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六人の赤ずきん 作者:icecrepe
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8/17

22:00/誰も知らない水の赤

 
 換気口から注ぐ水が瀑布のごとく床を叩く。
 身をくねらせる大蛇さながらに室内を蹂躙し、古びた扉を突き破る。
 流れ出した濁流は競う合う腕のように通路を走る。
 巻き上がる波。
 ごぼごぼと立つ泡。
 重さで軋む床。

 一つ上の階を見上げた私たちは立ち竦んだ。

(何てことだ……!)

 驚愕の次に私を襲ったのは、どうしようもない惨めさだった。
 オオカミは地下壕に水を流し込んだ。
 そんな前情報があったにも関わらず、私は四方を掘に囲まれた塔の地下にのこのこと立ち入ってしまったのだ。

 私の呟きを耳にしたカエデずきんが眉根を寄せる。

「かんきこう?」

「竈から上がった煙が外に出て行く通路。たぶん、地下一階の厨房から土の中を通って塔の外に繋がってたんでしょ」

 血みどろずきんは私に上目遣いを見せた。
 口元には異様な笑みが貼り付いている。

「土を掘る途中でオオカミがその通路を見つけて、堀の水を誘導したんでしょうね」

「それはつまり……」

「ぼうっとしていたら堀の水がありったけここに流れ込んで来るから、早く逃げないと全員溺死……あら」

 私は既に駆け出していた。
 振り返り、声だけを残す。

「二人とも先に一階へ! 立ち止まらないように!」

「まってください。りょうしさんは――」

「他の三人を連れて行く! 血みどろずきん! カエデずきんを――」



 魔女が赤ずきんに化けている。



 ――もし。
 もし、血みどろずきんとカエデずきんのどちらかが魔女だったら。



 この混乱の中、私の目の届かない「死角」で二人きりになったら。



 もう片方は、死ぬのでは?


 いや、むしろ今散り散りになっている赤ずきん達こそ危ないのでは?


「~~~~~~!!!」

 思わず足を止め、言葉を変える。
 思考が行動を絡め取る。

「カエデ! 一階に行きなさい! 着いたらそのまま二階へ! 血みどろは私と!」

「え」

「あら乱暴な感じ」

 二人の元へ舞い戻った私はほっそりした血みどろずきんの手を引き、走り出す。

 滝の傍に居るかのような震動と水の音が止まらない。
 カエデずきんの姿はもう見えない。
 私は喉を嗄らして叫ぶ。

「バラずきん! バラずきんどこだ! ザクロずきん! ルビーずきんっ!」

「はいっっ!!」

 真っ先に通路に飛び出したのはいばらの冠を乗せた黒髪、ルビーずきんだった。
 彼女は手に壺を持っている。

「猟師さん! これ何か入っています!」

 彼女が飛び出した部屋を見ると、中には朽ちた磔台や水車を思わせる仕掛けが残されていた。
 それに鎖、指締め器、針といった不穏な用途を想起させる金属の数々。
 少女が手にした壺の中では貝殻のようなものがからからと鳴っている。

「あら、いいもの見つけたのね。鼻骨がこんなにたくさん」

「え」

「棄てなさい。いいからおいで」

 私は素早くルビーずきんの手を掴んだ。
 ぱかあん、と壺が割れる音を聞きながら走り出す。
 血みどろずきんは拷問部屋を興味深そうに見つめていたが、すぐに駆け足でついて来た。

「ザクロずきん! バラずきん!」

 上階を駆け巡る水の勢いが早い。
 一刻も早く地上に出なければならない。
 だと言うのに、赤ずきん達は見つからない。
 私は地下二階の奥へ奥へと進んでいる。

「ザク――」

「ちょっと! 何なのこの音!」

 ザクロずきんだ。
 彼女は使用人の部屋から飛び出してきた。

「まさかどこかの壁に穴が空いて……ひゃ!」

 私は駆け抜けざまに彼女の手を掴んでいた。
 のんびり説明している暇は無い。彼女の納得を待つ時間も無い。

(あとはバラずきん……!)

 地下二階と地下一階を結ぶ階段が濁流に飲まれたら、押し寄せる水の中を駆け上がらなくてはならない。
 私一人ならともかく、彼女達の体力でそれを成し遂げられるとは思えない。
 首尾よく地下一階にたどり着いても、そこから地上に続く階段まで通路一本分の距離がある。
 泳いで脱出するのは現実的ではない。

「ザクロ、血まみれ、ルビーを連れて先に行きなさい」

 地上にカエデずきん、移動するのがザクロ、血まみれ、ルビー。いないのがバラ。
 これなら誰が魔女であっても不利益を被る者はいない。

「っ。あ、あなたどうするの?!」

「バラずきんを連れて行く」

「オオカミが待ってるかも」

「二階まで上がって部屋に隠れなさい。匂いを消すのを忘れないように」

 三人と別れ、私は地下二階の奥へ進んだ。
 拷問部屋、使用人の部屋、水汲み場、風呂、便所。
 どの部屋にもバラずきんは居なかった。

(どこだ……?!)

