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六人の赤ずきん 作者:icecrepe
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16:00/誰も知らない夜の赤

 

 猟師の間には不文律が一つある。
 それは「一つ所に留まらない」こと。


 猟師が定住した土地には獣が近寄らなくなる。
 山羊ヤギも、鹿も、兎も、鳥も。
 緑豊かな餌場は触角を揺らす虫の楽園となり、清らかな水場にはただ水のせせらぎだけが残される。
 獣の絶えた世界は塩を欠いた料理のように虚ろだ。

 猟師を厭うあまりお気に入りの住処を放棄した獣たちは、時として子供の多い村落や馬の行き交う街道にまで出没する。
 獣と人間は不幸な出会い方をすることが多い。
 野兎を追う子供は木の幹に顔をぶつけ、猪は大人の腿に噛みつき、飛び出した鹿に驚いて曳き馬が荷台をひっくり返す。
 かくして安住の地を見つけたはずの猟師は再び獣だらけの土地へ駆り出されることとなる。
 もしくは、自発的に移住を余儀なくされる。獣の居ない土地で猟師が生計を立てることはできない。

 だから古き時代の猟師たちは不文律を作った。
 それは「一つ所に留まらない」こと。


「――――おかしな話ではありますが」

 私は言葉を切り、ぐるりと周囲を見渡した。

「我々は人間以上に獣への配慮を欠かしてはならないのだそうです」

 誰も、ひと言も発しなかった。
 私は彼らに理解が染み込むのを一分ほど待ち、おもむろに切り出す。

「お金は納めますし、ちょっとした力仕事もお手伝いします。もちろん虫や獣の駆除も請け負います。……長くても二年ほどで構いません。私をこの村に住まわせてくださいませんか?」

 要望を過不足なく述べた私は返答を待った。
 小さな集会所に寄り集まった男たちは難しい顔のまま何事かを囁き合っている。
 おそらく彼らの総意に意味は無い。
 彼らは私の提案を検討する振りをしながら、一人の老人の言葉を待っている。

(これはダメかな)

 私は場に漂う沈黙から曖昧な拒絶の意図を感じ取っていた。

 鎧戸の外を見やれば、飴色の夕陽が地平線の向こうに沈んでいくところだった。
 気温はまだ高いが、大気は雨の気配を孕んでいる。
 もし滞在を断られたら引き返すしかないが、その前に雨宿りした方が良さそうだ。

 そんなことを考えていると、集会所で最も良い椅子に腰かけた老人が口を開いた。

「猟師殿」

 ひなびた村の長は乾いた額に憂いの皴を寄せていた。

「この辺りにはオオカミが出ます」

(おおかみ?)

 狼なら知っている。
 罠にかかった兎を足だけ残して横取りしたり、遠吠えで鳥を飛び立たせる猟師の敵。
 土地によっては家畜や家禽を襲うこともある。ネズミに次ぐ嫌われ者だ。

 だが狼は臆病で、自分より強い獲物や大きな生物を積極的に狙うことはない。
 もし見かけたら肩を怒らせ、靴音を立ててのしのしと近づいてやればいい。文字通り尻尾を巻いて逃げ出してしまう。
 連中は嫌われ者だが、厄介者ではない。

「大きな群れですか?」

 狼は基本的に群れで行動する。
 その数はせいぜい五、六匹だが、十匹を超える規模となるとさすがに駆除する必要がある。
 村人は私を疎んじているように見えるが、むしろ猟師である私が逗留すべき土地なのではないだろうか。

 打算的な考えを口にするより早く老人が口を開いた。

「一匹です」

「たった一匹?」

「ただのオオカミではありません。怒れる牛よりも大きく、子を抱えた熊よりも狂暴で、人間よりも賢いオオカミです」

「?!」

 今度は私が理解を待たれる側だった。
 無知なる者の理解を待つ村人の目は冷ややかだ。

(牛よりも大きくて、熊よりも、狂暴……?)

