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六人の赤ずきん 作者:icecrepe
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2/17

17:00/誰も知らない雨の赤

 
 死人の手のように冷たく、雨を予感させる風が頬を撫でた。
 さああ、と茅の茂った草むらに波が立つ様は葬儀の参列者が一斉に泣き崩れる光景にも似ていた。

(急げ……!)

 私は夕陽の翳り始めた世界を全力で駆けていた。
 一刻も早く赤ずきん達と合流し、日没と共に現れるオオカミより先に塔へ逃げ込まなければならない。
 籠城は敵の出現に先んじなければ意味が無いのだ。

 走っているうちに並び歩く小さな背中が見えた。
 数は二人。

「待ってくれ!」

 二人の赤ずきん――バラずきんとカエデずきんが振り返る。

「あ、眉毛無い猟師さん」

「……」

 どちらの目にもよそ者に対する警戒心が灯っていた。
 私は彼女達から十歩ほどの距離を保って足を止め、できるだけ声を和らげた。

「今夜オオカミが来るというのは、本当かい?」

「はい」

「怖くないの?」

「こわいです」

 カエデずきんは悲観的な聖職者を思わせる目でじっと私を見上げた。
 愚かな私に真理を説く者の目だ。

「こわいですよ。死ぬのは」

 私の胸中に苛立ちとも怒りともつかぬ感情がこみ上げる。

「逃げようとは思わないのか?」

「私たちがにげたら他のあかずきんが食べられるかくりつがあがります」

 突き付けられた言葉に私は絶句した。
 カエデずきんはなおも淡々と続ける。

「みんなで逃げたらオオカミはおこっておとなを食べるかもしれません。それに、おくすりを作れる赤ずきんがいなくなったら大人の皆さんがこまります」

「……!」

 拳を握る私をバラずきんがしげしげと見つめている。

「ねえねえ。お兄さん、猟師さんだよね?」

 拍車の無いブーツにレギンス、濃緑色のベスト、背中に猟銃。
 彼女の言う通り、私は猟師だ。
 強いて変わったところがあるとすれば羽飾りのついた帽子が少し大きいことぐらいだろうか。
 それに眉毛が無いこと。帽子を脱がないこと。犬を連れていないこと。
 あとは、過去に人間を殺めていること。それも大勢。

「もしかしてオオカミをやっつけに来たの?」

「ああ。そうだよ」

 私が即答するとバラずきんは当惑しながら相方を見やった。
 カエデずきんは凍てついた湖面のごとき目で私を見つめる。

「ばか?」

 馬鹿で結構。
 子供を見捨てるのが賢さなら、私はいくらでも馬鹿になってやる。
 明日の朝、彼女達の亡骸を前に「私は賢い男だった」だなんて思いたくもない。

「どうやっておおかみをやっつけるつもりですか」

「あそこに籠城する」

 塔を指差しながら「籠城」という言葉では難しすぎたか、などとつまらないことを考える。
 バラずきんは鳥のように小首を傾げた。

「魔女の塔に?」

「だめです。あそこは……行っちゃダメな場所だから」

「じゃあどこに行けば君らを助けられるのかな? 壊されると分かっている家かい? それとも、水を流し込まれた地下壕?」

 カエデずきんは黙り込んだが、その沈黙に私はいささかの嬉しさを覚えた。
 彼女達が自分達を本気で生贄だと考えているのなら、私などにべもなくあしらうだろう。
 彼女達は死にたがっているわけではない。
 死にたがっていないのであれば、手を引いてやることができる。

 カエデずきんはようやく、弁解じみた言葉を紡いだ。

「どこにも行くところはありません。だから私たちは」

「死ぬことに正しさは無いよ」

「でも、みんなが困るし……」

「子供は大人を困らせるものだよ」

 そして、困りごとから逃げるような輩は大人ではない。

「食べられた赤ずきんの墓碑があって、村長さんたちは毎年そこに花を添えているのかい? ……違うだろう。君らの死は報われない」

 私はなじるような語調にならないよう細心の注意を払った。
 子供たちは悪意に鈍感だが害意には敏感だ。
 彼女達を咎めたら必ず不信を買う。
 ――不信。
 そんなつまらないもののために、彼女達をみすみす死なせるわけには行かない。

