No.189 - 孫正義氏に潰された日本発のパソコン [技術]
No.175「半沢直樹は機械化できる」の補記(2016.9.18)に書いたのですが、みずほ銀行とソフトバンクは 2016年9月15日、AI(人工知能)技術を使った個人向け融資の新会社設立を発表しました。そのソフトバンクとAIについては、AI技術を使ったロボット「ペッパー」のことも No.159「AIBOは最後のモルモットか」で書きました。
二つの記事でソフトバンク・グループの孫正義社長の発言や人物評価に簡単にふれたのですが、今回は、その孫正義氏に関することを書きます。最近、ソフトバンク・グループが英国・ARM(アーム)社を買収した件です。以前に強く思ったことがあって、この買収でそれを思い出したからです。
ソフトバンクが英国・ARM(アーム)社を買収
ソフトバンク・グループの孫正義社長は、2016年7月18日にロンドンで記者会見をし、英国・ケンブリッジにあるARM社を240億ポンド(約3兆3000億円)で買収すると発表しました。ソフトバンクがボーダフォン日本法人を買収した金額は1兆7820億円、米国の電話会社・スプリントの買収は1兆8000億円ですから、それらを大きく上回り、もちろん日本企業の買収案件では史上最大です。
ARM(アーム)は、コンピュータ、パソコン、スマートフォンなどの心臓部である「マイクロ・プロセッサー」を設計する会社です。
現代のマイクロ・プロセッサーの有名メーカーはインテルで、Windowsが搭載されているパソコンにはインテル製、ないしはそれと互換性のある(=代替可能な)マイクロ・プロセッサーが組み込まれています( "インテル、はいってる" )。
ARMがインテルほど一般に有名でないのは、ARMはマイクロ・プロセッサー(= 半導体チップ)そのものを製造する会社ではなく、マイクロ・プロセッサーの "設計仕様" と、その仕様に基づいて作られた "設計データ" を開発している会社だからです(専門用語で "アーキテクチャ" と "IPコア")。マイクロ・プロセッサーの開発会社はARMから "設計データ" を購入し、それに自社の設計データも付加して、そのデータをもとにマイクロ・プロセッサーを製造します。製造は自社の工場で行うか、ないしは台湾などの製造専門会社に委託するわけです。
ARMの "設計データ" の大きな特長は、それをもとに作られたマイクロ・プロセッサーの電力消費量が少ないことです。そこがARMのノウハウであり、技術力です。この特質があるため、現在の世界のスマートフォンの90%以上は、ARM仕様の(=ARMの "設計仕様" か "設計データ" を使った)半導体チップになっています。Androidのスマートフォンのみならず、アップルもARMから設計仕様を購入しています。
ちなみに、日本最速のスーパー・コンピュータ "京" の後継機種である "ポスト京" を計画している富士通は、そのプロセッサーとして「スパコン拡張版のARM仕様」の採用を発表しました(2016.6.20)。富士通が出した拡張要求に ARM社が同意したことがポイントのようです。ARMはスパコンにも乗り出すということです。そしてスパコンで磨いた技術をもとに、現在はインテルなどが席巻している「業務用サーバ機」という巨大なコンピュータ市場を狙うのでしょう。
ところで、ARMという会社の名前は元々、
Acorn RISC Machine
の略称でした。今は Advanced RISC Machine の略とされているようですが、元々は Acorn RISC Machine だった。この英単語の意味は以下の通りです。
ここでなぜ "Acorn(=ドングリ)" なのかというと、ARM社の前身が「エイコーン・コンピュータ(Acorn Computers)」という、英国のケンブリッジに設立された会社だったからです。
エイコーン・コンピュータ
エイコーン・コンピュータは、1978年に設立されたコンピュータ会社です。Acornと命名したのは、そこから芽が出て大きな木に成長するという意味だとか、また電話帳で Apple より前に記載されるようにだとか言われています。余談ですが、そのAppleという名前はスティーヴ・ジョブズが働いたこともあるゲーム会社・Atariより電話帳で前に来るようにしたという説があります。
エイコーン・コンピュータが大きく伸びたのは、1980年代から1990年代前半にかけて、イギリスの教育用コンピュータ(当時のマイコン。今のパソコン)の市場を独占したからです。
イギリスの公共放送のBBCは、これからの時代におけるコンピュータの重要性に気づき、コンピュータ教育を推進するため、BBC Computer Literacy Project を1980年に開始しました。この一環で "BBC Micro" というマイコンを開発することになりました。このときイギリス政府は、開発企業を英国企業にするようにという強い指導を行ったのです。いろいろと経緯があって、最終的に選ばれたのはエイコーン・コンピュータでした。その "BBC Micro" は1982年に発売されました。ちなみに、公共放送が教育に関与するのは日本と似ています。