 理解が追い付かない。
 私は自分の顔に半笑いに近い表情が浮かぶのを感じていた。

「そんなオオカミがいるはずが――」

「いるんですよ。現に、ここに」

 枯れ木を思わせる老人から強い言葉が飛び出した。
 返す言葉を見失った私は髪がこぼれ出ないよう、羽飾りのついた帽子を手で押さえる。

(……)

 牛や熊より危険で巨大なオオカミ。
 突拍子も無い話だったが、虚言で私を追い返そうとしているようには見えない。
 猟師を追い返すのに「とても大きなオオカミがいる」なんて嘘はつかないだろう。

 彼らの言う「オオカミ」は実在する。
 私はそれを直感した。

「……騎兵隊は呼びましたか」

「ええ。彼らは見当違いの小さな狼を退治して、満足して帰って行きましたよ」

 私は驚かなかった。
 騎兵の仕事は人を殺すことであって獣を殺すことではない。
 さっさと引き上げるために成果をでっち上げたのだろう。

「あのオオカミが退治『させた』んだ」

「させた?」

「あいつには知恵があるからな」

 一人の男が忌々しそうに言うと、別の男が私の担ぐ猟銃を顎で示した。

「銃も罠も意味ねえよ。何十人がかりで追い込んでもダメだったんだ」

 私は得体の知れないオオカミに恐怖を感じたが、同時に疑念を抱いていた。
 彼らはそんな獣がうろつく土地にどうして住み続けるのだろう。

「そんなオオカミが居るのになぜあなた方は――」

「一年に一度だからですよ。オオカミが目を覚ますのは」

「一年に、一度……」

「ええ。月が一番大きく見える日です」

 村長の目は暗く淀んでいたが、怪しい光も湛えていた。
 まるでおぞましいオオカミの存在を誇っているかのように。

「滞在されるのは構いませんが、ちょうど今日が――その満月の日です」

「え」

 村長は壁に掛けられた暦をちらと見やった。
 月齢を図示した暦の針は確かに今日を『満月』と指している。

「今日、オオカミが現れます」

 確信に満ちた沈黙がその場に淀み、私は寒気を覚える。
 彼らの姿はさながら振り下ろされる斧を待つ死刑囚のようだった。

「……命の保証は無いと仰りたいのですか」

「いえ、猟師殿は安全です。奴は男を喰いません。それに大人も喰わない」

「……? では家畜を襲うのですか?」

「いいえ。奴は人を喰います」

「しかし今村長殿は」

「オオカミが喰らうのは少女だけです」

「……!?」

 一般に、体の大きな獣は多くの餌を必要とする。
 牛よりも大きな狼が存在するとすれば、膨大な量の肉を喰わなければ肉体を維持できないはずだ。
 たとえ一年に一度しか目覚めないのだとしても。
 子供しか狙わないというのはおかしい。

「好きな家に滞在なさってください。ですが、『赤ずきん』を襲うオオカミを見かけても銃など撃たれませんように」

「待ってください。その……『赤ずきん』というのは?」

「赤ずきんは――――」

 こんこん、と。
 集会所の扉が軽く叩かれ、男たちが一斉に振り返る。





「こんにちは~」
「……こんにちは」





 そこには二人の少女が立っていた。
 年は十を少し越えたぐらいか。二十歳にはまだ遠いようだ。

 二人の服装はよく似ていた。
 申し訳程度のフリルをあしらったスカート、手には小さなバスケット、胸元には柔らかいリボン。
 小さな頭はどちらも赤い頭巾にすっぽりと覆われている。

 ただし、頭巾の意匠がそれぞれ違う。

「っバラずきん、カエデずきん! 何をしとるかッッ!!」

 集会所の屋根を突き上げるような村長の怒声が響いた。
 干上がった湖底を思わせる顔に血色が戻り、ふさふさの白い眉が吊り上がっている。
 私と話していた時とは別人のようだ。