「私と一緒に来てくれ」

「……」

「頼む。君らを助けたい」

 無感動なカエデずきんの表情が微かに揺らいだ。
 凪いだ諦念に慣れていたのだろう。
 哀しさや寂しさ、恐怖といった負の感情が表情筋に漣を立てる。
 小さな唇が開きかけたところでバラずきんが口を挟んだ。

「私達と一緒に来たら、あなたもオオカミに食べられちゃうかもしれないんだよ?」

「理解しているよ」

「嘘」

 バラずきんは小悪魔のような笑みを浮かべた。
 本人は相変わらず天使のつもりなのだろうが、大人の目には小悪魔に映る微笑。

「あなたは私たちのお父さんでもお母さんでもないのに?」

「……」

「見ず知らずの子供のために普通そんなこと、する?」

 する。
 実際に、この目で見た。



 私の運命を変えたあの日、半日後に滅ぶ村に仲間の一人が商人を装って侵入した。
 目的は子供達に毒入りの菓子をばら撒くことだ
 子供達の身に異変が起きれば親が不用意に外出することはないし、いざ襲った時に逃げ足も鈍るからだ。

 だが実際に夜襲をかけてみると、たまたま居合わせた旅人や羊飼いまでもが私たちの前に立ち塞がった。
 彼らは見ず知らずの子供たちのために、確かに悪に立ち向かった。
 そんな人間も少なからず存在する。
 私が殺した者たちは、私よりもずっと立派な人々だった。

(……)

 ――――悪。
 そうだ。私は悪だった。
 悪人になんてなるつもりはなかったのに。
 それどころか、誰かを傷つけるつもりすらなかったのに。
 ただ皆に愛され、敬われ、褒められたかっただけなのに、気づけば私は悪人になっていた。

 余計な労力を使う羽目になった仲間たちはバラずきんと同じ問い――いや、嘲りを彼らの死体に投げつけた。
 どうして見ず知らずの他人にそこまでするんだ、と。
 バカじゃないのか、と。

 今なら分かる。
 どうしても何も無い。
 子供を護るというのは人間に本来的に備わった衝動なのだと。
 子供を護らない人間は昆虫と同じだ。

 私は――――



「どうして泣きそうなの?」

 いつの間にか私のすぐ傍でバラずきんがこちらを見上げていた。
 彼女の目は明るい青で、輝いているようにも見えた。

「何かいけないことをしたの?」

「!」

「悪いことをしたから、私たちを助けてくれるの?」

 バラずきんの視線はやじりのように鋭い。
 己の命を預けるに足るか、私を試している目だ。
 この目に嘘はつけない。

「……ああ。そうだよ」

 罪滅ぼしのために君たちを助けたい。
 そんな言葉が子供たちにどんな感情をもたらすのか、確信は持てなかった。
 軽蔑されるだろうか。問い詰められるだろうか。
 それとも――――

「この人と一緒に行こう、カエデずきん」

 バラずきんはスカートの裾を翻していた。

「バラずきん……でも……」

「もう他にできること、ないじゃん。私の『お薬』を使っても、結局オオカミにバレちゃうんだし」

 彼女は私に背を向け、「それに」と続けた。

「……もう、疲れちゃったから」

 何に、とは聞けなかった。
 子供達は我々が思っているよりも早く大人になる。
 大人になるとは自らの稼ぎを自ら得るようになることでも、複雑な社会の仕組みとその手続きを理解することでもない。

 バラずきんは私を振り返った。
 そこには笑みがあった。
 幼い顔に刻まれた失望の傷痕を塗り潰すような強い笑みが。

「この人のこと、信じてみよう?」

 カエデずきんはしばしの沈黙を経て、こくんと頷いた。
 彼女の手籠には手の平ほどの丸い貝殻が重なっていた。

 バラずきんは「ねえ」と私の腕を取った。

「私のこと……見捨てないでね?」

 私は強く頷いた。







 水車の回る粉挽き小屋を通り抜け、雄鶏がたむろする柵を通り過ぎる。
 大きなパン生地をこねていた母娘が胡散臭そうな目で私を見送り、石段に腰かけた老婆が痰を吐いた。
 赤ずきん達に声をかける者はいなかった。
 縁起が悪いとでも思っているのか。