1980年代、イギリス政府は全国の学校にコンピュータを導入する補助金をばらまき、また教師の訓練やコンピュータ関連プロジェクトにも補助金を出しました。このとき最も売れたのが "国策コンピュータ" の "BBC Micro" とその後継機種だったわけです。当然、エイコーン・コンピュータの売り上げは伸び、会社は発展を遂げます。そして1980年代の半ばにエイコーン・コンピュータ社内で始まったのが、全く新しい設計思想(=RISC)のマイクロ・プロセッサーを開発する "ARMプロジェクト" だった。だから "Acorn RISC Machine" なのです。そのARMプロセッサーを搭載した BBC Micro の後継機種は英国の学校にも導入されました。
エイコーン・コンピュータはその後、いくつかの会社に分割されましたが、マイクロ・プロセッサー部門は ARM社として生き残り、現代のスマートフォンで世界を席巻するまでになりました。
以上の経緯を振り返ってみると、ソフトバンク・グループが買収した ARM は、英国政府と公共放送の施策に従って開発された「英国発の学校用コンピュータ」にルーツがあると言っていいわけです。もちろん現代のARMは、当時のマイクロ・プロセッサーからすると技術的に比べられないほど進化を遂げています。あくまでルーツをだどるとそこに行き着くという意味です。
1990年代半ばより、マイクロソフトのWindowsがメジャーになり、それに従って、マイクロ・プロセッサーとしてはインテル製品が普及しました。インテル(とアップル)のプロセッサーが、パソコン用として世界を制覇したわけです。
しかしARMは "英国発" の技術として生き残り、生き残っただけではなく特定分野(スマートフォン)では世界を席巻するまでになりました。その源流はと言うと、政府肝入りの教育用コンピュータだったのです。
ここで話は日本に飛ぶのですが、実は日本においても、日本発のコンピュータの基本ソフト(OS)とパソコンが、日本の教育現場に大量導入されてもおかしくない時期があったのです。そのコンピュータ基本ソフトが、坂村健・東大教授の TRON(トロン)です。
TRONプロジェクト
TRONはコンピュータの基本ソフト(OS:Operating System)です。コンピュータの作りを簡略化して言うと、まずハードウェアがあり、その中核がマイクロ・プロセッサーです。そのマイクロ・プロセッサーで動作するのが基本ソフト(OS)であり、基本ソフトの上で動作するのが各種のアプリ(アプリケーション・プログラム)です。現代のパソコンの基本ソフト(OS)の代表的なものは、マイクロソフト社の Windows や、アップル社の iOS です。
その意味で、TRON(= OS)は ARM とは位置づけが違います。ARMはマイクロ・プロセッサー(=ハードウェア)の設計仕様だからです。しかし TRON も ARM も、コンピュータの動作を基礎で支える基本的な技術であることには変わりません。むしろパソコンやスマートフォンを考えると、一般利用者から見た使い勝手はマイクロ・プロセッサーよりも基本ソフト(OS)に強く影響されます。そのためパソコンメーカーは、基本ソフト(OS)の仕様に合うようにパソコンのハードウェア全体を設計し、販売しています。
TRONプロジェクトではまず、機械に組み込まれたマイクロ・プロセッサーでの使用を前提とした ITRON( I は Industry )が開発されました。TRONは The Real-time Operating system Nucleus であり、Real-timeというところに「機器組み込み用」という本来の狙いが現れています。さらにTRONプロジェクトでは、一般の個人が家庭や学校、職場で使うパソコン用に BTRON( B は Business )が開発されました。以下はその BTRON の話です。
BTRON
BTRON プロジェクトを主導したのは、坂村教授と松下電器産業(現、パナソニック)であり、1985年に開発がスタートしました。BTRONを開発し、その仕様に合ったパソコンを開発しようとしたのです。BTRONは次第に知名度を高め、賛同するパソコン・メーカーも増えてきました。そしてこの開発と平行して、全国の学校にパソコンを設置する話が持ち上がったのです。イギリスから数年遅れということになります。
以下、日経産業新聞に連載された坂村教授の「仕事人秘録」から引用します。下線は原文にはありません。
教育用パソコンの標準OSにBTRON、という動きに対して、当時はマイクロソフトのOS、MS-DOSをかつぐ勢力があり、それで成功していた会社もあったというのがポイントです。このことが、その後の "異様な" 展開を引き起こすのです。
潰された BTRON
1980年代後半というと、日本の経済力が飛躍的に伸びた絶頂期であり、バブル景気とも言われた時期です。アメリカとの貿易摩擦もいろいろと起った。そういう時代背景での出来事です。