「バ――」

 声を上げかけ、思わず息を呑む。
 あの文字だ。
 あの文字が刻まれている。

(っ)

 立ち止まりかけた私は、とうとう地下二階に水が流れ込む音を聞いた。
 ざざああ、という潮騒にも似た音。

(読んでいる場合じゃない……!)

 地下一階より重要な情報があることは間違いない。
 だが悠長に読んでいたら赤ずきんたちを危険にさらしてしまう。

(クソ……!)



 『――――。鏡――――、もう一つの真実――――』
 『「あなたより美――けでなく、赤ず――――お后様――地位――――脅かす――」』
 『だから――后様――――、――直接――――せず――、オオカミ――――』
 『若――――、はじまりの――――、――――て』



「バラずきんっ……!!」

 私は地下の一室に飛び込んだ。

「猟師さんっ?!」

 バラずきんもまた部屋を飛び出すところだったらしい。
 目を白黒させながら私を見上げている。

 ちらと見れば部屋には骸骨が散らばっていた。
 天井からフックで吊るせる仕掛けらしく、幾つかの骸骨は天井からぶら下がったままだった。
 ここは死体安置所、いや『放置所』か。

「水が来る。上に戻るぞ」

「え」

「早く!!!」

 どどどっと濁流が迫る音。
 私はバラずきんを問答無用で抱きかかえ、走り出す。

 小柄なバラずきんは軽い。
 枕でも抱えているかのようだ。

 階段までの角は二つ。
 全力疾走で通路一つを踏破し、角を曲がる。
 水がやって来る。
 足首を掴まれるような感触。
 どうにか踏みとどまり、前へ。

「ふっ、ふっ……!」

 水は既に足首ほどの高さまで満ちている。
 ざぶっ、ざぶっと駆ける足の勢いが鈍る。

「んッ?」

 半ば濁流に流されながらこちらに近づく少女の姿が見える。

「っ!! ~~~っ?!」

 手足をばたつかせながら滑るようにして私のところへ流れてきた少女を抱き止める。
 小さい。
 そして頭にカエデの装飾。

「……どうも」

 申しわけなさと照れくささを隠す為か、カエデずきんはわざとらしくぺこりと頭を下げた。

「~~~!!」

 私は顔が歪むのを感じる。

「あの……ほうっておけなくて。こっそり出てきました。皆さんは何も知らないので、せきにんは無いです」

 皆さん。
 つまりあの三人は無事に地上へ上がれたらしい。
 それは喜ばしいことだが、子供一人を運ぶのと二人運ぶのはわけが違う。
 比較的運動能力の高いルビーずきんや年長である血みどろ、ザクロの二人ならともかく、なぜ一番か弱い彼女が。

 何でだ。
 頼む。予想外の行動を取らないでくれ。
 魔女とオオカミの両方から君らを護ることは――――

(いや……)

 できるかどうかではない。
 やらなければならない。

 村一つ滅ぼした私だ。
 村一つ救わなければ帳尻が合わない。
 まして少女五人。

(護ってみせる……!)

 私はバラずきんを背負い、カエデずきんの手を引いて走り出す。
 数歩進むごとに、枕のようだと感じていたバラずきんが少しずつ重くなる。
 水かさが上がっていく。
 海よりも鼻につんと来る淡水の匂いが濃くなる。

「くっ……」

 水の流れ落ちる階段にたどり着く。
 一歩上へ。もうそれだけで足が滑りそうになる。
 真正面から襲い来る水は徐々に勢いを増しており、くるぶしを叩き続けている。
 気を抜けば転ばされてしまいそうだった。

「カエデずきん! 手を離すな!」

「う、うん」

 もっとも、私は彼女の手首をきつく掴んでいる。彼女が手を離すことで別れ別れになることはない。
 手を離されたら、私は彼女をびたんびたんと引きずりながら進むことになる。 
 それが嫌だから、離さないで欲しかった。

「く、う……!」

 崖をよじ登るようにして、どうにか階段を登り切る。
 喜んでいる暇は無い。

 地下一階の水位は私を溺れさせるには及ばなかったが、確実に速度を鈍らせていた。
 水の中を歩くのは鉛の中を歩くのと大差ない。
 ざぶっ、ざぶっと前へ進む足が止まりそうになる。

(っく……!)