「うひっ」

 二人の赤ずきんのうち、明るい挨拶をした方が頭巾の上から耳を押さえる。

「うるさいよぉ。この老いぼれ」

「その言葉遣いはやめなさい、バラずきん!! こんなっ……こんな時間に何をしとるか! 家から出てはならんと言っただろう!」

「だーってカエデちゃんが行くって言うんだも~ん」

 バラずきんは唇を尖らせ、自分は悪くないとでも言いたげに横を見る。
 視線を受けた「カエデちゃん」は小さく頷き、ぼそっと呟いた。

「おくすりができたので持ってきました」

 陰気な少女の被った頭巾は、その側面を色調の異なる数枚のカエデに飾られていた。
 頭巾の隙間から僅かに覗く髪は灰色だ。

「そんなものはいい! 早く地下に行きなさい! もし帰り道でオオカミが出たら――」

「はい。こんやオオカミに食べられるかも知れないから、今とどけたんです」

 カエデずきんの素っ気ない言葉に村長は声を詰まらせた。

「今日おくすりを届けないと『のうき』に間に合わないです。村のみなさんがお金をもらえません」

「それはそうだが……」

「あれ、お客様?」

 赤ずきんの片割れ、『バラずきん』が子猫のような足取りで私に近づいた。

 名に負う通り、彼女の頭巾には大小さまざまな薔薇があしらわれている。
 頭巾の隙間から漏れた金髪は毛先が少しだけ曲がっていた。

「うわぁ。猟師さんだ」

 バラずきんの表情は機嫌の良い猫のように明るく、見る者の心を和ませる愛嬌がある。
 カエデずきんとは対照的だ。

「あれ? どうして眉毛が無いの?」

 私を見上げるバラずきんは素直にそう問うた。
 その瞬間、多くの大人たちが聞き耳を立てる気配を感じる。

 私は膝を折り、少女と目の高さを揃えた。

「少し前に怪我をしてね。治療の時に剃ったんだ」

 すっかり剃り落とした眉の上には炭で眉を描いている。
 バラずきんは不思議そうに私を見つめていたが、「ふうん」と呟き、花が咲くように笑った。

「どうして帽子を脱がないの?」

「火事で頭の半分が焼けたからだよ」

 何人かの大人が息を呑んだ。

「ふうん? じゃあ、どうして犬を連れてないの?」

「怪我をして死んでしまったからだよ。今度新しい猟犬を譲ってもらうつもりだ」

「ふーん……」

 バラずきんは片膝をついた私を左右からためつすがめつ眺めていた。
 そして、ふふっと秘密めいた笑みを浮かべる。

「変なの!」

 無邪気な笑み。
 娘に持ったら手を焼きそうな子だ。

「ここに置いておきます」

 カエデずきんは枝細工の籠からひと回り小さな籠を取り出し、テーブルに置いた。
 布が被せてあるため、籠の中身は見えない。

「じゃあ、かえります」

 言葉とは例外なく誰かに向けられたものであるはずなのに、カエデずきんの発するそれは独り言のようだった。
 表情に乏しい少女はちらりと私に目を向けたが、それは床に落ちた食べかすを見る目と同じだった。
 さらりと揺れる灰色の髪を赤頭巾の中にしまい、少女は私に背を向ける。