無料の(今で言う "オープン・ソース" の)基本ソフト(OS)を "国を越えて" 使っても、それは貿易ではないので貿易摩擦を生むはずがありません。唯一、BTRONが広まると困るのは「既存の有料のパソコン用OSやそのアプリでビジネスを展開している日米の人たち」であることは明白なわけです。そして実際その通りだったことは、坂村教授が「後に思いがけない事実が明らかになる」と書いているように、後で判明します。
現在のソフトバンク・グループは「情報通信業」であり、数々の事業を手がけていますが、元はというとソフトウェアの卸(=流通業)や出版をする会社でした。上の引用にあるような米国のソフトを輸入販売する立場から言うと、そのソフトはマイクロソフトやアップルのOSで動くように作られたものです。従って、日本で BTRON ベースのパソコンが広まるのは、孫氏のビジネスにとってはまずいわけです。だから "トロン潰し" に動いた。
この事件が坂村教授に「不愉快な思い」をさせただけならどうということはないのですが、それよりも坂村教授が一つ前の引用で語っているように、日本の情報通信産業に与えたダメージが大きかったわけです。
しかし、トロンが無くなったわけではありません。坂村教授の述懐を続けます。
孫正義氏の "TRON 潰し"
坂村教授が言っているように、孫正義氏の "TRON 潰し" は「孫正義 起業の若き獅子」(大下英治著。講談社。1999)に書かれています。
当時、孫正義氏は情報産業や学界に"TRON反対" を説いて回るのですが、コンピュータ教育開発センター(CEC)は1988年1月にBTRONを教育用パソコンの標準OSとすることを決めます。一発逆転を狙った孫正義氏は1989年に入ってまもなく、ソニー会長の盛田昭夫氏に依頼し、通産省の高官とじかに話をしようとします。そのあたりの記述です。
(以下の引用では、漢数字を数字にしました。また段落を再構成しました。下線は原文にはありません)。
坂村教授がアメリカ通商代表部に面会したとき、通商代表部側は「どこからの申請とは言えないが、米国の企業に不利との訴えがあれば、まず制裁候補に挙げる」と答えました。誰が TRON をアメリカ企業に不利だと申請したのか、大下英治氏の本には書いていません。しかしその申請者は、ソフトの流通業をやっていたソフトバンク=孫氏だと推測させるような書き方がされています。つまり、
の2点です。孫氏の「いいアイデア」とは何か、本には書かれていませんが、その後の経緯から推測できます。また坂村教授は、長野県の山小屋での休暇中に衛星放送テレビの報道で貿易障壁報告を知りました。つまり坂村教授にとってUSTRの貿易障壁に TRON があげられることは、全くの "寝耳に水" だったわけです。事前に何らかの噂でもあったのなら、TRONプロジェクトのリーダーの耳に入らないはずがない。
しかし孫氏は明らかに報告が出るのを注視していました。注視していたからこそ、報道以前に知り得たのです。わざわざ注視していた理由は一つしかないと思われます。
英国と日本の落差
孫氏の "TRON潰し" の行動は、別に悪いことではないと思います。孫氏のような「政治的な動き」も駆使して自社ビジネスに有利な状況を作ろうとすることは、大企業なら多かれ少なかれやっているし、米国企業だとロビイストを使った "正式の" 手段になっています。
そもそもソフトバンクの過去からの企業行動を見ていると、独自技術をゼロから育てるつもりはなく、技術は買ってくればよいという考えのようです。ましてや、日本発の技術を育てようとは思わないし、そこに価値を見い出したりはしない。
そのような企業のトップとして孫氏は「TRON潰しは、我ながらよくやった」と、今でも思っているはずです。孫氏が坂村教授に語った「若気の至り」は、あくまで社交辞令であって、そんなことは心の中では全く思っていないでしょう。しかし、TRONプロジェクトのリーダに会った以上、そうとでも言うしかない。
それよりも、日本の "BTRON事件" で思うのは、このブログの最初に書いた英国と比較です。つまり、日英の官庁とマスメディアの、あまりにも大きい落差です。英国政府とマスメディア(BBC)は、断固として英国発の技術を使ったコンピュータを全国の学校にばらまく。それは(今から思うと)最終的には Windowsパソコンに置き変わることになったとしても、その中からARMのような世界を席巻する技術が生まれる。
片や日本の官僚は、ソフト流通業のトップといっしょになって日本発のコンピュータを潰しにかかる。通産省(当時)の機械情報産業局というと、日本の情報産業を育成する立場の組織です。その官僚が日本発の技術をつぶしていたのでは "日本国の官僚組織" とは言えないでしょう。まるでアメリカ商務省の出先機関です。それに輪をかけて、日本のマスメディアは貿易摩擦をおもしろおかしく書き立て、火に油を注ぐ。結果として起こった火災は、日本発のパソコンを壊滅に導いた・・・・・・。
