嫌韓ネトウヨの「悲劇の朝鮮」からの恣意的引用・第2回目です。
第1回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10114681424.html
1904年当時の韓国の治安状況に関する内容です。
日本右翼のロビー活動に携わっている台湾人・黄文雄の著作からの孫引き引用が多いようです。
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http://blog.livedoor.jp/hjm2/archives/50509896.html
「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社
アーソン・グレブストの『悲劇の朝鮮』には、「(李氏)朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で、城塞(ソウル)の外で夜を過ごすことは大変危険だった。ソウルの外廓には人命を蝿の命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていた」と記されている。李朝末期の司法は、拷問で自白させ、賄賂が横行していた。判決は賄賂の多少によって決められた。ただでさえ牢屋が不十分で、近代的監獄がなかったので、犯人は笞刑(むちうち刑)にするかあるいは処刑される者が多かった。というのは、犯人が収監されると、食事や収容施設に経費がかかるからだった。死刑執行所は、監獄内にはなかったので、さらし者にされる以外の者は、たいてい近くの山中の松の樹やくぬぎの樹に吊るして処刑された者が多かった。朝鮮総督府は、大正8年から文化政治を実施し、この非人道的な刑罰を廃止して、近代法治国家としての監獄をつくった。
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黄文雄はまるで、グレブストが韓国を旅した際に「(李氏)朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で、城塞(ソウル)の外で夜を過ごすことは大変危険だった。ソウルの外廓には人命を蝿の命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていた」と感じたか、ように書いてますが、実際の文章がどうか見てみましょう。当該部分は「悲劇の朝鮮」のP80にあります。
このパゴダの塔からさほど遠くない所、大通りの近くにあずまやがひとつ建っていて、その中に約四メートルの高さの巨大な鐘(鐘閣)がある。かつては、城門の開閉を知らせるために朝な夕なにこの鐘を鳴らしたという。
そのころ鐘の音は城門の外はるか遠くまでよく響き、ひとり旅の者たちをふるえ上がらせたものだ。というのも城塞の外で夜をすごすことは大変危険だったからだ。ソウルの外郭には人命を蝿の命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていたという。
また、そんな目にあわないまでも、山野にあって、ソウルの四方八方数限りない墓のあたりに夜ごと現れる鬼神を避けることは、とうてい出来ない相談だという。
「悲劇の朝鮮」P80
読めば、すぐわかりますが、「かつては」と言うように、山賊云々は、随分以前のお話で、「という。」で締めくくっている言い伝えにすぎませんね。
日本で例えれば、京都の五条大橋には通行人を襲う僧兵がいる、と言うようなものです。
一言「いつの時代の話だよ!」というつっこみで終わる話ですな。
なぜか黄文雄は「山賊やならず者で溢れていたという」という伝聞を「山賊やならず者で溢れていた」と断言にすりかえています。
(追記2008/7/10)
ついでに「(李氏)朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で」の部分は、黄文雄の創作ですね。元の「悲劇の朝鮮」には該当する文章が見当たりません。
捏造でしょうか。
(追記ここまで)
いやあ、悪質ですね~。
それを後生大事に引用する嫌韓ネトウヨも痛すぎます。実際には「悲劇の朝鮮」を読んでないか、読んだ上で悪意を持って引用しているか、どちらかでしょう。
ちゃんと「悲劇の朝鮮」を読んでいれば、こんな引用を信じるはずがありません。
グレブストは、釜山に上陸した後、日本軍が作った鉄道でソウルに向かってます。途中、大邱で一泊することになり片言の会話で現地韓国人に荷物運びと案内をしてもらって、駅から町の旅館へ暗闇の中を移動しています。無事に大邱に着いて宿で一泊しますが、別に盗賊にも泥棒にも遭ってません。翌日、駅で荷物を運んでくれた韓国人に荷賃を払って気分よく出発しています。
「山賊やならず者で溢れていた」などと断言するはずはありません。
これが、嫌韓ネトウヨのやり方です。
人として最低ですね。
彼らの良心は、盲目なのでしょうか?
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2 ■>taspon
>在日くん
どうして嫌韓バカってのはネット向こうの人間の民族を決め付けたがるんだ?
いったい何と闘ってんだよ?