。
「フェルフィヴィスロッテ様の本気の一撃、この目で見られる日が来ようとは眼福ですな」
ファンガス大長老がそう言って大きく口の端を持ち上げて笑うと、その反応を見たアスパルフ国王とブラニエ辺境伯は互いに視線を交わして小さく頷き合った。
二十万の不死者を相手に何でもないと言う風にその場で作戦とも呼べぬ自身の行動方針を伝える龍王に、歴戦の勇士と目されるようなダークエルフ族の大長老それに一片の不安も見せず余裕の笑みを漏らした事で、彼らはこの戦いの趨勢がもはや人族の手に無い事を理解したようだった。
フェルフィヴィスロッテがああ言う以上、彼女の一撃以後は残りを掃討するだけで済むという事は確定しているのだろうし、それをファンガス大長老やディラン長老も了解しているのだろう。
その現場を是非とも見てみたくはあるが、彼女がサルマ王国側を受け持つという事は自然と自分はデルフレント王国側に配置される事になる筈だ。
「ではサルマ王国の方面には川傍にあるという二つの砦に、残敵掃討の為にローデン王国からの兵とブラニエ領からの兵、それにカナダからは主に後衛を得意とする者達を選抜して千名弱程を配置して、ウィール川で迎え撃つ事にしましょう。構いませんか?」
皆が顔を見合わせる中、ディラン長老がサルマ王国側の防衛策をまとめてその是非を問うように、その場にいる全員を見回す。
誰もがその言葉に意思を示すように黙する姿に、どうやら結論は出たようだった。
「サルマ王国側はあまり残されている時間もないので、カナダからの戦士の指揮はファンガス大長老様に、ローデン王国側の兵士はセクト王子殿にそれぞれ指揮をとって頂きます。アーク君にはこの後、再び大勢の輸送を頼む事になります」
ディラン長老は地図を示しながらウィール川に二つの白駒を配置していき、さらにもう二つの白駒を用意してウィール川傍に記された森と街にそれぞれを配置する。
「部隊の輸送後、辺境伯殿が自領から兵を率いる為のブラニエ領へ戻る時間的猶予はある筈です。あとはルアンの森のドラントの里からエルフ族の戦士が参加する予定ですが、これはカナダの戦士達と同じくファンガス大長老様に取り纏めをお願い致します」
そこで一旦言葉を区切ったディラン長老は此方に再び視線を合わせてくる。
「サルマ王国側への移送が完了次第、デルフレント王国側の状況確認及び、部隊の配置も早急に行わなければいけません。こちら側の戦力はウィリアースフィム様とアーク君を中心として、刃心一族とカナダからの戦士を全投入する形でいきます」
そう言い終えるとディラン長老は此方へ向き直り、確認するように視線を向けてきた。
「我もディラン殿の立案した策には賛同なのだが、フェルフィヴィスロッテ殿がサルマ王国側で待機するとなれば、デルフレント王国の王都リオーネに転移座標を設定する為の移動に少々時間を要する事になるのだが──」
先程話題に上がった不死者の予想以上の進行速度を懸念するならば、デルフレント側も刻一刻と状況は変化している筈だ。
ゴエモン達が確認した時点では王都に留まっている様子だったそうだが、こうしている間に既にこちらへと向けて動き出している可能性もある。
自分が使う転移魔法や龍王の飛行による圧倒的な移動速度などのように、情報を素早く遠地に伝達できないこの世界では不死者達の無補給での大群移動は思っている以上に脅威となっている印象だ。
実際にデルフレント王国とサルマ王国の両王都は為す術無く不死者の大群に陥落させられている。
どうやら発展した現代社会に根差していた自分は、移動や運搬における優位性が齎すその影響力の大きさというものを甘く見ていたようだ。
彼の不死者を確実に叩く為には、やはり地形を飛び越えていける龍王の飛行能力は外せないだろうと、再びフェルフィヴィスロッテに翼を借り受けようとしての自分の発言だったが、当の本人であるフェルフィヴィスロッテはそれに自身ではない者を推薦した。
「それなら問題あらへん、ここにはうちが連れて来たもう一人の龍王がおるやろ? うちがお願いしたら、向こうも嫌とは言わんやろ?」
彼女はそう言うと口元を綺麗な三日月に裂いて静かに笑う。
フェルフィヴィスロッテに続いて今度はウィリアースフィムの背中に乗る事になりそうだと──以前知らずに彼の背中を足蹴にした事を思い出して乾いた笑いが自分の口元から漏れていた。
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