「二分の一成人式」がやってきた
ついに我が家の長女も噂の「二分の一成人式」に参加することになった。ここ十数年で急速に普及した小学校行事なのでご存じない方もいるかもしれないが、二分の一成人式とは小学校4年生の子供たちが親への感謝を読み上げたり、将来の夢を語ったりする親子参加型の学校行事である。ベネッセのアンケートによれば、保護者の9割近くが「満足」と回答するぐらい親ウケがいいそうだ。
一方で、被虐待児や死別・離別家庭で育った子供、両親のいない子供への配慮の欠如といった問題も、識者によって指摘されている(『教育という病』内田良)。「練習がめんどくさい」以外にも、何かと問題を抱えた行事なのだ。
わが子の小学校では一人一人が親への感謝作文を読み上げる代わりに、教師が用意した「親への感謝」シナリオを群読で暗誦するスタイルになっていた。さまざまな家庭環境の子供への配慮だろうか。しかし大人が考えた感謝セリフを我が子が棒読みしているのを聞かされても、さすがに10年以上子育てしているスレッカラシの親たちは感動して涙したりはしない。子供たちも教師に怒られない程度に、控えめな半笑いを浮かべている。群読が終わると、お返しに親たちがあらかじめ指示された当たり障りのないJ-POPを合唱する。中年が歌うJ-POP、ありがたいか? 大福でもあげたほうがいいんじゃないか? 多くの親が口パクでごまかし伴奏ばかりが目立つ中、これ以上寒々しさに拍車をかけてはいけないとまじめに歌ってしまう自分が悲しい。「これはいったい誰のためのイベントなのか?」という疑問は、ふくれあがる一方だ。
「二分の一成人式」はいつから広まった?
私の子供のころには影も形もなかった謎イベント「二分の一成人式」、いったいどのように全国に広がっていったのか。教育記事データベースで調べてみると、まず『楽しい体育の授業』2003年8月号に「10年前から提唱してきた『〝2分の1〟成人式』の取り組みが、いま、ものすごい勢いで全国各地に広がっている」という記事がある。執筆者のクレジットは岐阜大学の近藤真庸教授。この先生が拡散元なのだろうか。
記事本文を読むと、「自分の思い出の品物についてスピーチ」「10年分の自分史づくり」「10才の地域デビュー」「10年後の自分への手紙」と、子供個人が自身のアイデンティティを確認する作業に終始している。親の参加は想定されておらず、親への感謝の強要や家庭のプライバシー侵害といった、昨今指摘されるような問題性は希薄だ。これは当時の小学校学習指導要領にあった「総合〈いのち・健康・福祉〉」の授業案として書かれたものらしい。
「総合」の授業例に過ぎなかった二分の一成人式に「親への感謝」要素が加わり、親子参加型の行事になったいきさつを知りたい。さらに探していくと、教育雑誌『教室ツーウェイ』2010年10月号の「子どもの成長過程で節目イベント─子ほめ条例、1/2成人式、立志の式」特集に行き当たる。
「二分の一成人式を全国に広めるための動きをつくろう。」(谷和樹)で紹介されている二分の一成人式は、「親への感謝の手紙を読み上げる」「お母さんの涙」「感動の盛り上げ」といった、昨今問題視される要素がすべてそろっている。これを全国に広めたがっているのは誰なのか。
「『二分の一成人式』 それは子供たちの成長の節目としての十歳を祝うイベントである。TOSSはこれを推進してきた」。
「親への感謝」イベント化の黒幕はTOSS
TOSSとは、親学推進協会と関係の深い保守系教員団体で、「江戸しぐさ」「水からの伝説」「EM菌」を教育現場に広めたとして、エセ科学批判界隈にもおなじみの存在である。「発達障害は日本の伝統的子育てで治る」という医学的根拠のないトンデモ脳科学で批判された親学となじみ深いだけあって、先ほどの二分の一成人式の記事にも、「発達障がいの子どもが変化する」という項目がある。黒幕が親学系のTOSSなら、理想的な家族像以外の家庭に配慮できないのも道理である。
