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六人の赤ずきん 作者:icecrepe
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9/17

23:00/誰も知らない贄の赤

 

「……ねえ」


 まず声を発したのは年長のザクロずきんだった。
 紅い粒を散らした金鎖は肩まで落ちかけており、彼女は片手でそれを引っ張り上げる。
 地下に足を踏み入れたからだろう。髪は砂で汚れていた。

「聞いてもいい?」

「ああ」

「何でさっき階段に石が積まれてたの?」

 私は逡巡した。

 おそらく伏せた方が良いのだろう。
 さもなくば彼女達は互いに疑いの目を向け、甘い信頼はほつれ、今日までオオカミに立ち向かってきた仲間だという絆は瓦解する。

 が、子供は大人の嘘を感じ取る。
 反論したり看破することはできずとも、後ろ暗さを嗅ぎ取る。
 女もだ。
 人類が誕生して以来、連綿と受け継がれてきた数少ない真実の一つ。女に嘘は通じない。
 つまり、「女」の「子」というものは成人男性より遥かに嘘を見破る術に長けている。

 今、赤ずきん達は私の息遣いに嘘の気配を感じ取っている。
 ルビーずきんは子犬のように首を傾げ、未だ涙目のバラずきんは恐怖に唇を震わせているが、騙されてはいけない。
 少女は少女の振りをする。

(……)

 私は息を吸った。




「君らの中に魔女がいる」




 静かな動揺が広がった。
 ただ、心の底から驚いた者はいないようだった。
 皆、心のどこかでは察していたのだろう。

「君らのような善い魔女じゃない。この塔に住んでいた悪い魔女だ。若返りの秘薬を操るそいつが赤ずきんの中に混じり、君らをずっと裏切り続けていた。……もちろん、君らを殺すために」

「りゆうは何ですか」

「君らが魔女より美しいからだ」

 魔女にこれ以上の情報を与える必要は無い。
 それ以上の理由は告げず、私は赤ずきん達の表情の変化に目を凝らす。

(……)

 魔女は今、ひどく狼狽しているはずだ。
 先ほどの瓦礫の山は「五人の中に敵対者がいる」ことを示すものではあったが、「五人の中に魔女がいる」ことを示すものではなかった。
 彼女自身、自分が魔女であることを伏せたままこの一夜を過ごすつもりだったのだろう。

 なぜ魔女の存在に気付いた?
 なぜ若返りの秘薬について知っている?
 なぜ赤ずきんを狙う理由まで知っている?

 もし奴が男なら、それも成人の男なら、今頃額や頬にべったりした脂汗を浮かべていることだろう。
 だが奴は魔女。
 それも、少女に擬態した魔女。

(尻尾は見せないか)

 誰一人として不穏な反応は見せなかった。
 皆神妙な面持ちで互いの顔をちらちらと盗み見ている。

 私は八つの青い瞳と二つの赤い瞳を見つつ、その場を左右に動く。

「……まず最初に言っておく」

 私は既に気づいていた。
 五人の赤ずきんのうち、当人を除く四人が血みどろずきんを見つめていることに。
 紅い光沢を持つ黒髪の赤ずきんは不敵に笑っているが、彼女が魔女だという確証は無い。それどころか、魔女は青い目を持つという召使の記録と食い違う。
 先入観を持って臨めば大抵の物事は失敗する。

「以降、『コイツが魔女だ』あるいは『コイツが魔女かも知れない』といった話は禁止だ」

「き、禁止?」

「私は君ら全員を信じているが、全員を疑っている。特定の誰かに肩入れするつもりはない。もし誰かを魔女だと言う子がいたら、私はその子を拘束する」

 赤ずきん達は押し黙った。
 私が本気だということを察したのだろう。
 そして実際に、私は本気だった。

 告げ口。
 猜疑。
 好悪の感情。
 それに伴う記憶の淀み。
 あの子はあんなことを言った気がする。あんな笑みを浮かべた気がする。
 だから魔女に違いない。私は魔女じゃないけれど、あいつは魔女に違いない。
 放っておけば、これからそんな言葉が飛び交うだろう。

 情けない話ではあるが、私は少女の嘘を見抜けない。
 五つの口から飛び出す言葉をいちいち真に受けていては魔女の思う壺だ。

「繰り返しになるが、誰が魔女なのかは私が判断する。君らはオオカミのことだけを考えてほしい」

 重苦しい沈黙。
 少女たちの目が私を咎めるものに変わる。
 私はそれを見返す。

 君らの誰一人として、今まで魔女の存在に気付けなかっただろう、と。
 だからもう、君らは魔女の術中に嵌まっているんだ、と。
 そんな君らの『魔女予測』は高い確率で外れるんだ、と。

