まずこのサッカー動画を観てもらいたい。
観られない、または観るのが面倒な人に説明すると、紹介しているのはイングランド・プレミアリーグにて09年に行われたマンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)vsリバプールの試合のハイライト映像である。
サッカーにそこまで詳しくない方はとりあえずこの両チームが共にプレミアリーグ最多優勝回数を僅差で争う強豪にして、リーグを代表する象徴のようなチームであったことから、この試合が世界中のサッカーファンも注目するビッグマッチであったことだけ分かっていただければ良いだろう。
さてこの試合の概略を説明すると、白いユニフォームのリバプールが、ライバルとはいえあの当時実力ではかなり上と思われた赤いユニフォームのマンUのホームに乗り込みながら、ホームチームが有利とされるサッカーの試合で敵地での勝利を手にするだけに留まらず、そのスコアは4-1とまさかのリバプール圧勝。両者にとって、特に長きに渡ってマンUに辛酸をなめさせられ続けたリバプールファンにとっては00年代では記憶に残る、メモリアルな一戦であったと言っても過言ではなかろう。
それもそのはず、リバプール目線で観てみると試合内容もなかなかのもの。いつものようにあっさりPKを献上し先制され「やっぱりダメか」と落ち込みかけたところからの逆転、追加点、ダメ押しといつもは逆をやられているリバプールファンがシビれる要素満載の見事なもの。
あの当時Youtubeではリバプールファンによるこの試合の投稿で溢れていたのを覚えている。そしてあの当時のリバプールはというとチグハグな補強や取りこぼしの多い勝負よさわなどで慢性的に低迷、逆にマンUは若き頃のクリスティアーノ・ロナウドを筆頭に若いスター選手で溢れた眩しいチームであったこともこの試合を見る上での予備知識として付け加えておきたい。
前置きが長くなったが本題に入ろう。
この世界中が注目するサッカーの母国が誇る伝統の一戦を、この俺はというと当時二子玉川に出来て間もなかった、日本にも数多存在するマンUファンの為に作られた「マンチェスター・ユナイテッド・カフェバー」で観戦していたわけである。
連れて行ってくれたのは地元の友達であるヨッちゃん。イケメンであることはこの話の予備知識として加えておくが、九州出身で小中高とバスケ部の彼はいつからか、またなぜなのか全く分からないが、高校を卒業して数年後、気づいた頃には誰に頼まれたでもなしに理由なき熱狂的なリバプールファンとなって俺たちの前に現れたのである。
その日たまたま土曜出勤だった俺が帰宅する途中、かねてよりお邪魔しようと思っていた、帰宅ルートである横浜界隈にあったヨッちゃんの新居にスーツ姿のままフラリとお邪魔していたのが事の発端。
地元に帰るといつもヨッちゃんの実家に集まってやっていたように、この日は久しぶりのサッカーゲーム対決である。ひとしきりゲームに興じたのち、サッカーの話題の中からふと、くだんの二子玉川に出来たばかりの「マンチェスター・ユナイテッド・カフェバー」について話題が及んだわけである。
スポーツバー形式でしかも大画面でサッカーが観られる事を知ったヨッちゃんは更に「マンU対リバプールの一戦がまさに今日である」という事を知り、「見に行こう」という提案をするのは自然な流れで、俺も俺で仕事で潰れようとしていたこの土曜日にささやかな週末気分を無理やりにでも味わいたいとその提案に乗った格好。現在地は横浜、二子玉川までそう遠くはない。
「急ごう、巨大スクリーンの真正面のベストな席を取ろう!」
そういうとヨッちゃんは何を思ったかおもむろに押入れの奥から真っ赤なリバプールのユニフォームを引っ張り出し「よっしゃァ!」とそれをまとった。皆さんも段々分かってきた事であろうが、これが後の悲劇のトリガーである。
「ヨッちゃん、ここは日本とはいえマンUのカフェにそれ着ていくのはさすがにマズいんじゃないかい」
という俺の声に耳を傾けず「ユニフォーム、俺の分しか無くてゴメンね...。」と上の空。目の前にぶら下がっている部屋の電球の紐にシュッシュッと小学生のようにジャブを打ちながらよっしゃー、よっしゃーと気合を入れている。
こうしてスーツ姿の俺とリバプールのユニフォームをまとったヨッちゃんのチグハグなコンビはそのまま電車に乗り、ほとんど何の事前情報もなしにいきなり、初めてのマンチェスター・ユナイテッド・カフェバーに突撃することとなったわけである。
気合が入りすぎたのか試合開始までずいぶんと時間があったようで、下調べもしなかった我々はまだ誰も居ない店内に一番乗り。オープンして間もないマンチェスター・ユナイテッド・カフェバーにあろうことかリバプールのユニフォームが1時間前に会場入り。店員全員による「エッ」というチラ見がひととおり終わったころ徐々に店内にマンUのユニフォームを着たファンたちが現れ始める。
酒が全く飲めないヨッちゃんが唯一、コップ半分だけなら何とか一晩かけて、時には蒸発の力も借りながら飲めるという「カシスオレンジ」を、その日はなんと「オラァ」という雄たけびと共にいきなり半分も飲み干し、ヨッちゃんのこの試合にかける彼なりの意気込みを感じさせたものである。
我々は一番乗り、宣言どおり巨大スクリーン中央のベストポジションを陣取り、フィッシュ、チップス&ビールをカマしながら、気づけば座席の全席を埋めたマンUファン、そして背後にその倍近く立っている立ち飲みのマンUファンからの「あのリバプールファンの男をなぜあんな特等席に座らせているんだ」という冷たい視線が一斉に浴びせられているのをビシバシ感じていた。
