国家や統制する側からすれば、枠にはめ込んで一律に指導、命令したほうが面倒はありません。
そのためには、「上の者」に対して「下の者」が何も言わずに従う体制を作るのが手っ取り速いのです。
「違い」に気づいたとしても、気づかないふりをしていれば「違い」はないことになります。
その「違い」に「特別な配慮」を施したり、個々に対応するのはとても面倒なことなのです。
なので、「違い」はないことにして一律に統制、管理したほうが楽なのです。
差別される側、被害者、痛みを感じている側が何の訴えも起こさない限り、その「違い」はないまま過ごされます。
統制する側からすれば、「ないことにした」方が管理が楽になるからです。
統制する側だけでなく、周囲のものからしてもないものとしておいたほうが「自分にとって」は「損」を感じることはありません。
「精神障害、発達障害が増えた」という分析がされ始めのも、それに気づいた人、「違い」を訴えた人が出てきたからです。
精神障害や発達障害は、本人に原因があるのではなく、周りの環境との壁によって生じるものです。
生き辛さ、過ごしにくさ、やりにくさの「現象」として「障害」が発生しているだけのことなんです。
これは、国家や統制する側からすれば、「問題」となります。
それらに対応する環境作りや社会体制を整えていく必要が出てきますので、それはとても面倒なことになるのです。
だから、「ないことにする」のが一番楽なのです。
さらに、それを「封じ込めようとする圧力」がかかってきますが、それに「抵抗」しようとする勇気のある人が徐々に増えてきたために、ようやく認知されはじめたのです。
しかし、いまだに「ないもの」「なかったこと」として片付けようとする勢力も多く存在しています。
自分も圧力に巻き込まれたくない、自分には関係ないという考え方の人が多く存在しているのも事実です。
そのような考え方があって、「逆差別」だとか「不公平」だとか言っています。
「発達障害は本当に増えたと言えるのか?」
http://www.mammo.tv/interview/archives/no318.html