 数秒、私たちは視線をぶつけ合った。
 護り、護られる相手を前にしているというのに火花すら散るようだった。
 だが、構わない。

「魔女に言っておく」

 私は最後に一言告げた。

「お前は必ず捕まえる」

 鋭い哄笑が耳の奥で聞こえた気がした。










 オオカミが再び扉に体当たりした。

 緊張していたせいか、私の肉体は服が濡れていることを忘れていたらしい。
 刺すような冷たさを思い出し、身震いする。

「ザクロずきん」

「わ、私? 何?」

「秘薬を他の子達にも渡したのかい?」

「え、うん。さっきそこで作った時にたくさん余ったから……」

 つまり全員に瓦礫の罠を仕掛ける機会があったわけだ。
 階段を下りる時に私は赤ずきん達と一緒だったが、靴を履き直したり衣服を整えるために足を止めた子たちの行動まで目で追っていたわけではない。
 死角は、あった。

「ルビーずきん」

「はいっ!」

「身体から甘い匂いがする。バラずきんの香水を浴びなさい」

「え? あ、はい」

「他の子達もだ。ここから先、オオカミに居場所を知られたくない。必ず香水を浴びておくように」

 バラずきん、と私は少女の頭を優しく撫でる。

「香水はまだある?」

「……うん」

 恐ろしい目に遭ったためか、彼女は膝を抱えたままだった。
 膝を折った私は目尻の涙を指で拭ってやり、立ち上がる。

「カエデずきん」

「はい」

「さっきはありがとう」

「……はい」

 私は必要なことを言い終え、門扉に近づいた。
 がりり、かりかり、とオオカミが壁を引っかく音がする。

(……)


 後手に回っている。


 オオカミに先んじて籠城するはずが、追い立てられて逃げ込んでしまった。
 侵入を防ぐべく地下へ潜れば、水を流し込まれ、銃を失った。
 そして今、疲弊した赤ずきんを背にした私はオオカミの次の一手を「待っている」。

 もちろん、これは当初の予定通りだ。
 私はこの一夜を「オオカミの攻撃を凌ぐ一夜」と見定めていた。
 最初に猟銃の一撃を耐えられた時点で、攻めることは諦めていた。

 だがそれではダメだ。
 反撃を恐れる必要のない奴は知恵の限りを尽くして攻めてくる。
 護る側の私は知恵の限りを尽くしているわけではない。オオカミの攻め手に逐一「対応」してしまっている。
 知恵の限りを尽くすオオカミと、尽くさない私。
 夜明けという時間制限はあるものの、勝敗は目に見えている。

 どこかで攻めに転じなければならない。
 ――『どこか』。
 当然、それは今だ。

「おい」

 私は瓦礫で埋もれた門扉越しに声を投げた。
 音は聞こえなかったが、オオカミがぴくんと耳を立てる気配を感じる。

「そんなに赤ずきんを殺したいか」

 返答は無かった。
 獣じみた唸り声も聞こえない。
 奴は沈黙を以って是とした。

「言葉は分かるんだろう?」

 奴を殺す方法。
 実は一つ、ある。

「今、お前を殺す方法を思いついた。使えば確実にお前は死ぬ」

 縦横無尽に動き回り、あらゆる角度、深度からこの塔を攻めようとしていたオオカミが思考を止めた。私の言葉に耳を傾けた。
 その時初めて、私はジェヴォーダンの獣の息遣いを感じた。