「カエデずきん。早く他のみんなと一緒に家入るか、地下壕に行きなさい。暗くなったらオオカミが出るぞ」

「しってます」

 カエデずきんの声音に微かな苛立ちが覗いた。

「『言うことを聞かないと魔女にお鼻を剥がされちゃうぞぉ~』」

 耳のように垂れた頭巾の側面を掴み、バラずきんは村長の声真似をして見せた。

「バラずきん!! 冗談を言っている時では――」

「だって、家なんか壊されちゃうじゃん」

 誰かの心臓がどきりと跳ねる音がした。
 バラずきんは朗らかな笑みの中に微かな哀愁を見せる。

「地面の下も去年ダメだって分かったし……逃げるところ無いんだから笑うしかないよ」

 村長と私は同時に口を開きかけたが、バラずきんの方が早かった。

「今日死んじゃうかも知れないから、今笑ってるんだよ? みんなにバラずきんちゃんの笑顔を覚えていて欲しいから」

 部外者である私はもちろん、村長ですら何も言わなかった。いや、言えなかった。
 誰もが黙り込む中、カエデずきんが淡々と言葉を継ぐ。

「いきていたら明日また来ます。だれが死んだのかは、そのときに教えます」

 黒い霧じみた罪悪感がその場に漂う。
 大人たちをその場に残し、二人の赤ずきんは小さな肩を並べて去って行った。

 ややあって、男たちが忘れていた呼吸を取り戻す。

「……あれが赤ずきんです。森に住む『善き魔女』の末裔」

「『善き魔女』?」

「様々な秘薬を作る魔女です。世にも不思議な薬を作り、我々の生活を潤してくれる」

 村長は釘を刺すような目で私を見た。
 口外はするなということだろう。

「オオカミが狙うのもあの子達です。毎年、数人の赤ずきんが犠牲になる」

「……何ですって」

 私の声は上ずっていた。
 今しがた別れた二人はまだ恋も知らないような子供だ。
 あんな年端も行かない子供が獣の餌になるというのか。
 私は思わず身を乗り出していた。

「一年に一度と仰いましたが、まさか……何の対策も打っていないのですか?」

「先ほどバラずきんが言っておったでしょう。オオカミは木造の家など簡単に打ち崩してしまう」

「煉瓦や石造りならどうです」

「とうの昔に試しましたよ。奴は穴を掘って地下から中へ入り込みました」

「では床と天井を密閉してしまえば」

「信じられぬかも知れませんが。オオカミは民家に押し入って火種を奪うことがあります」

「なっ……!」

「あれが出たのはもう何十年も昔のことです。今の我々に思いつくほとんどの方法は試し尽くされている。……ここ五年ほどは地下に蟻の巣状の穴倉を作ってやり過ごしておりましたが、とうとう去年、水を流し込まれました。だいぶ知恵を絞りましたが、今年ばかりはあの子達を護ってやることはできないようです」

 馬鹿な、という思いが過ぎる。
 狼が火種を奪い、地下に水を流し込む。
 そんなことがあるだろうか。

「だったら今すぐあの子たちを連れてどこか遠くへ――――」

「過去には赤ずきんたちを連れ、別の土地へ逃げた者たちもおりました。……ですがそのことごとくが一夜のうちにオオカミに追いつかれ、無残な死を遂げました。海の上でも山の中でも結末は同じです」

 つまり彼らはどうあってもオオカミから逃れることができないのだ。
 いや、彼らではなく赤ずきんだ。赤ずきんはオオカミから逃げられない。

「繰り返しますが、この土地にはオオカミが棲んでおります。……立ち去られた方がよろしい」

「……」

 私は帽子の上から頭に手を置いた。

 一分が経ち、二分が経った。
 私は立ち去らなかった。

 村長の口から呆れの混じった溜息が漏れる。

「……そうですか。まあ、男が食われることはありませんからな。だがあの子らの肉が裂かれ、骨がぽりぽりと噛み砕かれる音はあなたの耳に一生こびりつくでしょう。それでも構わなければどこでも好きな場所に、一年でも二年でも好きなだけお住みになられるとよろしい」

