嫌韓ネトウヨの「悲劇の朝鮮」からの恣意的引用・第5回目です。
第1回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10114681424.html
第2回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10114684316.html
第3回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10115001444.html
第4回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10115100646.html
「併合前の韓国の刑罰はこんなにひどかった!日本が併合してやったおかげでそれが改善された」
と嫌韓ネトウヨが主張する際に引用される箇所です。
「悲劇の朝鮮」P233-239の部分からの引用ですが、この部分にはグレブストを案内した韓国人通訳、尹が刑罰の見学を残酷で見ていられず逃げるシーンがあります。ほぼ全文引用しているサイトでは登場するが(それでも最後はトリミングしている)、ほとんどの引用サイトでは登場しない。
韓国人が喜んでそのような刑罰を受け入れていたわけではないことの傍証になるためか、とかく嫌韓ネトウヨには無視されるようですね(というより、最初にテキスト化した嫌韓以外は、本を読んでもいないのだろうが・・・)。
短い引用パターンは以下の通り
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http://yuuki9999.k-server.org/tyousen/rekisi.htm
http://ameblo.jp/campanera/entry-10052606079.html
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/5626262.html
(一部引用)
李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して、
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」
『悲劇の朝鮮』スウェーデン人 アーソン・グレブスト
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「悲劇の朝鮮」P239の記載です。
グレブストは、韓国の刑場での笞刑と死刑の執行をそれぞれ見学し、最後の感想として上記の記述をしています。
嫌韓ネトウヨがこれをよく引用する理由は、おそらく、”当時の韓国の刑罰は残酷であったこと”、”日本はその残酷な刑罰をやめさせたこと”の2点を強調するためでしょうが、これはグレブストの意図とは異なっていると思われます。
グレブストの意図は、”当時の韓国の刑罰は残酷であったこと”の他に、”キリスト教宣教師達は布教よりもこういったことの改善に力を入れるべきだった”という宣教師に対する不満と見る方が自然です。
そして、何より、”残酷な刑罰”のひとつである笞刑については、日本は韓国併合後も朝鮮人の犯罪者に対してのみ残しています(1920年に廃止)。死刑についても、後の話になりますが、治安維持法による死刑判決を植民地朝鮮では何度も出していますね(日本国内では治安維持法そのものによる死刑判決はなかった)。
残酷さについて言うなら、1933年の特高警察による作家・小林多喜二に対する拷問などは無視できないでしょう(警察関係者は何のお咎めもなしなので、事実上の即決死刑)。
→参照:http://ssstorage.jugem.jp/?eid=29
「李氏朝鮮時代の拷問は酷かったが、1905年に日本の保護国となり、統監統治が始まると朝鮮においても日本と同じようにすぐに拷問は廃止された。」
とか言ってるバカもいますけど、法令上廃止しただけ(笞刑は存置した)で、実際には日本でも拷問をやっていたわけですね。
ちなみに、日本では鋸挽きは1868年、獄門は1879年、斬首は1882年に廃止するまで、合法的な死刑の方法とされてました。
要するに、この引用によって示されるのは、せいぜい近代と近世の差に過ぎず、韓国のみが特異であったことを示すことはできないということです。
さて、この刑罰の引用はP223からの第11章「さまざまな刑罰-朝鮮の監獄」からですが、その前の章「朝鮮と日本、その憎しみの二千年」の最後には、日本軍による三人の朝鮮人農夫の処刑について記載されています。
(ドイツ領事)「(前略)
白い十字架の立っているまさにこの場所は、三人の朝鮮人農夫が日本人に土地を強制没収され、その復讐として最近完成した鉄道の破壊を計画し、それが発覚し無残にも銃殺に処せられた場所です。
