──費さんが小さいころから好きだったものはなんですか。
きっかけは覚えていないのですが、小さいころから鉄道が好きでした。小学校に入った直後は目黒から石川町に電車に乗って通っていました。毎日友だちと遊びながら帰るわけですよ。よく電車の中で遊んでいました。そんな毎日を繰り返していたので当然帰るのが遅くなり「なかなか帰ってこないっ」とよく怒られました。結局、私があまりにも帰ってこないので、夏休み前に横浜に引っ越す事になりました。
──引っ越すまでは学校の行き帰りに大好きな電車に乗れて楽しそうですね、学校の方はどうだったんですか?
中学生の時も電車が好きだったので高校は鉄道学校に行こうかと考えた時もあったのですが、普通科の高校に進学しました。中学まではそれなりに勉強していたんですけど…。高校では全く勉強しなかったんです。2年生の時にあったクラス替えで男子クラスになったことがキッカケで麻雀を覚えてしまいました…。最初はトランプでセブンブリッジをしていたんですが、そのうち誰かがカード麻雀を買ってきて、最初は放課後、そのうちお昼休み、そのうち厳しくない先生の授業で…麻雀にハマっていきました。その当時って土曜日が休みじゃなかったから、午前は学校に行って午後に友だちのところにいって麻雀やってと…とにかくハマッていましたね。ハマッたらのめりこむタイプなんです。とにかく理論なんかより、実戦で回数を重ねて技術を身につけていく感じで楽しんでいました。
──進学はどうされたんですか?
大学の受験はしたのですが、まったく高校で勉強していないので受かるわけがないんですよ。親父がハード方面のコンピューター系の仕事をしていたこともあって、おふくろから「コンピューター系の専門学校に行ったらいいんじゃないの?」と言われ、その時は、アルバイトで食べていこうかなと思っていたのですが、せっかくだから考えてみようと思い、駿台がやっているコンピューターの専門学校に入りました。そこで初めてコンピューターの勉強をし始めたんです。勉強してみたら、麻雀にハマるのと同じようにのめりこみましたね。振り返ると高校の時は目標がなかったのかもしれない。だから麻雀にハマっていたのかな。
──マイクロソフトへの入社のきっかけは?
エージェントから声がかかったからなんです。なんとなく「転職」という言葉が頭に浮かんでいる時期に転職エージェントから連絡が来たので「考えてみるか!」と軽い気持ちで話を聞きに行ったのがきっかけです。前職には大きな不満はなかったのですが、入社して10年ぐらい経つとだんだん立場が上になってきちゃって、自分でやらずに下に任せなさいって言われるようになるんですね。私は根っからのエンジニアなので自分でやりたいんですよ。今思えばマイクロソフト関係の資格を多く持っていたので、マイクロソフト側の人材を増やしたいという要望にマッチしてエージェントから声をかけてもらったのかもしれません。
──どうしてそんなにマイクロソフト関係の資格を持っていたのですか?
マイクロソフトがWindows NTというサーバーをやりはじめ、会社でそれを扱った仕事をやることになり、社内でマイクロソフト関係の技術者の育成を始めたんですね。私は当時ITの企画部門にいたので、育成をリードする立場にいました。みんなに単に「取れとれ」と言うだけじゃだめだと思い、自分もちゃんと取ってみんなでノウハウを共有していました。前職にいた時に20個近くのマイクロソフト関係の資格を取っていましたね。
──マイクロソフトに入ってどう思われましたか?
入った時はそれなりにできるつもりだったのですが、周りには優秀な人がたくさんいてとんでもないところに入ってしまったなぁと、あとで後悔しました。最初はは2~3年ぐらいしかいられないかもなぁなんて思っていましたが、結果的に16年いることになりましたね。こんなに長く勤められたのはめぐりあわせがよかったからだと思います。私がマイクロソフトに入って、少ししてから担当したのはSharePointでしたが、当初はニッチな製品でした。でも、あれよあれよという間にメジャーになっていきました。その製品を立ち上げから携われたことは自分にとってとてもよかったと思います。
──費さんがSharePointに関わり始めたきっかけは何ですか?
私がSite Serverを担当している時に今のSharePointの原型の開発話があり、文書管理製品として開発を始めていました。たまたまその時に私が担当していたSite Serverの開発が打ち切りになり、代わりと言うことで「やらないか?」と言われてやり始めたのがSharePointとの始まりです。当時はまだSharePoint という名前はついていなくてTahoeというコードネームがついていたんです。マイクロソフトは製品の開発段階の名前は地域や地名でつけるんですね。それが2000年のことです。SharePointの最初は文書管理製品にSite Serverの検索エンジンがついたものでした。でも、世の中は企業内ポータルが流行り始めていたので、急遽その機能を備えながら前面にポータルを押しだすということになりました。それがSharePoint Portal Serverとなりました。SharePointの開発はどんどん進んでいき、私が関わっていたデジタルダッシュボードという技術と、Site Serverを合わせて製品化したものが、SPS 2001です。
──費さんにとってSharePointとは?
タイミングと巡りあわせの賜物です。SharePointは飽きさせてくれないんです。私はいろんなことをやりたいという気持ちが強く、続くものと続かないものの差が極端なんですね。SharePointはいろいろと手もかかるし、問題も発生する。だけれどもそれ以上にいろんなことができるからいつも新しい発見の連続です。私にとってすぐできることはやる気、モチベーションにならないんです。思い通りに行くことはそんなにおもしろくないんです。
───これからはどんなことをされたいですか?
本当の根っこはナレッジマネジメントということがやりたいんです。そういうことを意識しながら、お客様の情報共有基盤をどうしたらもっと使いやすくできるのかというのが日々のテーマです。それにはやはりSharePointが一番いいと思っています。まだやりつくした感もないですし。状況は変わってきてはいますが、まだ、SharePointを中心にやれることもたくさんあるなと思っています。今以上にSharePointを有効活用していきたいです。
──編集後記
費さんが鉄道好きと聞きつけて、電車の走るカフェサンセットに行きました。仕事中にパソコンを眺める費さんはいつもワクワクした雰囲気が伝わってきますが、ジオラマを眺める費さんの表情も少年のようで二人で、「おぉ~こっちに電車が来た~」と楽しんでしまいました。