最初に「ソフトバンク・グループの ARM 社買収で、以前に強く思ったことを思い出した」と書いたは、ARM(英国)とTRON(日本)の対比であり、日英の官庁の落差でした。
この対比において、日英の官庁の落差に加えてもう一つ重要なことがあります。官僚がTRON潰しに邁進したにもかかわらず、TRONは機器組み込み用のITRONとして生き残ったという事実です。ARMほどではないにしても・・・・・・。それは坂村教授というより、TRONを支えた日本の多数の技術者の功績のはずです。
新しいものを生みだそうという努力には敬意を払いたい、それが英国の ARM であっても日本の TRON であっても・・・・・・。そういう風に思いました。
記事の最初に書いたソフトバンクグループの ARM社買収について、朝日新聞の大鹿記者が内情を書いていました。興味ある内容だったので、その前半3分の2ほどを紹介します。記事全体の見出しは「3.3兆円で買収した千里眼」です。「千里眼」の意味は以下の引用の最後に出てきます。まず、孫正義社長が買収を切り出した場面です。
記事では続いて、この10年間の孫社長の動きが紹介されています。ボーダフォン日本法人を買収した直後から、アーム社買収の構想を練り始めたようです。
2006年にソフトバンクがボーダフォンの日本法人を買収して間もないころ、アームのシガース氏は孫氏と東京で携帯電話について語り合った、とあります。このころ、スマートフォンはありません。iPhoneの米国発売は2007年、日本発売は2008年です。アームとソフトバンクを引きあわせたもの、それは日本の携帯電話だったわけです。日本の高度に発達した携帯電話のチップとして、省電力性能に優れたアーム仕様のチップが広まった。アームと日本のかかわり合いを示すエピソードです。
続く記事では、ソフトバンクがアームを買収した理由が出てきます。
「アームは1990年、英コンピュータ会社から独立した12人のエンジニアが創業した」という表現には注意が必要です。アーム仕様を最初に開発したのは、このブログ記事に書いたように "エイコーン・コンピュータ" です。アーム(ARM)の "A" は、もともとエイコーン(Acorn = ドングリ)の "A" だった。そのエイコーンの半導体回路設計部門が独立してアーム社になった。アーム仕様はベンチャー企業が独自に開発したのではありません。そのアームのルーツをたどると英国の学校用コンピュータに行き着くことは、このブログ記事に書いた通りです。
シガース氏がアームとソフトバンクの相乗効果は全くないと即答したのは、全くその通りだと思います。相乗効果が無いからこそ、独占禁止法に触れることなく買収できたのでしょう。インテルがアームを買収するのは無理というものです。
しかし記事にあるように、孫氏が「千里眼」を獲得するためにアームを買収したというのはどうでしょうか。確かにそういう面もあるでしょうが、「千里眼」のために3.3兆円というのはいかにも高すぎる。3.3兆円の裏には冷徹な計算があるはずです。
アームのビジネスモデルは、チップの設計仕様(アーキテクチャ)や回路設計データ(コア)を半導体メーカーに供与し、半導体が売れるたびに製品価格の何%かを収入として得るというものです。これは特許ビジネスと同じです。しかもアームのコアは、情報産業で言う "プラットフォーム" の一種です。いったんプラットフォームを握ると、そのビジネスは長期に続く可能性が高い。パソコン・スマホのOS(マイクロソフト、アップル、グーグル)、パソコンのCPU(インテル)がそうです。プラットフォームを乗り換えるには "コスト" がかかるのです。
プラットフォームを握り、日銭を稼ぐ。それがアームのビジネスモデルです。つまり安定的な売り上げが見込める。この点は、ソフトバンクが過去に買収したボーダフォン日本(その前身はJ-Phone)、スプリントという携帯電話のビジネスと似ています。激しい競争はあるものの安定している。1年後に売り上げが30%ダウンなどどいう状況は、まず考えられません。しかもアームは設計に特化しているため、営業利益率が40%という高収益企業です。孫社長は今後のソフトバンクグループの成長戦略を描くために、そこに魅力を感じたのだろうと思いました。
二つの記事でソフトバンク・グループの孫正義社長の発言や人物評価に簡単にふれたのですが、今回は、その孫正義氏に関することを書きます。最近、ソフトバンク・グループが英国・ARM(アーム)社を買収した件です。以前に強く思ったことがあって、この買収でそれを思い出したからです。
ソフトバンクが英国・ARM(アーム)社を買収
ソフトバンク・グループの孫正義社長は、2016年7月18日にロンドンで記者会見をし、英国・ケンブリッジにあるARM社を240億ポンド(約3兆3000億円)で買収すると発表しました。ソフトバンクがボーダフォン日本法人を買収した金額は1兆7820億円、米国の電話会社・スプリントの買収は1兆8000億円ですから、それらを大きく上回り、もちろん日本企業の買収案件では史上最大です。
ARM(アーム)は、コンピュータ、パソコン、スマートフォンなどの心臓部である「マイクロ・プロセッサー」を設計する会社です。
