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「イチロー、英語をしゃべられないじゃない」というある女性の一言から学ぶこと

イチローマリナーズに戻ってくるということが話題。

もちろんマリナーズの公式facebookページでもそのニュースが出て、それにファンたちがコメントを付けてる。

 

www.facebook.com

 

中には、「約8000万円+出来高の契約金はマリナーズにとっても無駄」というコメントや「いやいや彼のプレーに対する態度などを若者が見習こと考えると安すぎるよ。メンターとしても素晴らしいんだから」というコメントもあり、イチローに対する現地の人達の様々な意見が読めておもしろい。

その中に(イチローは契約金分の価値はないの文脈の流れで)、

イチロー、インタービューで英語をしゃべられないじゃない」

というある女性のコメントがあり、それが少し炎上気味になっていた。

 

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とこんな感じで、

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この彼女の一言についたコメントとしては、

 

「何が言いたいわけ?プレーとそれは関係ないじゃん」

「英語話せないことをポイントとするとは、差別主義者なの?」

「野球のサインは、英語話せるかどうかと関係ない」

「未来の殿堂入りする選手に、なんで英語で話せるかどうかが問題になるのよ・・・」

 

というのがあった。

実際のところイチローは、チームメイトと話すのは普通に英語だし、プレス向けのときはニュアンスが間違った風に伝わらないように通訳をつけてるか、あるいは日本のプレスのことも考えて日本語にしてる、ということじゃないの?ということらしい。

 

この一件で感じたのは、「ある言葉が喋られるか喋られないか」というのも非常にナイーブな問題になっているということ。

例えば、「日本に住んでるんだから日本語をちゃんと喋りやがれ!」と、某牛丼チェーンで、アジア圏からの留学生と思われるバイトさんに怒鳴ってたおじさんを見かけたことがあるんだが、これも充分に「差別主義者」なんだと。

ないしは、linkedinなどでよくある「英語でのリクルーティング関連メール」についても、「日本語で送ってこないなんて失礼!」っていう人もたまに見かけるが、それも「ここは日本なんだから!」という態度を表しているわけで。

 

上記したfacebookでの女性の発言も、「19年もアメリカにいて英語を話さないなんて・・・」という些細な一言のつもりだったけれども、それは「英語を話さない米国在住者」に対しての差別的発言と捉えられるという。

 

人種や性、年齢における racism については徐々に普通に受け入れられているようになってきていて、「それらをそれらを区分することをやめよう」という動きになっていると思う。しかしながらある言語を話せるか話せないかというのは、むしろ多様性を認めるか認めないかのほうに近いように思う。

 

知らず知らずのうえに、差別主義者に自分自身がなっていないか。

それに気付かされる、facebookでの出来事でした。