 水かさが増えていく。
 地下二階がいっぱいになった時点でこの地下一階も水に満たされる。
 私は頭まで浸からなければ平気だが、カエデずきんがいる。
 彼女の頭、いや腰まで水が来たら終わりだ。完全に身動きが取れなくなる。

(せめて階段の真下へ行けば水が来ても……!!)

 厨房から噴き出した水は氾濫した川のようだった。
 通路の壁に叩き付けられる水の様はまるで壁だ。
 壁で跳ね返った水は迷うことなく地下へ流れ込んでいる。

「っ突っ切るぞ!!」

 私は水の壁に体当たりした。
 数歩よろめく羽目になったが、どうにか前へ進むことはできた。
 カエデずきんも私にしがみついている。

「はっ……はっ……!」

 厨房を越えた。
 後は階段までほんの少しだ。
 そしてこの先に水の噴き出す場所は無い。

「今度から、勝手な、行動は……!」

「猟師さん!」

 背に負うバラずきんが階段を指差した。
 彼女を片手で支える私は、その勢いだけで身を傾がせる。
 苦しさに耐えるようにまばたきを一つ。



 何も無い空間に。
 瓦礫の山が出現した。



「!!」

 これは。

「ざくろずきんの秘薬ですっ!」

 カエデずきんが私の手を離し、瓦礫に飛びついた。
 彼女はうんうん唸りながら小さな石の一つを動かしたが、どう少なく見積もっても数十の瓦礫が道を塞いでいる。
 道と言うか、階段だ。
 階段が完全に埋もれてしまっている。
 おそらく顆粒にした瓦礫をこの辺りに散らばせておいたのだ。
 私たちが上へ戻る時、それを阻害するように。

 あるいは。
 魔女はオオカミが水を流し込むことを予期していたのかも知れない。

「くっ!」

 私はバラずきんを下ろし、瓦礫に飛びついた。
 一つ。
 二つ。三つ四つ五つ。

(ダメだ……!)

 かなりの量だ。
 門扉を塞いでいる岩と大差ないかもしれない。
 一時間も頑張ればどかせられるだろうが、そんな余裕は――――

「み、水が! 水が来てる!」

 はっと見れば水位が上がっていた。

(早すぎる……!)

 青ざめたバラずきんはその場にへたり込んでしまったが、それを咎めている場合ではない。

「おい! 誰か! 誰かいないか!」

 私は大声を上げた。
 喉が裂け、肺の空気が蒸気に変わったかと思う程の大声だった。

「ザクロずきん! ザクロずきんいないのか?!」

 私は瓦礫を殴り、壁を殴り、ありったけの音を出した。

「ざくろずきん! たすけて!」

 カエデずきんも驚くほどの大声を上げている。
 が、濁流の音がすべてをかき消している。

(しまった。あの子たちは二階だ……!)

 じりじりと水位が上がる。
 足首が浸り、くるぶしが浸る。

「う、ぬうううっっ!!!」

 土砂に埋もれた子供を救うかのように私は必死に瓦礫をかき分ける。
 爪が割れ、指先が裂ける。
 痛みが恐怖で薄らぎ、息が荒くなる。

「いやだ……いやだ……!」

 カエデずきんもまた大人並みの速度で瓦礫をどかしている。
 血の匂いがむっと漂うほどの速さだった。
 だがそれでも、水の方が早かった。

「く……!!」

 膝まで水が届く。
 水面が鼻先にまで迫っている。
 汚水を吸った川の匂いはぞっとするほどの悪臭を放っていた。
 これが死か。
 これが私の死の匂いか。

「ば、バラずきん! 泣いてないで動いて!」

 カエデずきんは半ば錯乱しかかっている。
 目に浮かぶ涙。
 彼女がここまで顔を歪めるのは初めてだ。

(どうする……! どうすれば……!)

 はっと気づく。
 銃。
 銃声なら上にも届く。

「っ」

 私は背中の銃を外し、適当な部屋に銃口を突っ込んだ。

「離れなさい!」

 言うが早いか、引き金を引いた。
 そして、絶望に襲われる。

(不発……!)

 先ほど水の壁をくぐった時だ。
 いつでも撃てるよう、銃身を袋から出していたのが裏目に出た。

「ぁぁ……」

 カエデずきんの表情に恐怖が浮かぶ。
 私の失望が伝染してしまったらしい。

 二人の秘薬は透明化と無臭化。
 この状況では何の役にも――――

「!!」

 私はバラずきんの手から薬を引ったくり、天井を見上げた。
 どかした瓦礫がほどよく足場になっており、多少は高さが稼げる。

(届け……!)