コンピュータで演算や情報処理を行う半導体チップがマイクロ・プロセッサー(Micro Processor)であり、MPU(Micro Processing Unit)とか、CPU(Central Processing Unit)とも呼ばれます。以下「マイクロ・プロセッサー」ないしは単に「プロセッサー」と書きます。 |
現代のマイクロ・プロセッサーの有名メーカーはインテルで、Windowsが搭載されているパソコンにはインテル製、ないしはそれと互換性のある(=代替可能な)マイクロ・プロセッサーが組み込まれています( "インテル、はいってる" )。
ARMがインテルほど一般に有名でないのは、ARMはマイクロ・プロセッサー(= 半導体チップ)そのものを製造する会社ではなく、マイクロ・プロセッサーの "設計仕様" と、その仕様に基づいて作られた "設計データ" を開発している会社だからです(専門用語で "アーキテクチャ" と "IPコア")。マイクロ・プロセッサーの開発会社はARMから "設計データ" を購入し、それに自社の設計データも付加して、そのデータをもとにマイクロ・プロセッサーを製造します。製造は自社の工場で行うか、ないしは台湾などの製造専門会社に委託するわけです。
ARMの "設計データ" の大きな特長は、それをもとに作られたマイクロ・プロセッサーの電力消費量が少ないことです。そこがARMのノウハウであり、技術力です。この特質があるため、現在の世界のスマートフォンの90%以上は、ARM仕様の(=ARMの "設計仕様" か "設計データ" を使った)半導体チップになっています。Androidのスマートフォンのみならず、アップルもARMから設計仕様を購入しています。
ちなみに、日本最速のスーパー・コンピュータ "京" の後継機種である "ポスト京" を計画している富士通は、そのプロセッサーとして「スパコン拡張版のARM仕様」の採用を発表しました(2016.6.20)。富士通が出した拡張要求に ARM社が同意したことがポイントのようです。ARMはスパコンにも乗り出すということです。そしてスパコンで磨いた技術をもとに、現在はインテルなどが席巻している「業務用サーバ機」という巨大なコンピュータ市場を狙うのでしょう。
ヒューレット・パッカード(HP)のプリンタに搭載された、ARM仕様のマイクロ・プロセッサー。半導体チップの製造メーカ・STマイクロエレクトロニクスのロゴとARMのロゴが見える(画像はWikipediaより)。
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ところで、ARMという会社の名前は元々、
Acorn RISC Machine
の略称でした。今は Advanced RISC Machine の略とされているようですが、元々は Acorn RISC Machine だった。この英単語の意味は以下の通りです。
Acorn
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ここでなぜ "Acorn(=ドングリ)" なのかというと、ARM社の前身が「エイコーン・コンピュータ(Acorn Computers)」という、英国のケンブリッジに設立された会社だったからです。
エイコーン・コンピュータ
エイコーン・コンピュータは、1978年に設立されたコンピュータ会社です。Acornと命名したのは、そこから芽が出て大きな木に成長するという意味だとか、また電話帳で Apple より前に記載されるようにだとか言われています。余談ですが、そのAppleという名前はスティーヴ・ジョブズが働いたこともあるゲーム会社・Atariより電話帳で前に来るようにしたという説があります。
エイコーン・コンピュータが大きく伸びたのは、1980年代から1990年代前半にかけて、イギリスの教育用コンピュータ(当時のマイコン。今のパソコン)の市場を独占したからです。
BBC Micro(1982~1986)。画像はWikipediaより
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1980年代、イギリス政府は全国の学校にコンピュータを導入する補助金をばらまき、また教師の訓練やコンピュータ関連プロジェクトにも補助金を出しました。このとき最も売れたのが "国策コンピュータ" の "BBC Micro" とその後継機種だったわけです。当然、エイコーン・コンピュータの売り上げは伸び、会社は発展を遂げます。そして1980年代の半ばにエイコーン・コンピュータ社内で始まったのが、全く新しい設計思想(=RISC)のマイクロ・プロセッサーを開発する "ARMプロジェクト" だった。だから "Acorn RISC Machine" なのです。そのARMプロセッサーを搭載した BBC Micro の後継機種は英国の学校にも導入されました。