 老人の言葉に耳を傾けつつも、私は思考していた。

「今日を凌げば一年は安寧です。もし赤ずきんが襲われる場に居合わせたとしても、オオカミには決して手を出されぬように。邪魔をすればアレは男も老人も容赦なく襲います」

「――――」  

 私は唇を噛んで幾つかの言葉を飲み込み、それからゆっくりと問うた。

「あなた方は毎年……赤ずきんを見殺しにしているのですか」

「……もし、あなたの目の前に死病に冒されたご友人がいるとして」

 村長はひどくゆっくりと私を睨んだ。

「薬を煎じることのできないあなたに何ができますかね? 優しい言葉を投げかけ、汗を拭いてやるのがせいぜいでしょう? それをあなたは見殺しと呼びますか」

「……」

 淀みない言葉だった。
 自問自答を繰り返さなければこれほどまでに滑らかな言葉は出て来ないはず。
 村長の目にも、男たちの目にも、懊悩の形跡があった。

 だが私は食い下がった。

「子供が死んでいるのでしょう? 指を咥えて見ているつもりですか!?」

「人の死は日常ですよ」

 冷や水のような言葉が顔面に浴びせられた。
 だが私は驚かなかった。

 知っている。
 人は死ぬ。子供とてそれは例外ではない。

 どれほど愛情を注いで育てようが、どれほど金を費やして育てようが、人はある時、虫のようにころりと死ぬ。
 例えばフォークの一突きで。
 例えば流行り病で。
 例えば犬のひと噛み、虫のひと刺しで。

 あるいは。
 武勲を夢見た男たちの手によって。

(……)

 私は老人を見つめたまま、過去の自分が見た風景を幻視していた。

 足の動かない老人を飲み込む炎。
 子供の肉が焦げる匂い。
 娘をかき抱いて死んだ母親に『念のため』刃を入れる男たちの息遣い。

 当時の私はこう考えた。
 仕方がないのだ、と。
 こうでもしなければせっかく遠征した意味が無い、と。



 昔々――いや、十に足らないほんの数年前の出来事だ。
 ある国の、ある土地の、ある軽騎兵の一団が、悪名高い盗賊団を数か月間追跡し、一網打尽にしたことがあった。

 当時の私は野心に溢れ、名誉と利達に飢えていた。
 俗な言い方をすれば、ちやほやされたかった。それも、ありとあらゆる人間に。

 路地裏の物乞い、宿屋の女将、薬屋の親父、馬番の少年に至るまで。
 私の名を口にする時、その声には敬意を込めて欲しかった。
 誰からも指を差され、称賛と羨望の眼差しで見つめられる男になりたかった。
 自分の一言が世間の人々に取り上げられ、社会に小さな波紋を生む。
 自分の行動が注目され、それに学ぶ者、倣う者が現れる。
 羨まれ、愛され、敬われる者になりたい。
 私はその欲望に露ほどの疑問も抱かなかった。

 騎兵になった理由も結局はそれだ。
 国や家名のためではない。
 私は私自身が他人に褒められ、羨まれるために剣を取った。

 だから、捕えた盗賊の犯した罪があまりにも軽微であることに気付いた時は愕然とした。
 彼らはいわゆる義賊であり、鼻つまみの小役人や手に負えない荒くれ者ばかりを狙って略奪行為を働いていた。
 盗賊団は巻き上げた金のほとんどを市民にばら撒き、名士に献上していた。
 裁判にかければ確実に世間の同情を引いてしまうような者ばかり。

 私は仲間と共に唇をわななかせた。
 こんなはずじゃない。こんなはずじゃなかった。
 私たちの名誉はこの盗賊団討伐の遠征で高められ、最高の賛辞を受けるはずだったのだ、と。

 私は焦っていた。
 入隊の時を同じくする友人たちは既に様々な武勲を上げ、名を高めている。
 一刻も早く私もそこへ昇り詰めなければならない。
 だと言うのに、捕まえた相手が義賊だなんて。
 義賊を捕えても大臣や将軍は私を評価しない。それどころか市民の反感を買ったことに対して叱責すら飛ばしかねない。
 このままでは私は誰かを羨む側になってしまう。



 ――――だから。



 だから、彼らの罪状に箔をつけてやることにした。



 村を一つ。
 卑劣な盗賊の襲撃に見せかけて滅ぼした。
 毒を撒いて、火を点けて、刃を振るって。

 神も目を背けるほどの惨劇を生み出しながら、私は自分を納得させた。
 気に病むことはない。
 こんな鄙びた土地に住む人間なんて、生きていたところで大して幸せでもあるまい。いっそ死んで天国に行った方が幸せだ、と。
 それに、どうせこんなちっぽけな村は疫病か不作で遠からず滅びる運命だったのだ、と。
 人の死は日常なのだ、と。