それにしてもものすごい人数である。出来たばかりという注目度の高さもあったのだろうか、中には雑誌などでもマンUファンを公言する某有名ファッションモデルとその仲間達の姿。英国とのハーフでもある彼のそのマンU・ユニフォーム姿には本場がかもし出す妙なさすがの説得力である。彼が連れてきた英国人と思しき一団の騒ぎっぷりも含め、この仮設イングランド酒場はそれなりに本格的な雰囲気が漂う。所詮日本だろうと侮っていたが、あの瞬間は紛れもないマンチェスター・ユナイテッドのホームであった。
ここまでわが国で海外プレミアリーグの一チームのファンが居るものかと酷く関心しながら、とすると益々今俺の横でリバプールのユニフォームを着て険しい表情でカシスオレンジをすするこの男のその場違い感ときたら甚だしく、試合開始前にしてすでにボクは急激にお家に帰りたいのであった。
そしてそんな雰囲気の中、マンU対リバプール、伝統の一戦が幕を開けた。冒頭の動画で説明したとおり先制点はホームのマンUである。試合開始早々にマンUが先制点を挙げたとき、周囲のマンUファンが一斉にこっちを、ヨッちゃんを「ドヤァ!」と言わんばかりにチラ見したのを見て俺は確信した。
≪敵視されている≫
マンUに先制点を浴びると腕を組み険しい顔で黙りこむ孤高のリバプールファンのヨッちゃんをよそに、卑怯にして臆病、事なかれイズムの信望者たる俺は、彼には内緒でこの場の穏便な幕引きとなるであろうマンUの、大マンチェスター・ユナイテッド様の大勝利を心の底から祈っていたのであった。
《マンさぁん、マンさんのお力で早くもう1点決めてリバポーの野郎の息の根を止めちゃってくださいよぉ...?》
だが皆さん、試合結果は最初にご説明した通り、何の皮肉か結末はリバプールによる歴史的な大勝利であった。
それから程なくしてリバプールが起死回生の一発を決め同点に追いついたとき、静まり返るマンチェスター・ユナイテッド・カフェバー店内で一人、席からガタッと立ち上がったヨッちゃんは「いえ~い!」と子供のような歓声を上げ、よせばいいのに、よせばいいのにですよッ...!!あのバカチンときたらそれまでスーツ姿で「私はアビスパ福岡のファンです」とでも言いたげな極めてJ1とJ2を行き来したそうな表情でジッとして、さもどちらのファンでもなさそうな中立的立場を演出していたこのポックンにですよ...、なんと「ヘイ?」とハイタッチを求めてきたのである。
「へい」
「エッ、なんですか...」
「ほら、ヘイ!」
『パシッ...』
こうして「いえーい。」とハイタッチを要求するヨッちゃんのあの手に触れたその瞬間、俺は皆々様より「ほう、あいつもか」とリバプールファンとして認定されたわけだが、不幸なことにリバプールが怒涛の連続得点で大マンU虐殺ショーを繰り広げたのはまさにそれからであった。
同点に追いついたまではまだ良かった。「名勝負」とか「面白くなってきた」という見方も出来たし、マンUファンにもまだ余裕があった様にも見えた。しかしこの日ミスを連発し2失点に絡んだビディッチというDFの惨憺たる出来に店内は次第に険悪なムードと化し、そこにあってリバプールに点数が入るたびに「いえーい!」「よっしゃー!」と立ち上がるリバプールファンの謎の男ことヨッちゃんの存在。しかもそいつは大画面の真ん前のめっちゃ良い席に座っているときたもんだ!
日本人なので暴力的な因縁をつけられることはないだろうが、日本人ならではのヒソヒソとした静かなイラつき、負の視線がそこかしこから感じられるようになっていた。その時すでにスコアは3-1。さすがのヨッちゃんもとうとう背中に殺気の様なものを感じ取ったらしく、「やばいな、試合が終わったらスグ帰ろうか」とそういう話をするようになっていたところでさらに追加点で4-1である。
「や、やっぱ、今から帰ろうか...」
俺が言おうとしたところでヨッちゃんときたらばそれを見て「いえーい!」ってまた立ち上がっちゃたりして、どんなにヤバくてもその喜ぶやつは絶対やるのねアンタ...!
こうしてホイッスルと同時に席を立ち、マンUファンで満杯の店内から決死の脱出を試みた我々だったが、出口付近、なにやら知らない人数人が近寄ってきて突然ヨッちゃんに握手を求めている。
マンUファンからのおめでとうの握手なのかと思ったら、それは《後ろから見てました、ボクもリバプールファンです...!》というお店の端っこに居た隠れリバプールファン達からのねぎらいの言葉であった。
我々が入り口まで行く間、何人かの隠れファンと思しき方々と《あんたら男だぜ!》的なアイコンタクトや握手で静かに喜びを分かち合ったわけだが、俺は一人《リ、リバプール負けろ~...!》と試合の間ずっと考え続けていたのは完全な秘密である。
これが「マンチェスター・ユナイテッド・カフェバー事件」の一部始終である。もう一度最初の動画を観ていただきたい。この試合アノ状況下で観たいた俺がどんなに生きた心地がしなかったか。
しかし店内でただ一人、リバプールのユニフォームを着続け必死に応援し続けたヨッちゃんの勇気には、彼も生半可な気持ちでリバプールファンにジョブチェンジしたのではないのだと敬意を表明したいのだが、このヨッちゃんはというと中華料理屋でバイトしてるとき、仕事中に中国語で喋り合う中国人に「ここは日本だから中国語喋るなヨッ!」ってキレたこともあり、他人には極めて不寛容であることはお伝えしておきたい。
完