BBC Microの後継機種である, Acorn Archemedes(1987)。ARM仕様のマイクロプロセッサーが搭載されている。下位機種はBBC Archemedesのブランドで学校に導入された(画像はWikipediaより)
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以上の経緯を振り返ってみると、ソフトバンク・グループが買収した ARM は、英国政府と公共放送の施策に従って開発された「英国発の学校用コンピュータ」にルーツがあると言っていいわけです。もちろん現代のARMは、当時のマイクロ・プロセッサーからすると技術的に比べられないほど進化を遂げています。あくまでルーツをだどるとそこに行き着くという意味です。
1990年代半ばより、マイクロソフトのWindowsがメジャーになり、それに従って、マイクロ・プロセッサーとしてはインテル製品が普及しました。インテル(とアップル)のプロセッサーが、パソコン用として世界を制覇したわけです。
しかしARMは "英国発" の技術として生き残り、生き残っただけではなく特定分野(スマートフォン)では世界を席巻するまでになりました。その源流はと言うと、政府肝入りの教育用コンピュータだったのです。
ここで話は日本に飛ぶのですが、実は日本においても、日本発のコンピュータの基本ソフト(OS)とパソコンが、日本の教育現場に大量導入されてもおかしくない時期があったのです。そのコンピュータ基本ソフトが、坂村健・東大教授の TRON(トロン)です。
TRONプロジェクト
TRONはコンピュータの基本ソフト(OS:Operating System)です。コンピュータの作りを簡略化して言うと、まずハードウェアがあり、その中核がマイクロ・プロセッサーです。そのマイクロ・プロセッサーで動作するのが基本ソフト(OS)であり、基本ソフトの上で動作するのが各種のアプリ(アプリケーション・プログラム)です。現代のパソコンの基本ソフト(OS)の代表的なものは、マイクロソフト社の Windows や、アップル社の iOS です。
その意味で、TRON(= OS)は ARM とは位置づけが違います。ARMはマイクロ・プロセッサー(=ハードウェア)の設計仕様だからです。しかし TRON も ARM も、コンピュータの動作を基礎で支える基本的な技術であることには変わりません。むしろパソコンやスマートフォンを考えると、一般利用者から見た使い勝手はマイクロ・プロセッサーよりも基本ソフト(OS)に強く影響されます。そのためパソコンメーカーは、基本ソフト(OS)の仕様に合うようにパソコンのハードウェア全体を設計し、販売しています。
なお、TRONプロジェクトでは各種の技術が開発されていて、中には "TRONチップ" のようなマイクロ・プロセッサーそのものもありますが、以下の記述での TRON は基本ソフト(OS)としての TRON に話を絞ります。 |
TRONプロジェクトではまず、機械に組み込まれたマイクロ・プロセッサーでの使用を前提とした ITRON( I は Industry )が開発されました。TRONは The Real-time Operating system Nucleus であり、Real-timeというところに「機器組み込み用」という本来の狙いが現れています。さらにTRONプロジェクトでは、一般の個人が家庭や学校、職場で使うパソコン用に BTRON( B は Business )が開発されました。以下はその BTRON の話です。
BTRON
BTRON プロジェクトを主導したのは、坂村教授と松下電器産業(現、パナソニック)であり、1985年に開発がスタートしました。BTRONを開発し、その仕様に合ったパソコンを開発しようとしたのです。BTRONは次第に知名度を高め、賛同するパソコン・メーカーも増えてきました。そしてこの開発と平行して、全国の学校にパソコンを設置する話が持ち上がったのです。イギリスから数年遅れということになります。
以下、日経産業新聞に連載された坂村教授の「仕事人秘録」から引用します。下線は原文にはありません。
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教育用パソコンの標準OSにBTRON、という動きに対して、当時はマイクロソフトのOS、MS-DOSをかつぐ勢力があり、それで成功していた会社もあったというのがポイントです。このことが、その後の "異様な" 展開を引き起こすのです。
潰された BTRON
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1980年代後半というと、日本の経済力が飛躍的に伸びた絶頂期であり、バブル景気とも言われた時期です。アメリカとの貿易摩擦もいろいろと起った。そういう時代背景での出来事です。