 そして私は名声を手にした。



「……どうされました」

 村長の言葉で私は我に返った。
 視界に広がっていた過去の風景が水面のごとく揺らぎ、みすぼらしい集会所が色彩を取り戻す。

「いえ、別に。……お伺いしたのですが、あなた方はなぜこの土地に住み続けるのですか?」

「赤ずきんの秘薬は珍重されています。あなたには想像もできないほど身分の高い人々がこぞって金を払い、手に入れようとする」

「その金であなた方は働かずに暮らせているわけですか」

 私は銀刺繍の入った村長のチョッキや不自然に艶のある調度品、血色の良い男たちの顔を見ながら鋭く問うた。
 彼らの顔や手に労働の跡は見受けられない。

「逆です。秘薬を作る他に暮らしを成り立たせる術を知らない赤ずきん達を我々が養っている」

 一拍置いて、老人は乾いた息を吐いた。
 干からびた唾液がつんと臭う。

「共存しているのですよ、我々は」

 違う。
 全く、違う。

 共存をうたうのであれば赤ずきんの死を看過できるわけがない。
 彼らにとって赤ずきんは命を賭すに値しないのだ。
 それはもう共存ではない。

 絹を生むかいこでも飼うような感覚で彼らは赤ずきんを『養っている』に違いない。
 それを自覚しているからこそ彼らの心根からは罪悪感が臭うのだ。

「……。罠。毒。剣、銃、弓、大砲。火、水、土砂。やれるだけのことはすべてやりました。だが誰もオオカミを殺すことはできなかった。逆に、大砲すら通さない壁を作っても、奴は必ずそれを破り、中の子達を喰らう」

 私の目に何かを感じ取ったのか、村長は苛立たしそうな早口で告げた。

「あれは毎年この土地を襲う嵐です。嵐に挑むなどバカげたことでしょう?」

 だが、挑まなければ子供が死ぬ。
 ならば挑み続けるしかないだろう。
 大人のために子供が苦しむ社会は例外なく滅ぶ。

 嵐に挑むなどバカげている?
 農民も船乗りも嵐に立ち向かってきた。何十年も、何百年も。
 嵐に見舞われない土地は地震に襲われ、地震に襲われない土地は虫害に見舞われる。
 安寧を約束された人生が無いように、安寧を約束された土地など無い。

 人類の歴史は挫折と再起の繰り返しだ。
 誰かが挫折しているのなら、他の誰かが立ち向かわなければならない。

 私はゆっくりと口唇を開いた。

「……どこでも好きな家に滞在して良い、と仰いましたね」

「ええ。赤ずきんの家でなければどこでも」

「ではあの――――」

 私は鎧戸の向こうに見える建造物を指差した。
 それは地面から生えた人差し指ごとく天へ向かって伸びている。

「『塔』をお借りします」

 この集会所へ来るまでの道中、私は森の中に佇む一つの塔を見つけていた。
 高台から見下ろすと、開けた土地にぽつんと立つ塔は四方を堀に囲まれているようだった。

 私の言葉が男たちの間に波紋を呼んだ。
 鼻白むような囁きの隙間から「魔女だ」「魔女の塔だ」という言葉が漏れ出す。
 村長も肉の薄くなった瞼を持ち上げ、目を見開いていた。

「いかん。あれは昔この辺りの土地に住んでいた悪しき魔女が使っていた塔です。若い娘や歯向かう者を攫っては地下に幽閉し、惨い仕打ちをしていたと記録されております。厳重に封印をしておりますが、中には何があるとも分からない」