「   」

 私は瓦礫に手を当てたまま、続ける。






「二時間後、この扉を開ける」







 声なき悲鳴が赤ずきん達から発せられた。

「正面切って戦うわけじゃない。お前は『塔の外』じゃなく、この『一階』に閉じ込めることにした」

「    」

「お前は敵だ。入って来ても、来なくてもいい。ただし、予告する。入ってきたら『お前は間違いなく死ぬ』」

 ゴルルル、と奴が唸った。
 怒りではない。
 停止しかける己の脳に喝を入れているのだ。
 疑え、奴の言葉を疑え、と。

「お前がどこまで高く跳べるのかは理解している。二階に続く階段を崩せば、お前はそこから上に上がって来ることはできない」

「   」

「お前はこの一階に閉じ込められる。そして、死ぬ」

「    !」

 そうだ。
 考えろ。
 今度はお前が考える番だ。
 お前が私の言葉に「対応」しろ。

 私は『今思いついた』と言ったぞ。
 そして『一階に閉じ込める』と断言した。
 更に、『踏み込めば死ぬ』とまで言い切った。

 そう。
 私はお前が中に入ったら、ザクロずきんの秘薬で足元の瓦礫を崩すつもりだ。

 地下は完全なる水の世界だ。
 落下すれば筋肉の塊であるお前は泳げず、為す術もなく溺死する。
 仮に溺れずに済んだとしても、おぼつかない足場では二階に跳ぶことはできない。
 策を巡らそうとすれば、真上にいる私たちがすべて見通し、見透かし、見破る。
 完全なる『詰み』。

「     」 

「そのまま塔の外に残るつもりなら、三階に登った赤ずきん達が塔の外へ秘薬をぶちまける。水筒一本分で橋を崩すほどの秘薬だ。それしきの足場、簡単に崩せる」

 この言葉にオオカミはわざとらしい唸り声で応じた。
 何て恐ろしいことだ、と言っているようにも聞こえる。

(予想している、か)

 奴を堀に落とす。
 その為に塔の外側の地面を崩落させる。
 この策を考えないわけではなかった。

 ただ、所詮は戦の素人である私の思い付きだ。
 奴も当然、それを予期しているだろう。
 予期していて、なおかつ何の対策も打たないということは実行に移されても構わないという意思表示だ。

 ザクロずきんの秘薬は液体で、生物を殺すことはない。
 この二つの特徴を奴は既に理解している。前者は見ればわかるし、後者は自分に直接振りかけられなかったことから推測できる。
 おそらく自分の身体で防ぐ腹積もりだろう。
 降り注ぐ秘薬を全身で受けるか尻尾で受け、塔の壁面に跳ね返す。
 僅かな量でも効果範囲は広い。
 匙一杯分も壁面に降りかかれば、そこに穴が開く。
 最悪の場合、塔が崩落する。

 奴にとっては塔の外こそが安全地帯だ。
 中に入れば私たちには近づくが、床が崩落する危険性がある。
 賢いオオカミはおそらく、扉を開けても不用意に中に入ることはないだろう。
 今まで同じようにじっと外で息を潜めるのが得策だ。

 奴がただ賢いだけの畜生なら、それで終わる。
 忘れてはならない。
 奴は「とてつもなく賢い」。

 二時間。
 二時間あれば奴は「中に入り、かつ無事に床の崩落をかわす方法」を考えつくはず。

 奴は賢い。
 賢いがゆえに、第三の道を切り開く。必ず。

 私はその先に立つ。

「お前が朝になったらどう困るのかは知らないが、私たちはこのまま夜明けを迎える」

「    」

「入って来れないのなら指を咥えてそこで待っていろ」

 指ではなく脚か。
 まあ、どちらでもいい。
 今度はお前が考える番だ

「……」

 言うべきことは言い尽くした。
 後は、反応を待つのみ。
 オオカミも、魔女も。

 魔女もまた私の言葉を聞いたはず。
 そして困惑している。
 オオカミが中に入れば、「オオカミに襲われない自分」が魔女であると知られる可能性がある。
 彼女もまた、必ず何らかの手を打つ。

 長期戦に持ち込むことはできない。
 こちらも休憩を取らなければ知恵が摩耗し、錆びつき、鈍る。
 決着を先延ばしにすべきではない。

 オオカミと魔女。
 私はどちらも一度に潰す。 

 私は扉に背を向ける。

(――――)

 ふと、思い至る。


 ――もし私が二時間以内に魔女を見つけ出せたら、オオカミと協力できるのではないか?


 こいつは明らかに人語を解している。
 そして狙っているのは『赤ずきん』ではなく、『赤ずきんの格好をした魔女』だ。

(確か……)

 うろ覚えだが、地下二階で見た文字にこんな文言が残っていた。

 『――――。鏡――――、もう一つの真実――――』
 『「あなたより美――けでなく、赤ず――――お后様――地位――――脅かす――」』
 『だから――后様――――、――直接――――せず――、オオカミ――――』
 『若――――、はじまりの――――、――――て』