「リンゴずきん、リンゴずきーん」

 バラずきんが小さな家の戸を叩く。
 戸口には看板が立っていたが、ひどい癖字で何と書いてあるのか分からない。
 カエデずきんによると「リンゴずきんのきんの家と書いてあります」とのこと。
 やはりこの子達は読み書きに不自由しているらしい。

「はい……?」

「!」

 のそっと姿を見せたのは気弱そうな少女だった。
 少女とは形容しつつも、驚くほど背が高い。
 目の高さが私とほとんど変わらないのだ。

「あの、どなた……ですか?」

 少女の出で立ちは他の二人と同じ『赤ずきん』だが、リンゴずきんは背中に燕尾型のマントを棚引かせていた。
 赤い頭巾は肩までしか届いていないが、透けた乳白色のマントは膝裏までもを覆っている。
 遠目に視れば彼女は確かにリンゴの切り身のようにも見えるのだろう。
 頭巾から覗く髪は淡い砂色だった。

「リンゴちゃん。ここ、ここ」

 ぴょこぴょこと跳ねるバラずきんが自分の存在を誇示すると、リンゴずきんは視線を下へ向けた。

「バラずきん。どうしたの?」

 と、リンゴずきんは思い出したようにきょろきょろと辺りを見回した。
 明らかな怯えを見せた少女は脅すように囁く。

「もうすぐオオカミが来ちゃうよ……!」

「この人が助けてくれるんだって」

「助ける……?」

 バラずきんに続いてリンゴずきんが私を見た。
 気弱な表情とは裏腹に、思わずどきりとするほどの真剣な目つき。
 好んで気弱に育ったわけではないのだろう。

「魔女の塔に『ろうじょう』するんだって!」

 バラずきんの一言でリンゴずきんは見る見る顔を強張らせた。

「っ。だめ。魔女の塔に入っちゃだめ……」

 二人の赤ずきんの母親ほどの背丈があるリンゴずきんは真正面から私の瞳を見据えた。

「あそこには死んだ人がたくさんいるって聞きました」

「死人の仲間になるぐらいなら死人と一晩過ごした方がマシだよ」

「っ。でも、魔女の塔には入れません。扉にはかんぬきが下りてるし、トゲトゲの草がたくさん生えてます」

 トゲトゲの草。
 おそらくいばらのことだろう。
 あの手の植物は至る所で増殖し、人の通行を妨げる。

 だが私は猟師だ。茨ぐらいで足が止まることはない。
 山刀を鞘から少しだけ抜くとリンゴずきんは口を噤んだ。
 幾多の獣の血と脂と吸った刃はおどろおどろしく光っている。

「草なんか刈ればいい。扉は――」

「扉はザクロずきんがどうにかしてくれるとおもいます」

 口を挟んだカエデずきんは無感動な顔を微かに紅潮させていた。

「リンゴずきん。いっしょにいきましょう」

「でも……」

「行こうよリンゴちゃん」

「ん……」

 バラずきんとカエデずきんに左右から揺さぶられ、リンゴずきんは困惑していた。
 大きな体の割に気が小さいらしい。

「おいで。ここに居てもオオカミを待つだけなんだろう?」

「……」

 リンゴずきんは少し悩んだ末に手籠を抱えて私に従った。
 その足取りは弱々しく、籠には小さなリンゴが詰まっていた。









 私に一つ誤算があったとすれば、それは彼女達の足の遅さだ。
 私一人ならいくらでも走れるし、急ぐこともできるが、少女を連れたまま全速力を維持することはできない。
 台車でも持ってくれば良かったか、などと考えながら夕陽を見る。

(まだ余裕はあるが……)

