こんな中で就職活動をしなければいけないというのが、きつい。
もうやめようかという精神だ。
自分が好きではない「経営」やら「ビジネス」やらと言った分野においてもだ。
障害者やLGBTや女やら年寄りを労働市場に突っ込もうという話だ。
恐らく、賃金の値上がりを抑えようということを綺麗な言葉にしたものだ。
ただ、それ以上に「多様性」というのはタチが悪い。
それは、別に障害者や年寄りとか関係がない新卒市場においてもだろう。
その時に、見てくれのいい人間を採用したり、見てくれが悪くてもスキルがある人間を採用するとする。
そうすると、どうなるだろうか。
ただ、途方にくれるだけである。
顔採用をしたとしても、容姿という階級が存在しないことになるのだ。
容姿が悪い人間が絶対に採用されないというわけではないために、「容姿以外を磨け」とかふざけたような話が出てきたりするのだ。
しかし、現実的にスキルの習得だって曖昧なもので、どうにもならないことがある。
見てくれがいい人間はスキルを身につけなくていいのだから、アホらしいったらありゃしない。
なんだかんだ、企業やら社会の「多様性」というものは格差やら階級を曖昧にさせて孤立させやすくするものではないかと感じる。
まぁ、容姿が醜いと格差がハッキリしていても団結できないものだけど。
身体能力における多様性、美醜における多様性、知能における多様性が存在するほうが世の中は良く回るのよ 同じ価値のやつが何種類もあるようなのよりは、上下がはっきり決まってる...