 何せ短い時間のことだったので記憶が定かではないが、前後関係を整理すればおおよその内容を推測できる。

 魔女は若返りの薬を服用していた。更に、その効果時間を延長する術を手にしていた。
 しかし真実を語る鏡はそれまで『世界一美しい』と評されていた魔女ではなく、赤ずきんを名指しした。
 もし鏡が語ったのがこれだけなら魔女は権力と武力で赤ずきんの一掃を図るだろう。
 だがおそらく続きがあった。
 鏡は『赤ずきんはあなたの地位を脅かす』と告げたのだ。
 これが魔女を躊躇わせた。
 脅かすという言葉は多少解釈の余地がある。
 不用意に赤ずきんを弾圧したことで反逆が起こるのかも知れないし、家臣の反発を生むのかも知れない。
 赤ずきんは秘薬をもたらす存在だ。それまでのように密かに攫って殺すのではなく、大手を振って皆殺しにしようとすれば確実に領民の反発を生む。

 だから、オオカミに任せることにした。
 どういった方法を用いたのかは知らないが、魔女はオオカミが赤ずきんを殺すよう仕向けた。
 目の前で子供でも殺したのか、肉の味を覚えさせてそれ以外の食事を与えずに育てたのか、それは知らない。
 いずれにせよ、オオカミにこれほどの殺意を抱かせた魔女は常に赤ずきんの格好をしていたに違いない。
 赤ずきんを徹底的に憎むよう仕向けた魔女は、自分以外の者の手で、いわば「事故」で赤ずきんが全滅するよう企図した。

 この私の考えが間違っていないのであれば、魔女を特定することでオオカミと和解――――

(いや……)

 危険だ。
 まずオオカミは賢い。
 私がなぜ魔女のことを知っているのか訝しむだろう。
 地下が水没してしまっているので、召使いの存在を立証する術が無い。
 そうなると奴は私の言葉を虚言とみなす。
 つまり、殺し合いが再開されてしまう。

 魔女の存在も危険要素だ。
 事の発端はこいつの悪知恵だ。
 そいつがオオカミに存在を披歴することをぼんやり眺めているはずがない。確実に妨害してくる。
 うっかり召使いの件を口にすれば自らの手で壁面に嘘の情報を刻むかも知れない。

 私とオオカミは魔女に翻弄され、今に至る。
 残念ながらその私達が手を組むことに意味は無い。

「猟師さん」

 血みどろずきんだ。
 扉を開けるという話、それに続くやり取りを固唾をのんで見守っていた赤ずきん達の中で、彼女だけが普段通りだった。

「身体、拭いてあげましょうか?」

「いや、いい」

「身体が川臭くなってますよ?」

 言われてみると臭い。
 それに濡れた服が氷のように感じられる。

「服はこのままでいいよ」

「猟師さん」

「何だい」

「あ・た・ま」

 血みどろずきんは私の帽子を指差した。

「髪の中、汗かいているでしょう? それ、嗅がれちゃうんじゃないの?」

「……。ああ、そうだね」

 私は帽子を外した。

 ふわり、と。
 長い金髪が肩に乗る。

「……」

 血みどろずきんは何かを悟ったようだった。
 が、私は構わずバラずきんの香水を浴びる。
 顔に。
 髪に。
 首に。

「もういいかな?」

 私は金髪をまとめ、帽子の中に収める。
 何人かの赤ずきんはぼんやりと私を見つめていた。

「隠さなくてもいいでしょうに」

 血みどろずきんはわざとらしく嘯いた。
 私は首を振り、彼女の名を呼ぶ。

「血みどろずきん」

「なあに?」

「湿布を貸してくれ」

「何に使うの?」

「足音をそこら中に散らす。二時間後、私たちがどこにいるのか特定させない」

 私は赤ずきん達に中庭での製薬を指示した。
 私が手綱を握るより、互いを見張らせる方が良い。





 私は二階へ向かった。
 兵士の部屋と客の部屋。

 目ぼしいものは無かった。
 格子の入った窓の下を除くと、オオカミが扉の前に座り込んでいた。
 二時間、座して知恵を巡らせるのだろう。
 もちろん奇襲は警戒する。



 私は三階へ向かった。
 中庭を見下ろす魔女の部屋。次の間。そして精鋭の間。

 精鋭の間で探し物を見つけた。

 魔女の部屋には粉々になった鏡が落ちていた。
 それから、幾つかの彫刻が飾られている。
 幾つかは古き時代の名画の再現のようだったが、明らかに趣を異にするものもあった。
 優雅に王子の手を取る女。
 間違いない。
 魔女の若い頃の姿だろう。

 その顔は。
 カエデずきんにそっくりだった。

「――――」


 決戦の時刻は近い。

 
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