「ねえねえ。時間、まだある?」

 バラずきんが服の裾を引く。
 先ほどまでは小走りだったが、疲れたのか足を引きずっている。

「できればもうちょっとお薬の材料が欲しいなーって」

「お薬?」

「そう。だから私の家に――」

「ダメです。のんびりしてたら他のあかずきんを見つけられなくなります」

 カエデずきんは素っ気ない。
 気の小さいリンゴずきんはどちらに賛成することもできず、困惑の笑みを浮かべている。

「えー。私の可愛いおうち、見せてあげたかったのに」

「おうち?」

 バラずきんは目を輝かせた。

「そう! 私のおうちは――」

「忘れたんですか、バラずきん。サルビアずきんはいまのあなたみたいに薬をたくさん準備しようとして食べられました」

 軽口を黙らせるには十分すぎるほどの一言。
 バラずきんがまるで殴られたかのように口を噤む。

「もうあんなのを見るのはごめんです」

「……人が死ぬところを見たのかい?」

「はい」

 カエデずきんはちらと私を見上げた。
 頭巾から灰色の髪が覗く。

「そのときは七人でした。みんなで地下に隠れていたんですが、オオカミをやっつけようってみんなが言い出して。わたしもいっしょにいきました」

 でも、と彼女は続ける。

「だめでした。いちばん賢いサルビアずきんが薬をたくさん作ろうとしたんですが、そこにオオカミがきました。オオカミはみんなをむしゃむしゃ食べました。カブずきん、サンゴずきん、ブドウずきん、みんな食べられました」

「待った。……見ただけじゃなく居合わせたのか? どうやって助かったんだ?」

「とけいの中にかくれました」

「時計?」

「はい。私が一番小さかったので、とけいの中に隠れられたんです。だからオオカミに――」

 矢庭に、カエデずきんが服の裾を引いた。

「……ザクロずきんです」

 私は通りの向こうに一人の少女を認めていた。
 リンゴずきんほどではないが、彼女もまた背の高い赤ずきんだった。
 ただ背が高いだけでなく、佇まいに年長者らしい風格がある。
 彼女はちょうど一軒の家から出て来るところだった。

「あら、カエデずきん」

 こちらに気付いたザクロずきんはとろみのある声で少女の名を呼んだ。

 彼女の頭巾は短く、焦げ茶色の長い髪が背中まで伸びていた。
 髪のあちこちに小さな赤い粒が添えられており、一粒一粒が細い金の鎖で繋がれているようだった。
 胸元は少しだけ開かれており、その谷間に金色のカエルを模したスカーフ留めがあしらわれている。
 カエル。なぜカエルなのだろうか。

(――!)

 私は危ういところで少女の胸元から視線を剥がした。

「どうしたの、こんなところで。それにそんな人数で」

「この人が」カエデずきんは無造作に私を指差す。「オオカミから護ってくれるそうです」

 ザクロずきんは私に冷笑を向ける。
 諦観寄りの達観が彼女を何歳も年上に見せていた。

「できるわけがないでしょう。今までどれほどの連中が何度同じことをやろうとしたか」

「今まで君を助けようとした人達はあの塔を使ったかい?」

 俺が塔を指差すとザクロずきんは微かに目を細めた。

「『お姫様の塔』に篭るの?」

(お姫様の塔?)

 私は疑念を抱いたが、塔の呼称なんてささいな問題だ。

「ああ。あそこに籠城する」

 ザクロずきんの唇から冷笑が消えることは無かった。

「よその土地で同じことをした人たちの末路はご存知?」

「何?」

「全滅したそうよ。跳ね橋を上げて、鉄柵を下ろして、弓矢と大砲を準備しても、結局オオカミが赤ずきんを――――」

 背後の三人が竦み上がるのに気付いてか、ザクロずきんは語尾を濁した。

「……もういいでしょう。最後の夜になるかも知れないんだから、好きなように過ごさせてくださいます?」

 ザクロずきんは私に背を向けた。

(……)

 私は彼女が出て来た家に目を向ける。
 扉は固く閉ざされているが、その窓辺に男の姿が過ぎったような気がした。
 よく見れば少女の髪は櫛を入れたばかりのように不自然に整っている。香水の匂いも妙に濃い。
 どうやら彼女は死の恐怖と苦痛を快楽で帳消しにするつもりらしい。

「君は……死にたいのか」

「死にたくはないけれど、悪あがきをしてまでしがみつきたい人生でもないですから。だったらせめて、ねえ?」

 私はカエデずきん達の問うような視線を感じていた。
 分かっている。
 例外を作るつもりはない。
 一人でも例外を許せば結束しかけたカエデずきん、バラずきん、リンゴずきんの三人まで散り散りになる恐れがある。

