練習から逃げ出したいと思ったことはない
プロ野球選手は練習が好きな選手と、そうではない選手の2種類に分けられる。ぼくは前者だった。計り知れないプレッシャーがかかる公式戦は、「いま、ドームが停電になってくれればいいのに」と大まじめに願うほど嫌いだったが、練習については逃げ出したいと思ったことはない。
もちろん練習も肉体的、精神的にしんどいときはあるのだが、「自分は幼いころに憧れたプロ野球選手を、いまやっているんだ」という誇らしさや嬉しさが、肉体的なつらさを上回った。
とはいえ高校球児のように毎日、猛練習をしたというわけではない。ぼくに誇れることがあるとすれば、練習を含めた日常生活の中でちゃんと野球に向き合っていたということ。
例えば練習後に仲間と飲みに出かけても、寮の門限を破るようなことはしなかった。
「2軒目行くぞ!」
「今夜は3軒目に突入だ!」
そんなふうに仲間が盛り上がっても、「じゃあ、ぼくはこのへんで」とほどほどのところで切り上げていた。少々酔って帰宅することはあっても、2キロのダンベルで手首を200回鍛えることは一日も欠かさなかった。
ベンチで荒れ狂ったり、グラブを叩きつけたりしたこともない。序盤でノックアウトされたり、味方がタイムリーエラーを犯したりするとマウンドで激怒したり、ベンチで荒れ狂う投手はいるものだ。だが自分は、一度もそんなことをしたことはない。
32年間、ほぼ無遅刻無欠勤がひそかな誇り
もちろん、練習や試合に遅刻したこともない。練習を休んだのも一度だけだ。あれは2013年のオープン戦の時期だった。インフルエンザにかかって動けなくなり練習を休んだが、翌日には元気に復帰した。この一日を除けば32年間、無遅刻無欠勤。これはひそかな誇りだ。
いつでも野球が最優先。そんな生活を続けてきたのは訳がある。
「チームメイトやファンから応援される存在にならなければ……」
という切実な思いがあったからだ。
プロ野球の世界は実力がかなり拮抗していて、ちょっとしたところで明暗が分かれる。年間143試合も行なうが、わずかな差で優勝が決まることだって少なくない。1試合単位で見てもバントや盗塁、四死球といったところで勝敗が分かれたりする。
つまり、野球の勝敗はちょっとしたところで決まる。そこでぼくは、そのようなちょっとしたところでも運を引き寄せたい、と考えるようになった。野球最優先の生活を送ったのは、そのためだ。
ぼくの頭の片隅には、いつも〝野球の神様〟がいた。神様を裏切るようなことはしてはいけない。そうした思いが生活の基本になっていたのだ。
だれかがいつも自分を見ている
加えてもうひとつ、こんな思いもあった。
いつもまじめに野球に取り組んでいれば、チームメイトやファンが「あいつに勝たせたい」という気持ちになってくれるということだ。
「あいつ、だれよりも練習してきたんだから勝ってほしいな」
チームメイトやファンにそう思ってもらえたら、それはわずかかもしれないが確実に勝利を手繰り寄せる力になるだろう。野球は微妙なところで明暗が分かれるのだから、これは無視できないことだ。
仲間たちに応援される存在になるために、いつもちゃんとやる。大事なことはちゃんとやっている姿をだれかに見せるということではなく、「“神様”も含めただれかがいつも自分の行ないを見ている」という意識を持つことかもしれない。そう考えると自然と身が引き締まってちゃんとするものだ。
応援されるセカンドキャリアのすすめ
応援される存在になるために、いつもちゃんとやる。
野球で身につけたこの意識を、ぼくはいまでも持ち続けている。というのも野球がそうであったように、セカンドキャリアで始めた仕事はすべて、周りの協力によって成り立っているからだ。
野球を解説するときには、隣に実況のアナウンサーがいて情報を届けてくれるレポーターもいる。もちろん、表には出てこないが大勢のカメラマンや音声さんも働いている。そういう人たちが、「今日の解説は昌さんか」と思って「楽しみだなあ」とか「がんばるぞ」と少しでも思ってもらえたら、それだけでぼくは心強い。
解説業も講演もロケも、すべてが初めての経験。ぼくは器用ではないから、上手くいかないこともある。だが、それでも一生懸命やる。ちゃんとやろうとする。そうすると自分の力量以上の結果が出ることが多い。それは自分に実力があるということではなく、周りの人ががんばってぼくを助けてくれるからだ。
いつもだれかが背中を見ている。ときどきでいいからそう思うようにしていると、ちゃんとすることが当たり前の習慣になってくる。その結果、自分を応援してくれる人が出てくるものだ。みなさんの応援でここまで来られたぼくがいうのだから、間違いない。
※本記事は、書籍『笑顔の習慣34 〜仕事と趣味と僕と野球〜』(内外出版社刊)の内容を一部抜粋、編集して掲載しています。