大学一回生の時に受けたジェンダー論の授業の導入で講師が「フェミニズムってブスの僻みではと思う人もいるかもしれない」と言った。
恐らく、フェミニズムと容姿というのは切っても切れないものなのだろう。
2019新卒の就活界隈を漂って思うのは女性と男性の格差よりも容姿の格差なのではないかということだ。
説明会で見てくれの良い女と悪い女が並んでいるのを見ると、強烈な格差を感じざる得ない。
男性目線の何とかと誤魔化すのか。それでは言い訳できそうにない、見てくれの良い女からの自信ありげな雰囲気などはどう説明するのか。
一見、女性に働きやすい職場というのがあるとアピールする企業は沢山ある。
醜い自分は感じざる得ない。
よく、ネットでフェミニズムにハマっている人を見るとモテるアピールをしていたりする。
自分は恋愛市場において、不必要なものではないというアピールであり、顔は悪くないとでも言いたげだ。
また、アメリカの女優もフェミニストに賛同しているとかいう発言もある。
本心で言っていたとしても、容姿が悪い人間のフェミニズムとは違うのではないか。
見てくれの良い人間のフェミニズムというのは、自分が性的魅力で得て来たものを実力としたい願望や利権を守りたいということだろう。
見てくれの悪い人間にとってみたら、縋るものであり、権利を拡大させるという夢になっている。
容姿が悪い人間だけだと、悲壮感しかないゆえに一部分において利害が一致する容姿が良い人間と共に行動するということになっていそうだ。
結束しているようで、何か容姿の格差故の断絶があるのではないか。
大学での女のグループが容姿格差で出来ていると発見して以来、そう考えている。
正直、変に男性だ女性だと揉めるよりは容姿の格差を考えた方がいい気がするものだ。