さきほどの同特集の別記事「TOSS二分の一成人式10000人プロジェクト! サマーセミナーで1000人が感動し、涙した二分の一成人式のオフィシャルHPも完成」では、「親への感謝」手紙の指導方法が語られているのだが、これもなかなかえげつない。たとえば「文末を『よ』『ね』にする」と、子供の作文の文末を無理やり変えてしまうのだ。
例えば、次のように変化させます。
■お母さん、ぼくが病気の時に看病してくれました。うれしかったです。
↓
■お母さん、ぼくが病気の時に看病してくれましたね。うれしかったよ。
これだけで全く違った手紙になるのです。
そして、手紙の最後に次の一文を加えましょう。
お母さん、大好きだよ。
(『教室ツーウェイ』2010年10月号)
そこを勝手に書き加えたらダメだろう。
サイトで「親への感謝」シナリオを共有
どうやらTOSSの教員たちが「親への感謝」をキーに「二分の一成人式」のアイデアを拡充して全国に広めているらしい。TOSS教員が指導案を共有するサイト「TOSSランド」で「2分の1成人式」を検索してみると、台本がいくつも出てくる。「病気になった時は いつもそばにいて 看病をしてくれましたね」「不安なときも やさしく見守ってくれたおかげで 安心できたよ」「毎日 おいしいご飯を作ってくれて ありがとう」「お家で食べるご飯は 世界一おいしいよ」「そうじや せんたく 身の回りのことをするのはたいへんだったでしょう」「家族のために 毎日 遅くまで働いてくれて ありがとう」「なのに たくさん 困らせてしまって ごめんね」「僕(私)たちを 産んでくれて ありがとう」などと親への感謝を一人ずつ暗誦させる群読シナリオがメインだが、中には劇仕立てになっているものもある。
(子ども)僕たち10年間の間にいろんなことがあったね。
(子ども)20歳になったらみんなどんなふうになっているんだろうね。
(子ども)いつまでも友達でいようね。
(子ども)20歳の成人式でも、こうやってみんなで会おうね。
(全員) さんせ~い!!お~!!
〈一人ずつ順に夢をスピーチしていく。バックミュージックは「夢をあきらめないで」(岡村孝子)〉
〈「夢をあきらめないで」の2番から、みんなで歌う。〉
手をつなぎ、フィナーレ。
幕
「『ぼくらの1/2成人式』・劇脚本」より抜粋
本稿を横から覗き見た長女が「地獄かよ…」とつぶやいた。母の私も同感である。子供時代にこんな寸劇をやらされなくてよかった。親を飛び越して時代に感謝してしまいそうだ。親への感謝を無理やり言わせるだけでは親を泣かせるに足らないのか、「泣いてしまいそうな感動的な歌を歌う」「発表中は、オルゴールのやさしい曲を流し、雰囲気つくりをした」「『10年前に流行した音楽』をBGMとして静かに流す(…)10年前を音楽で自然に思い出すことができる」と、音楽で泣かせようとする演出も目立つ。出生時の流行歌といっても「きよしのズンドコ節」などではなく、感動J-POPオンリーだ。まるで結婚式みたい。
結婚式のようなTOSS版「二分の一成人式」
TOSSの「二分の一成人式」公式サイトも見てみよう。「感動的な式にするための準備物」の欄には、「ウェルカムボード」「パソコンやプロジェクター」「親への手紙」「赤ちゃんの頃の写真」などが挙げられており、まさに結婚式そのものである。この手の結婚式カルチャーが嫌すぎて自分の結婚式すら挙げずに済ませたのに、まさか小学校で巻き込まれるとは。
「親を泣かせる歌と指導法」というストレートなタイトルのコーナーもある。「この選曲1つで、親を泣かせられるかが左右される。とても大事なことだ」。「親を泣かせるベスト3」で挙げられているのは、「未来へ」(Kiroro)「世界が1つになるまで」(Ya-Ya-yah)「ビリーブ」(合唱曲)と、J-POP尽くし。
「学級のドラマを演出する技」では、スライドショー上映の際に「影の主役、BGMは『必須!!』である」という。ここでもKiroro「未来へ」が大プッシュされている。「全国各地の2分の1成人式でも使われている人気の曲である。歌詞がいいので、スライドショー鑑賞時にかけると保護者の涙を誘う。歌ってもよし。リコーダーで演奏してもよしのイチオシ曲である」。TOSSがこんなにKiroro好きだとは知らなかった。Kiroro好きはかまわないが、なぜそんなに親を泣かせたいのだろう。