この十字架三本に体を縛られた三人の哀れな<罪人>がここに立ち、でこぼこ道の向こうに日本の軍人と彼らの指揮官が整列していたのです。時間となって射撃命令が出され、軍人たちは五七発の銃弾を浴びせました。朝鮮人たちの体は蜂の巣のようになって死んでいきました。
死体はここに六日間放っておかれました。死体の運搬は禁じられていたからです。やっと埋葬のため死体を移そうとしたときには、禿鷲と肉食鳥類に顔をついばまれてしまっていて、身元すら確認できないありさまでしたよ」
私たちはしばし無言でつっ立ったまま、この悲劇の場所を眺めた。いろんな想念が頭を駆けめぐった。朝鮮で見る日本人の印象は、本国でのそれとあまりにもかけはなれていた。本国ではあらゆる物の外面が魅惑的な美しさをもっていて、その裏面を考えさせるような隙がなかった。ところがここではついに、その本当の姿があらわれたのだ。日本の残忍と冷酷を赤裸々にうかがい知ることができた。
世の人びとが日本は西欧のように開化した国だと思っているとするなら、それはまちがいである。たしかに日本人は早い頭の回転と知恵を生かして大きな力をふるってはいるが、私たち西洋人の見るところ、彼らが西欧文明の到達地点にまでやってくるには、まだ数千マイルも走らねばならないだろう。
その他「悲劇の朝鮮」P233-P240の引用をしているサイトは以下の通り(見つけた限り)。
よく見たら、かの通りすがりの三国人も引用してますな、さすが嫌韓バカ、同じ餌に簡単に食いつく見境のなさをよく示しています。
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http://konrot.at.infoseek.co.jp/rekisi43.htm
(小部分ずつ多数引用)
http://mirror.jijisama.org/higeki.htm
(ほぼ全文引用)
http://konrot.at.infoseek.co.jp/rekisi43.htm
http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10114922687.html
李朝末期の閔妃などによる、政治的経済的混乱は過去に述べてきたとおりであるが、何よりも、李朝末期の残忍非道な社会環境を今日は論じてみたい。
その残忍ぶりを示す書籍としてスウェーデンのアーソン・グレブストの書いた「悲劇の朝鮮」から抜粋してみよう。
一人の盗賊が処刑される現場に立ち会った、グレブストの目撃録である。
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(長いので、ここでは一部引用及び要約のみ)
山賊の頭目の死刑を最後まで見る
(前略)
囚人は笞刑(ちけい)の宣告を受けたのであるが、刑の執行命令を待つ間に、執行人らは縛られた囚人の後頭部のすぐ上の虚空を鞭で切りながら嬉々としている。鞭が囚人の耳元を過ぎるときのその音はぞっとするものであろう。囚人は怯えた視線でこの残忍な遊戯を追い、すでに鞭が肉に食い込む痛みを感じているかのように全身をけいれんさせる。
刑の執行はすぐに始まった。看守長が命令を下すと、二人の執行人がそれぞれ配置についた、彼らは最後にもう一度鞭を空中で鳴らしてみてから笞刑を開始した。最初のひと打ちは鋭い音で、銅色の尻は真っ赤な痕跡を鮮やかに残した。哀れな囚人はびくっとして全身を縮めたので、縛ってある板が倒れんばかりであった。二度目の鞭で、彼は骨にしみるような悲鳴をあげた。その体が13回も繰り返しめった打ちにあうや、悲鳴をあげていた囚人も結局気を失ってしまった。
すると、刑の執行が一時中断となり、囚人の頭の上に冷水がぶっかけられる。囚人はひとしきり体をぶるっと震わせてけいれんを続けたが、意識を取り戻した。
彼は呻きながら許してくれと哀願した。しかし法の執行にはいささかの情の挟まれることも不可能で、彼にはまだ笞刑12回分が残っていた。こうして刑の執行が終わってみると、囚人の体はもはや人間のそれでなく、ただの血だらけの肉塊にすぎなかった。
(ここまでが、笞刑の部分です。日本は韓国併合後も10年間、朝鮮人に対しては笞刑を廃止することなく継続させています。つまり、「私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうという点だ。」というグレブストの予想は裏切られたわけです。もちろん、そういう事実について嫌韓ネトウヨは無視します。)
(中略)
