今日はここまでだが、3.1独立運動の前後がよくわかる。 当時、アメリカの外交官サンズが、 「なぜなら朝鮮の民衆は、絶望的なほどに虐待されない限り、常に平和的で他人に害を及ぼさないからだ。朝鮮人ほど統治しやすい民衆はない。」(『極東回想記』) と述べた朝鮮半島の人々だが、大日本帝国の圧政には、耐え切れないと感じたのだろう。 武装を解除され、ろくな武器もないままで、この後何度も抵抗運動が繰り広げられている。 3.1独立運動はその中でも最も大規模なものであった。
〔付録〕 世界を憤怒させた日帝の残虐行為
当時の日本がどんな風に孤立して行ったのか? がよくわかる話だ。 |
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日本の学校では絶対に教えない歴史の一つですね。転載させていただきます。
2013/12/22(日) 午後 6:56 [ sara ] 返信する