プレ不良の更生手段
同サイトには、二分の一成人式の意義として「教室の中でもかなりのやんちゃ者」で「1・2年生のころは周りの子への乱暴や喧嘩でよく問題になっていた」男子が式の後に更生したという事例が紹介されている。
自分の生きてきた10年間を振り返り、親への感謝の言葉を述べているときである。S君の言葉がつまり始めた。目には大粒の涙があふれていた。涙で言葉が出ない。参観していた多くの保護者も涙。教室はシーンと静まりかえり、S君の嗚咽(おえつ)と保護者や子供たちのすすり泣きの声だけが響いた。(…)そんなS君が目の前で泣きながら母親への感謝の言葉を述べているのである。たくさんの保護者に囲まれた中での厳かな雰囲気。初めて迎える人生の節目。決意表明の原稿を作成する過程で沸きあがった親への感情。それら全ての結集が彼の心を強く揺さぶった。 その後、S君は明らかに変わった。友達とのトラブルが激減した。悪いことをしても素直に反省の言葉が出るようになった。
「TOSSが推進する1/2成人式」より抜粋
さらに医学的な意義として、児童が「情緒的な整理」「特に保護者との関係を整理」することで、思春期の大きな揺れに備えた土台を作ることができるという大学教授のコメントが掲載されている。
「親への感謝」によって、問題要素を抱えた児童が思春期に本格的な不良になる前に更生させるというところに意義があるようだ。
「内観法」と「二分の一成人式」の共通点
そこで思い出すのが、『日本人と母―文化としての母の観念についての研究』(山村 賢明)で紹介されていた、日本独自の非行少年矯正教育法「内観法」である。大正生まれの僧侶である吉本伊信によって創始された心理療法「内観法」は、昭和30年代より全国各地の刑務所・矯正施設で採用されるようになり、死刑囚ややくざが改心するなど大きな成果をあげたという。いったい何をしたらそんなすごいことができるのか。
簡単にいうと、自分と関わりの深い他者(多くは母親である)に対して、自分がどうであったかを語らせるという療法だ。母親に何をしてもらったか。それに対して自己はどのようであったか。どのような迷惑をかけたか。この作業を経て、自分は母の恩を返せていないという罪の意識を内面化させる。最終的にそのような自己でも許容してくれた母親に感謝することにより、社会に復帰させるという筋書きだ。内観法の一般向け解説書『お母さんにしてもらったことは何ですか?』(大山真弘)では、犯罪者に限らず、多くの人が母親にしてもらったことを振り返ることで生き方を変えることができるという。
刑事ドラマの犯人説得シーンでよく見る「故郷のおふくろさんは泣いてるぞ」に近い。母親は子供のために自己犠牲するものだという母性幻想ありきの、日本ならではの心理療法といえる。これは学校現場にも取り入れられていると同書には記されていたから、二分の一成人式はその末裔のようなものだろう。哀れな母親をテコに、罪の意識から更生にいたらしめる。要するに私たちは子供の言葉に触発されて泣くことで、刑事ドラマにおける「故郷のおふくろさん」になるわけだ。ママはこんなに苦労してお前に尽くしてるんだから、不良にならないでおくれよう、ヨヨヨ。
涙ひとつで子供の不良化が防げるなら安いものともいえるが、今を生きる子供たちは、大人の逃避先である母性幻想ノスタルジーとは無縁である。語尾を「よ」「ね」に無理やり変えさせて「童心」を演出したところで、子供たちはしらけるだけだ。母に尽くされた大人にとって内観法がキリスト教における罪の意識に近い道徳観の内面化に効果的であるとしても、多様な背景を持つ子供たちに衆人環視のもと強制していいものとも思われない。誰もが安心して学業にいそしめるよう、われわれは教育現場の結婚式場化を食い止めねばならない。ストップ・ザ・Kiroro。もっと哀しい瞬間に涙はとっておきたいの。斉藤由貴世代のお母さんからの伝言である。