こんどは小さな建物から別の囚人が引き出された。40歳台に見える男で顎のひげをぼうぼうに生やしており、体はというとすっかりや痩せさらばえている。悪臭が漂い、その目にはすでにあきらめの光がさしている。痩せ細った体を包むぼろ服は、彼がそれまでいた監獄がいかに汚く不潔なものであるかを物悲しく語って余りあった。
彼は朝鮮でもっともひどいといわれるヤカ(場所不明)という監獄からたった今護送されてきたのである。数年間、山賊の頭目としてヤカ地方を恐怖の渦に巻き込んだという。噂によると、最後の一年間だけでも彼の手によって奪われた命は20人を越えるという。官軍との血戦の末彼はついに捕らえられ、死刑宣告を受け、今日まさに私たちの目前でその一生を終えることになったのである。
(中略)
※20人以上殺した山賊ですが、昨今の日本の死刑存置論者の中には「死刑でも生ぬるい」とか言っているバカもいますので、そういう人たちには20世紀初頭以前の韓国は理想の社会かも知れませんね。
(要約)笞刑の次に死刑の執行が準備されます。死刑方法は、太い棒で手足・肋骨の骨を折った後に、絞殺する、というものです。
気絶した囚人は、ややあって意識をとりもどした。カなく首を左右にゆすりながら呻き声を出し、その場に身を横たえている。執行人らは、囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから、最後に絹紐を使って首を絞めて殺し、その死体をどこへやら引きずっていった。
(中略)
所が私には疑問がひとつ湧いてきた。この国にキリスト教が布教されてもうだいぶ経ったし、西洋の文化大国がこの国の行政の各部門を助けてからも一日二日でないのに、なぜ今だのこのような野卑きまわりない拷問が続いているのか。エンバリーの言うように、獄内の出来事に関する生きた証拠が整っていないという、それだけの理由だろうか。それともほかの理由がまだあるというのか。
理由がなんであれ、こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうという点だ。異教徒の改宗に汲々とするあまり、そのまま見過ごしてはならない実状には盲目となってしまう私たちキリスト教徒の態度は、私たちに残された大きな課題のひとつである。
※嫌韓ネトウヨは、この部分をやたらを嬉しそうに引用しますが、既述の通り、笞刑は日本による併合後も朝鮮人に対してのみ残していますし(朝鮮笞刑令・第13条「本令は朝鮮人に限り之を適用す」)、土地を没収されて復習を計画した朝鮮人農夫を未遂にも関わらず、日本軍が銃殺している例もあるわけで、日本人賛美とみなせる内容ではありません。よほど羞恥心というものを持ち合わせていない恥知らずなら、喜ぶかも知れませんが・・・。
※むしろ、この部分はキリスト教徒全体に対する自戒と捕えるべき箇所ですね。
※さて、嫌韓ネトウヨには削除されてますが、この後に以下の文が続きます。
私は尹山葛(註:グレブストの通訳をした韓国人)が監獄の外で待っているものとばかり思っていたが、彼の姿はどこにも見受けられない。あの怯えきった青年はそのまま宣教学堂に走っていったのだろう。そして彼と彼の先生たちはもはや私のことを快くは思わないだろう。
しかし探究心とはもともと生来の本能であり、また義務でもある。ある者はこの世の明るい面だけを見ようとして片方の目を閉じたまま人生を送っていくかもしれないが、そんな人たちの抱く人生の理解は明るく美しいものであっても、けっして正しいものではありえない。
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※ここまで読むと、前段から続く一連の文章が「キリスト教徒全体に対する自戒」であることがわかるでしょう。「この世の明るい面だけを見よう」とするのではなく、暗い面にも目を向け、そして改善すべきだ、という文意を捉えることが出来ます。ま、嫌韓ネトウヨにはわからないでしょうけど。
わかっていない嫌韓ネトウヨの事例
「「 悲劇の朝鮮 」 のアーソン・グレブストも日本の統治による人権回復を期待していました事が良くわかります!」
通りすがりの三国人:http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10114922687.html
いやあ、ほんとにバカだなあwww
多分、「悲劇の朝鮮」を本で読んだことはなく、ネット上の嫌韓引用のみで読んだ気になっているのでしょう。痛すぎです。
そういう嫌韓ネトウヨに送る言葉。
「ある者は”戦前日本”の明るい面だけを見ようとして片方の目を閉じたまま人生を送っていくかもしれないが、そんな人たちの抱く人生の理解は明るく美しいものであっても、けっして正しいものではありえない。」
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