 私は限界まで背伸びをした。
 天井に膏薬を濡れば上の階から下が見える。
 恐怖に歪んだ私たちの表情も見えるはず。

(ダメか……?!)

 天井が高い。
 膏薬を塗った手が届かない。
 あと少し。ほんの少しなのだが。

「猟師さん! 私を!」

 カエデずきんが頭巾を脱いだ。
 私はすかさず灰色の髪を靡かせた少女の足首を掴み、天井へ持ち上げる。

「んっ……!」

 手を伸ばしたカエデずきんの指先が天井に触れる。
 ほんの少し、ちょっぴりだけ膏薬が塗られた。

「やった……!」

 呟いた瞬間、カエデずきんの手から貝殻を使った膏薬入れが落ちる。
 それはあっさりと濁流の中に落下した。

「あっ?!」

 カエデずきんがふらつく。
 それを支える私も瓦礫の上に立っているため、均衡を崩して転げ落ちる。

「ああっ!」

 かろうじてカエデずきんを受け止める。
 が、すでに水は腰にまで届きつつある。
 これはもはや――――

「~~~~~!!」

 狂おしいほどの恐怖と怒りが湧いて来る。
 私はなぜ地下になど――――




「何やってるの! 早く!!」




 ぼろろっと瓦礫の上半分が顆粒と化した。
 そこからザクロずきんの顔が覗いている。

「ザクロずきん――――」

「早く! ほらバラちゃんも!」

 泣き崩れていたバラずきんが顔を上げた。
 私はまず彼女を地上へ押し込み、カエデずきんを押し込んだ。

 最後に一度振り返る。

(……)

 召使いの言葉を最後まで読むことはできなかった。
 乳母であったという彼女の言葉はもう――

「……!」

「何してるの! 急ぎなさい!」

 私は地上へ飛び出した。









 濁流は地下に続く階段の最上段で止まった。
 つんと臭う水の匂いに包まれながら、私は腰から崩れ落ちる。

「大丈夫ですか?!」

 ルビーずきんが私に近づく。
 微かに香る少女の甘さが私の疲労を癒す。

 ああ、と私は頷く。
 カエデずきんとバラずきんは完全に崩れ落ちており、肩で息をしている。

「あら。銃は?」

 血みどろずきんはのんびりと告げた。

「濡れた」

「お気の毒さま」




 どんどん、と扉を叩く音。




「!!」

 五人の赤ずきんが飛び上がる。
 私もまた弾かれたように立ち上がり、なけなしの拳銃を構える。

「……」

 一分。
 三分。

 再び扉が叩かれる。

「!!」

 二十秒。

 今度は背後の壁に体当たりされる。
 ひうっと何人かが悲鳴を上げた。

(こいつまさか……)

 オオカミの体当たりは数分、数十秒と間隔を変えて繰り返された。
 時折遠雷を思わせる、ごるるる、という呻きが混じり、少女たちを怯えさせる。

「朝までこれが続くの?」

 血みどろずきんは迷惑そうな顔をした。
 それならいっそ中に入って欲しい、なんて言葉を続けそうだ。

(まずい……)

 赤ずきん達が疲弊してしまっている。
 予想していたことではあるが、かなり早い。先ほどの水攻めが効いている。

 そこに来て、これだ。
 おそらくオオカミは私たちを休ませないつもりだろう。

 ここで私は一つの結論を得ていた。

(このまま守り続けたらいつか突破される……!)

 オオカミは私たちに攻撃される危険性が無い。
 完全に攻めることだけを考えていればいい。
 必要があれば休息することもできるだろう。

 反面、私たちは疲弊する一方だ。
 休息すらままならない。
 夜明けまで耐え凌げばオオカミは撤退するのだろうが、それすらも危うい。


 加えて、魔女の存在。


 ザクロずきんの秘薬を使ったのは間違いなく魔女だ。
 地下に降りる時に何食わぬ顔をしてあの場所に撒いたのだろう。
 状況からして、かなり前から私たちを密閉することを企んでいたに違いない。
 もしザクロずきんが一階に居残っていてくれなければ、私たちは死んでいた。


 赤ずきんたちは護る。
 だが守勢で護るばかりでは確実に攻め崩される。
 攻勢で護らなければならない。


(どっちだ……?!)

 魔女か。
 オオカミか。

 どちらかを潰さなければ、ここで全員死ぬ。

 私が潰すべきは、どちらだ。
+注意+
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