東京駅から千葉方面へ、帰宅難民の気持ちになってみんなで歩いてみました。
首都圏に住む人間は「いつか直下型が来てひどいことになる」と覚悟している。3.11以降は特にそうだ。こんな気持ちで日々暮らしている首都民って世界に類を見ないのではないか。
あれから7年。あの夜に帰宅難民になったことを思い出して「予行演習をやったほうがいいのではないか」と思った。 なので、やってみた。せっかくなのでみんなで。
もっぱら工場とか団地とかジャンクションを愛でています。著書に「工場萌え」「団地の見究」「ジャンクション」など。
前の記事:「「道の上の駅」がすごくいい」 人気記事:「マンションポエム徹底分析!」 > 個人サイト 住宅都市整理公団 誰かと一緒だとすごくいい東日本大震災のあと、ぼくはすぐに首都圏の方々向けにTwitterで「どうやって家まで帰ったか教えて欲しい」と呼びかけた。200人弱の方から詳細な返事をいただき、その結果を2週間後に「東北地方太平洋沖地震・首都圏帰宅ログ」という記事でまとめた。その後、2016年に再度まとめた記事も公開している(「「3.11帰宅ログ」からわかったこと」)。
印象深いのは、あの夜「これも予行演習だ」と気合いを入れて歩いた人がけっこういたことだ。ぼく自身もどこかそういう風に思っていた。 当時は千葉の西船橋に住んでいたぼく。幸い夜中に運転再開した都営新宿線に乗ることができ、たいして歩かずにすんだ。 あれから7年。めっきり体力も落ち、老眼と四十肩に悩まされている。これはちゃんと予行演習やっといたほうがいいのではないだろうか。 現在は災害発生後72時間はむやみに帰宅するな、というガイドラインが示されているが、それはそれとして。 で、一緒に歩いてくれるひとを募集した。下がその呼びかけツイートである。 目標は市川駅まで。Googleマップの経路検索では15km、3時間12分と出た。なかなかだ。
この7年のあいだにぼくは結婚して現在は川崎に住んでいる。が、当時をなぞる意味千葉方面へ行くことにした。ぼく自身にとってはこの時点で「予行演習」でもなんでもなくなったわけだが、歩いてみたらいろいろ発見があるのではないかと期待した。実際、発見がたくさんあった。面白かった。 それにしてもぼくの呼びかけが急過ぎる。決行の2日前だ。はたして参加してくれる人はいるだろうか。 いました! 総勢9名! みんなありがとう。(これは歩き始めたときの写真)
急な告知にもかかわらず8名の賛同者が集まってくれました。ぼくいれて9人。帰宅難民のリアリティを重視し、休日ではなく平日の会社帰りに日時を設定。翌日は休みの方が気が楽だろうと、金曜の夜にした次第だ。 そういえばあの日も金曜日だった。 ちなみに集合場所である東京駅に向かう途上、電車が止まり都心の駅はたいへんなことになっていた。開始に向けて帰宅難民気分が高まる。
8名のうち、千葉方面在住は4人。東京東部が1人、神奈川が2人、世田谷が1人。
みなさんほとんどが初対面だったが、すぐに一体感が生まれた。誰かと仲良くなりたかったら予行演習をするといいのではないだろうか。特に千葉在住・出身の参加者同士の話題が弾んだ。あらためて「地元ネタ」の強さを知った。たいへん楽しい道中であった。 ただ、帰宅ログから読みとった3.11のときの様子は今回のこの盛り上がりとは全く違う。道路には同じ方向に帰る人があふれているのに、みんな黙って孤独に歩いていた。 「日本橋を経由しよう」という参加者のひとりの発案で中央通りを行く。旅の出初めは日本橋である。
ぼくらの対人関係には友人や家族を含めた「知り合い」とそれ以外の「他人」の2種類しかない。そして他人とは基本的に話をしない。それが作法とされている。
べつに仲良くなくても、今後関係が継続しなくても、目下とりあえず関係を持つ、ということができない。見知らぬ人と一時的に連帯するためのプロトコルが存在しない。「声掛け事案」というものがそのあたりの難しさをよく表している。 ふだんはそれでもいいが、帰宅難民になってもそれが継続するとつらい。本当に深刻な状況になったら非常時モードに切り替わるのだろうが、あの夜は幸か不幸か東京の景色は全く普段と一緒だった。だから日常が継続してしまった。 日本橋の上からふと下を見て気がついたが、ここの船着き場は3.11直後、2011年の4月にできた。おそらく防災船着き場も兼ねているはずで、災害時にはここから船に乗って帰る人もいるだろう。
ということで、今回の予行演習で得た大きな発見は「他人と一緒に歩けるといいな」ということだ。
地図を見ないで行ってみよう今回の予行演習では地図を見ないで行くことにした。
7年前はいまほどみんながスマホで地図を見ることができなかった。迷った人が多かった。 「「3.11帰宅ログ」からわかったこと」でまとめたみなさんの帰宅っぷり。迷った方が大勢いた。 (Google earth / Image Landsat / Copernics / Data SIO, NOAA, Navy, NGA, GEBCO / Imga IBCAO / Data Japan Hydrographic Association)
首都圏で生活する人とは、つまりは鉄道に乗る人である。通勤を徒歩で行っている人はそう多くはあるまい。だからこそ帰宅難民になるのだ。毎日往復しているにもかかわらず、その道のりを歩いたことはない。
鉄道は「どっちの方角へ何キロ進んだか」という地理的なものとは全く異なる都市の把握の仕方を生み出したと思う。「何線に乗って何分」という理解だ。距離と方角ではなく時間で都市を測っている。 考えてみれば毎日何十キロもの距離を往復しているというのはすごいことだ。「通勤の社会史」という本には、ロンドンで電車通勤者が出現したときの人びとの驚きが記されている。遠くから毎日ロンドンに行っては帰ってくるというのは驚異的なことだった。慣れたたけで、これは現代でも同じだと思う。すごいことだ。 ともあれ、当時のことを思い出して、地図なしで歩いてみよう、ということになったのだ。 そうしたら思ったより路上に地図があることに気がついた。
地図を見つけるたびに確認するようになった。
あと、店の入口にある「○○店」という表示が目に付くように。「ドトールは信頼できる」と、参加者の間で好感度が大幅に上がった。
「浜町店」ちょっとした貼り紙にある場所表示がありがたい。
地図がぶら下げてある店も。ありがたい。
地下鉄入口にある駅名表示がいちばんありがたい。なんせわれわれは駅名で東京を把握しているのだ。
あと、スカイツリーもえらいと思った。ランドマークって大事。
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