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無料の(今で言う "オープン・ソース" の)基本ソフト(OS)を "国を越えて" 使っても、それは貿易ではないので貿易摩擦を生むはずがありません。唯一、BTRONが広まると困るのは「既存の有料のパソコン用OSやそのアプリでビジネスを展開している日米の人たち」であることは明白なわけです。そして実際その通りだったことは、坂村教授が「後に思いがけない事実が明らかになる」と書いているように、後で判明します。
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現在のソフトバンク・グループは「情報通信業」であり、数々の事業を手がけていますが、元はというとソフトウェアの卸(=流通業)や出版をする会社でした。上の引用にあるような米国のソフトを輸入販売する立場から言うと、そのソフトはマイクロソフトやアップルのOSで動くように作られたものです。従って、日本で BTRON ベースのパソコンが広まるのは、孫氏のビジネスにとってはまずいわけです。だから "トロン潰し" に動いた。
この事件が坂村教授に「不愉快な思い」をさせただけならどうということはないのですが、それよりも坂村教授が一つ前の引用で語っているように、日本の情報通信産業に与えたダメージが大きかったわけです。
しかし、トロンが無くなったわけではありません。坂村教授の述懐を続けます。
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孫正義氏の "TRON 潰し"
「孫正義 起業の若き獅子」
大下英治著 (講談社。1999) |
当時、孫正義氏は情報産業や学界に"TRON反対" を説いて回るのですが、コンピュータ教育開発センター(CEC)は1988年1月にBTRONを教育用パソコンの標準OSとすることを決めます。一発逆転を狙った孫正義氏は1989年に入ってまもなく、ソニー会長の盛田昭夫氏に依頼し、通産省の高官とじかに話をしようとします。そのあたりの記述です。
(以下の引用では、漢数字を数字にしました。また段落を再構成しました。下線は原文にはありません)。
|
坂村教授がアメリカ通商代表部に面会したとき、通商代表部側は「どこからの申請とは言えないが、米国の企業に不利との訴えがあれば、まず制裁候補に挙げる」と答えました。誰が TRON をアメリカ企業に不利だと申請したのか、大下英治氏の本には書いていません。しかしその申請者は、ソフトの流通業をやっていたソフトバンク=孫氏だと推測させるような書き方がされています。つまり、
・ | 「僕にいいアイデアがあります」と、孫氏が語ったこと | ||
・ | 貿易障壁報告の内容を、報道される前に知っていたこと |
の2点です。孫氏の「いいアイデア」とは何か、本には書かれていませんが、その後の経緯から推測できます。また坂村教授は、長野県の山小屋での休暇中に衛星放送テレビの報道で貿易障壁報告を知りました。つまり坂村教授にとってUSTRの貿易障壁に TRON があげられることは、全くの "寝耳に水" だったわけです。事前に何らかの噂でもあったのなら、TRONプロジェクトのリーダーの耳に入らないはずがない。
しかし孫氏は明らかに報告が出るのを注視していました。注視していたからこそ、報道以前に知り得たのです。わざわざ注視していた理由は一つしかないと思われます。
英国と日本の落差
孫氏の "TRON潰し" の行動は、別に悪いことではないと思います。孫氏のような「政治的な動き」も駆使して自社ビジネスに有利な状況を作ろうとすることは、大企業なら多かれ少なかれやっているし、米国企業だとロビイストを使った "正式の" 手段になっています。
そもそもソフトバンクの過去からの企業行動を見ていると、独自技術をゼロから育てるつもりはなく、技術は買ってくればよいという考えのようです。ましてや、日本発の技術を育てようとは思わないし、そこに価値を見い出したりはしない。
そのような企業のトップとして孫氏は「TRON潰しは、我ながらよくやった」と、今でも思っているはずです。孫氏が坂村教授に語った「若気の至り」は、あくまで社交辞令であって、そんなことは心の中では全く思っていないでしょう。しかし、TRONプロジェクトのリーダに会った以上、そうとでも言うしかない。
それよりも、日本の "BTRON事件" で思うのは、このブログの最初に書いた英国と比較です。つまり、日英の官庁とマスメディアの、あまりにも大きい落差です。英国政府とマスメディア(BBC)は、断固として英国発の技術を使ったコンピュータを全国の学校にばらまく。それは(今から思うと)最終的には Windowsパソコンに置き変わることになったとしても、その中からARMのような世界を席巻する技術が生まれる。
片や日本の官僚は、ソフト流通業のトップといっしょになって日本発のコンピュータを潰しにかかる。通産省(当時)の機械情報産業局というと、日本の情報産業を育成する立場の組織です。その官僚が日本発の技術をつぶしていたのでは "日本国の官僚組織" とは言えないでしょう。まるでアメリカ商務省の出先機関です。それに輪をかけて、日本のマスメディアは貿易摩擦をおもしろおかしく書き立て、火に油を注ぐ。結果として起こった火災は、日本発のパソコンを壊滅に導いた・・・・・・。