「籠城に使ったことは?」

「あるわけがないでしょう。塔の中には処刑された大勢の人間が弔われもせずに――」

 私は思わず鼻で笑った。
 残忍な魔女が住んでいたから中に何があるとも限らない、だと?
 あるのはせいぜい骸骨だろう。
 骸骨はモノだ。モノは人間を殺さない。

「ではまだ残っているということですね。オオカミをやり過ごす方法が」

 老人が言葉を見失い、私は活路を見出す。

「あそこで一晩籠城します。地下室がある造りなら狼がいくら穴を掘っても中には入れない。本当に牛より大きいのなら壁を這い上がることでもできないでしょう」

 うまくやり過ごせたら、と私は続ける。

「腕利きの猟師を集めて山狩りをします。一年あれば確実に仕留めて見せる」

「我々が何年捜索しても見つけることの叶わなかったオオカミを、ですか」

「それが私たちの仕事です」

「しかし……」

「お願いします」

 私は村長の肩を掴んだ。
 筋肉はほとんどついていない。
 さぞ恵まれた暮らしをしてきたのだろう。

「許可をいただきたい。あの塔を使う許可を」

「――――」

 老人の口から呻きのようなものが漏れた。
 それは蚊の鳴くような声ではあったが、紡がれたのは紛れもなく承諾の言葉だった。

「ありがとうございます」

 謝意を告げた私は暮れる夕陽を一度だけ見つめ、踵を返す。
 言質は得た。あとは行動するのみ。

「生きていたら明日の朝、また来ます。オオカミがどうなったかはその時に」

「……酔狂ですな」

 戸口を出たところで私の背に冷えた言葉が投げつけられた。

「見ず知らずの子供相手にどうしてそこまでなさるのです」

 確かに赤ずきん達は見ず知らずの子供だ。
 だが私にとって重要なのは『見ず知らず』ではなく、『子供』の部分だ。
 どんな理由があろうとも、大人が子供を盾にしてはならない。



 ――――いや、違う。


 私はずっとこうした巡り合いを求めていた。



 罪の意識に耐えられなくなった私達は偽装襲撃の一件を白状したが、それは黙殺され、隠蔽された。
 一度授けた名誉を、誤認――いや、虚偽を理由に取り消すことは権威の正統性を毀損しかねない。
 当時の仲間には爵位を授かった者や貴族の子弟も混じっていたため、私たちは断罪を免れた。
 否、断罪を許されなかった。

 私たちは騎兵隊から除名されたが、罪は拭われないままだ。
 仲間たちはふてぶてしく居直る者とひっそりと隠棲する者に二分されたが、やがて示し合わせたように世界を放浪し始めた。

 一人でも多くを救うため、医術を志した者が居た。
 傭兵に身をやつし、死地を求めた者が居た。
 見知らぬ土地で救った女に深く愛され、発狂して死んだ者が居た。
 私たちは己が裁かれるべき場所を求めて世界をさまよった。

 ――――『己が裁かれるべき場所』。
 もちろん、そんなものはない。
 罪が罰で清算されることはない。裁きによって許されることもない。

 分かっている。
 私の罪が許されることはない。
 私は苦役じみた生涯の果てに地獄へ落ちる。

 だがそれでもいい。
 それでもいいから、前へ進みたい。
 生きている限りは、前へ。

 罪人にとっての前進とは、束の間の裁きで心の安寧を得ることではない。罪悪感に打ちひしがれることでも、死んで楽になることでもない。
 前進とは、身命を賭して贖罪をすること。
 残りの人生すべてを注ぎ、命を搾り、誰かを救い、幸せにすること。

 私が求め続けたのは裁きの場ではなく贖いの場だ。
 そしてそれはおそらく、今この時、この場所を置いて他に無い。

 今日、私は贖罪を果たす。
 死に向かう少女達を救い、オオカミを殺すことで。

「……」

 私の瞳に何かを感じ取ったのか、村長は濁った眼球に微かな期待の光を浮かべた。
 だがそれは沼に映る月光のごとく揺らめき、消えた。

「ただの猟師に何ができるのです。騎兵隊気取りですか」

 そう。私は騎兵ではない。
 ただの卑怯者だ。
 だから、何だってやってやる。 

 更に一言、二言を交わし、私は村長に背を向けた。
 毛髪が漏れないよう帽子を深く被る。
 猟銃をしっかりと担ぎ、顎に一本生えていた髭を抜く。

 傾いた夕陽に鼠色の雲が迫っていた。

 私は赤ずきんを追い、集会所を飛び出す。
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