──中村さんと言ったら和服というイメージですが、和服を着始めたきっかけはあったんですか?
昔は本当に服に無頓着でした。でも、30歳になったときに「もうTシャツ、ジーパンの歳じゃないよなぁ」って思いまして、自分のスタイル探しを始めたんです。若い頃フランスに住んでいた時期があるのですが、フランス人って本当にオシャレがうまいんですよ。どうでもいい服をかっこよく着こなすんです。ちょっと悔しくて、僕もちょいワルおやじ風にしてみたりパンク風にしてみたりいろいろ試しました。いまでも数枚その時の黒歴史が残っているんですけど、とにかく、似合わなかった。「もう洋服はダメかな」と思ったんです。その時に一番しっくりきたのが着物だった。じゃあこれにしようという訳で、着始めることにしたんです。そのあと、いろいろあって太った時期があったんですが、着物は洋服と違って横方向の膨張に強いので、気づけば自分のワードローブが着物だけになっていました。
──着物の着付けは習われたんですか?
中古着物の「たんす屋」さんの店長が開いていた一週間講座に通いました。そこの店長さんが、とにかくかっこいい。川木幹雄さんって方なんですが、ちゃきちゃきの江戸っ子。その方自身の生きざまや着物の着こなしを含めてかっこよくてね。それにつられて着物を着続けたって言うもありますね。
──フランスでの経験や出会いがあって着物にたどりついたんですね。ところで、中村さんはいつフランスに行かれていたんですか?
僕はですね、父親の仕事の関係で小学生の頃にアメリカに一年半、その後パリに移って約5、6年暮らしていました。この話をすると「フランス語が喋れるんですか?」と聞かれますが、僕が通っていたのはインターナショナルスクールでしたので、フランス語は片言で道が聞けるぐらいです。授業も試験も英語だったので、英語のほうが得意ですね。
──フランスでの学生生活について教えてほしいです。
とにかくコーヒーをよく飲みました。基本的に学生はお金が無いですから、カフェに行ったらエスプレッソ一杯でねばって、宿題の写しあいとかしていました。それから、国際バカロレア試験。大学の入学資格を得るための試験なんです。今ではそこそこ有名ですが、当時は誰も知らなくて、日本の大学で認めてくれるところも少なかった。あれ、本当に大変なんですよ!この試験で一番おもしろかったのが、美術の試験。美術という科目を取ると最後の一年間、いや、二年間かな、自分の作品ノートというのを作らされるんです。それで、試験の時には、試験官の前に作品を並べて、ノートを見ながら説明します。何を説明するかというと、自分はこの時何を考えていて、どういう作家に影響を受け、どういう路線で試行錯誤して、そして最後こうなったのかということを話すんです。この際、絵がうまいか下手かはそんなに重要じゃなくて、どれくらい美術というものを理解して作品を作ったのかが重要なんです。とにかく考えることに重点を置いた試験でした。
──大学は日本に戻られていますよね?どうして日本に帰ってこられたんですか?
なんででしょうね。実は国際バカロレアでそこそこ良い点が取れたのでイギリスの大学に入るチャンスもあったのですが、そんな気がまったくなく。日本の大学に入るために帰ってきました。きっとアイデンティティの不安があったんだと思います。僕自身、そんなに人に自慢できるほど海外にいたわけでもないのですが、日本人でも外人でもない中途半端な自分が嫌でした。日本人の中に入ると変なやつ扱いされるし、外国に行くと日本人だし。昔イソップ寓話に卑怯なコウモリという話がありましたが自分がそのコウモリに思えて仕方なかった。だから、日本にこだわったのかもしれません。今の着物主義もそういうところに関係しなくもないのかもしれませんね。
──その後就職は?
サッポロビールに入りました。最初は営業内勤をしていたんですが、入社2年目にとても大きな仕事を任されて。それはなんとかやりきったものの、なんだか燃え尽きちゃった。「もう辞めるかな…」と悩んだ時期もありました、その直後、本社のシステム部に異動になって。そこで文書管理とかナレッジマネジメントなどを担当しているうち Notes、SharePoint といったグループウェアも担当するようになりました。もし、あのとき辞めていたら、そうですね、今頃パソコン教室の先生をしていたかもしれません。なんだかんだで、コンピュータは好きですから。
──その後会社を辞められて、シンプレッソ・コンサルティング株式会社を立ち上げられていますね。なにかきっかけがあったんですか?
実はちょっと大きな病気をしたんです。一年間くらい働けなかったんですが、その時期に「どういう生き方が自分にとっての幸せだろう?」ということを考えさせられました。実は僕、自分を誤解していた節があって。例えば僕は結構上昇志向があって、でも、やっぱり基本的にはお金のために仕事をするんだと、とか思っていました。でもこうなってみて、よくよく考えると案外そうじゃない。成功もお金ももちろん好きなんですよ。でもそれよりも自分に何ができるか、どれくらい自分を成長させられるか、そういうのを突き詰めてゆくことが一番楽しくて仕方ないですね。それなら、いっそ、大組織という枠の外で自分がどこまでやれるのか試してみよう、そんなふうに考えました。だから世の中を変えてやろう!とまで大きなことは思わないのですが、自分の能力を発揮できて、その結果として自分の周りの人を幸せにしたいな、それが出来たら素敵だな、と思ったりしています。
──会社を立ち上げられて変わったことはありましたか?
コウモリでいよう、と腹をくくれたことです。実は、自分がいろいろな意味で中途半端であることがコンプレックスだったので、それを逆手にとって、ユーザーと SIer を繋ぐハブになろうと思いました。世の中にはまだ IT プロフェッショナルとユーザーの通訳が少ないんですね。コンサルティングを始めたら、昔ユーザーだったことが活きてきました。例えば、お客さんが出してくる提案依頼書は丸呑みにはしません。だって自分もユーザーだったとき、いろいろな事情でオブラートに包んだ提案依頼書を仕上げていましたから。それに、システムを見るときは、目の前のお客さんだけでなく、このシステムが会社の中でどのように位置づけられているのかを考えます。それも、やっぱりユーザー企業にいたぶんだけイメージがしやすいです。どっちつかず、中途半端だからこそできることもある、そう思うんです。
──今後中村さんがやっていこうと思っていることはなんですか?
独立して働くのも楽しいのですが、いずれはまたユーザー企業側に戻りたいですね。先程の「自分の周りの人を幸せにしたい」という話に繋がるのですが、ユーザー企業の一社だけでも幸せにしたいなと思っています。この業界、なんだか幸せが足りない気がするんです。ユーザーは高いお金払っているのにろくなシステムが出来ないと怒っているし、システム担当はユーザーからぼろくそに言われて暗い顔をしている。じゃあ何を変えなきゃいけないかっていうと、組織かな。組織、体制、仕組み。そういうのを全部変えられる立場になること。まぁでもそれって一人じゃ何もできないことなんだけど。でも、やっぱりユーザー企業を一社ぐらい幸せにしたいなぁ。
──編集後記
中村さんがコーヒーをお好きだという情報を入手し、今回は神保町にある珈琲舎 藏というところをインタビューの場所に選ばせてもらいました。ここのマスターのいれるコーヒーは本当においしい。 「和服姿の写真を撮りたいのですが?」と無理なお願いにも答えてくださり颯爽と和服姿でインタビューに臨んでくださった中村さん。今回はご紹介できませんでしたが鞄やお財布なども随所にこだわりがあふれていました。