最初に「ソフトバンク・グループの ARM 社買収で、以前に強く思ったことを思い出した」と書いたは、ARM(英国)とTRON(日本)の対比であり、日英の官庁の落差でした。
この対比において、日英の官庁の落差に加えてもう一つ重要なことがあります。官僚がTRON潰しに邁進したにもかかわらず、TRONは機器組み込み用のITRONとして生き残ったという事実です。ARMほどではないにしても・・・・・・。それは坂村教授というより、TRONを支えた日本の多数の技術者の功績のはずです。
新しいものを生みだそうという努力には敬意を払いたい、それが英国の ARM であっても日本の TRON であっても・・・・・・。そういう風に思いました。
補記:ソフトバンクの ARM 買収 |
記事の最初に書いたソフトバンクグループの ARM社買収について、朝日新聞の大鹿記者が内情を書いていました。興味ある内容だったので、その前半3分の2ほどを紹介します。記事全体の見出しは「3.3兆円で買収した千里眼」です。「千里眼」の意味は以下の引用の最後に出てきます。まず、孫正義社長が買収を切り出した場面です。
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記事では続いて、この10年間の孫社長の動きが紹介されています。ボーダフォン日本法人を買収した直後から、アーム社買収の構想を練り始めたようです。
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2006年にソフトバンクがボーダフォンの日本法人を買収して間もないころ、アームのシガース氏は孫氏と東京で携帯電話について語り合った、とあります。このころ、スマートフォンはありません。iPhoneの米国発売は2007年、日本発売は2008年です。アームとソフトバンクを引きあわせたもの、それは日本の携帯電話だったわけです。日本の高度に発達した携帯電話のチップとして、省電力性能に優れたアーム仕様のチップが広まった。アームと日本のかかわり合いを示すエピソードです。
続く記事では、ソフトバンクがアームを買収した理由が出てきます。
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「アームは1990年、英コンピュータ会社から独立した12人のエンジニアが創業した」という表現には注意が必要です。アーム仕様を最初に開発したのは、このブログ記事に書いたように "エイコーン・コンピュータ" です。アーム(ARM)の "A" は、もともとエイコーン(Acorn = ドングリ)の "A" だった。そのエイコーンの半導体回路設計部門が独立してアーム社になった。アーム仕様はベンチャー企業が独自に開発したのではありません。そのアームのルーツをたどると英国の学校用コンピュータに行き着くことは、このブログ記事に書いた通りです。
シガース氏がアームとソフトバンクの相乗効果は全くないと即答したのは、全くその通りだと思います。相乗効果が無いからこそ、独占禁止法に触れることなく買収できたのでしょう。インテルがアームを買収するのは無理というものです。
しかし記事にあるように、孫氏が「千里眼」を獲得するためにアームを買収したというのはどうでしょうか。確かにそういう面もあるでしょうが、「千里眼」のために3.3兆円というのはいかにも高すぎる。3.3兆円の裏には冷徹な計算があるはずです。
アームのビジネスモデルは、チップの設計仕様(アーキテクチャ)や回路設計データ(コア)を半導体メーカーに供与し、半導体が売れるたびに製品価格の何%かを収入として得るというものです。これは特許ビジネスと同じです。しかもアームのコアは、情報産業で言う "プラットフォーム" の一種です。いったんプラットフォームを握ると、そのビジネスは長期に続く可能性が高い。パソコン・スマホのOS(マイクロソフト、アップル、グーグル)、パソコンのCPU(インテル)がそうです。プラットフォームを乗り換えるには "コスト" がかかるのです。
プラットフォームを握り、日銭を稼ぐ。それがアームのビジネスモデルです。つまり安定的な売り上げが見込める。この点は、ソフトバンクが過去に買収したボーダフォン日本(その前身はJ-Phone)、スプリントという携帯電話のビジネスと似ています。激しい競争はあるものの安定している。1年後に売り上げが30%ダウンなどどいう状況は、まず考えられません。しかもアームは設計に特化しているため、営業利益率が40%という高収益企業です。孫社長は今後のソフトバンクグループの成長戦略を描くために、そこに魅力を感じたのだろうと思いました。
(2016.11.7)
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2016-10-14 21:50
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