「バラずきん」

「なに?」

「赤ずきんは六人いる。間違いないな?」

「うん。そうだけど……」

 私は立ち去ろうとしていたザクロずきんに近づき、耳元に口を寄せた。
 子供には聞かれたくない。
 こうした所作や会話に慣れているのか、彼女は素直に耳を貸す。

「六人のうち、最低三人は私が塔へ連れて行く。もし私達が一時的にでも籠城を成功させたら、賢いオオカミは狙いやすい方へ向かう」 

「そうね。……何、それって脅してるつもり? 籠城に参加しなければここに残った私が……。……」

 私の意図に気付き、ザクロずきんが凍り付く。

「そうだ。残るのは君だけじゃないかも知れない」

「……」

「私はこれから残りの二人にも会いに行くが、君が残ると知ったら、君と一緒に残りたいと言い出す赤ずきんが出るかも知れない」

 私は自分の卑劣さを自覚していた。
 こんなやり方で彼女を助けたかったわけではない。
 できれば彼女の生きようとする意思に呼応したかった。

 だが他に彼女を説得する術が無いのであれば、手段は選ばない。
 私は卑怯者だ。
 ザクロずきんには気の毒だが、彼女には生き延びてもらう。

「『全員一緒なら』襲われて死ぬ確率は六分の一だ。だが君と、君を助けようとする子だけが別行動をするのなら、そちらだけ死ぬ確率が跳ね上がる」

「……!」

 君がどうしても死にたいのなら止めはしない。
 が、君を想って残る子が出たら彼女は確実に巻き添えを食うぞ。
 もしかしたら籠城した後に君が気がかりだと飛び出す子だっているかも知れない。
 君は自分より年下の赤ずきんを巻き込むような死に方を選ぶのか。

 そうした私の汚らしい考えを、聡い彼女は一瞬で読み取った。
 ザクロずきんは青白く変色するほどきつく唇を噛んだ。

「……あなた……最低……!」

 知っている。私は最低だ。
 別に思い出させてくれなくてもいい。

「ねーねー。どうなったの?」

 バラずきんが私の背後からひょこひょこと左右に顔を出し、ザクロずきんの顔色を窺おうとする。
 ザクロずきんは気丈にも笑みを浮かべていた。

「ぇ、と……」

「一緒に来てくれるそうだよ」

 私はバラずきんに柔和な笑みを向け、低い声をザクロずきんに向ける。

「急いでくれ。日が暮れる」

 ザクロずきんは憎々しげな表情を浮かべた。
 が、結局そのまま私の後ろについて来た。
 彼女の手籠には小さな革の水筒が詰まっている。











 ルビーずきんの工房は村の中ほどにあった。
 薬を作るだけでなく、手製の枝細工を売るという彼女の家には籠や食器が並べられている。
 少女がこしらえたとは思えないほどしっかりした作りだが、付けられた値は驚くほど安い。
 対価を得るためではなく、奉仕の心で作っているのだろう。あるいは使命感か。

「どちらさまでしょうか」

 誰何すいかの声に不安の色は無かった。
 紫色の空の下、籠の一つを片付けていた小柄な赤ずきんが顔を上げる。背丈はカエデずきんとほとんど変わらない。つまり小柄だ。

 ルビーずきんは長い黒髪の持ち主だった。
 腰には見事な剣が吊るされているが、彼女自身が小柄なせいで切っ先が地面を擦っている。
 長剣の柄には大きなルビーが一つ。
 頭にはなぜか刺々しいいばらの冠が乗っている。

「もしかして外からいらっしゃいましたか? 今夜はオオカミが来ますから、お帰りになった方が良いですよ」

 定規でも入っているのではないかと思う程背筋を伸ばした少女が私を見上げる。
 剣を携えた姿と堅苦しい口ぶりはまるで騎兵のようだった。
 が、いかんせん幼すぎる。これでは『こども騎兵』だ。

「もし商品が必要でしたら……。……?」

 ルビーずきんはひょこっと私越しに背後を見やり、吃驚する。

「ど、どうしたんですか皆さん! 今日はオオカミが来る夜なのに!」

 あれ、あれ、と彼女は辺りを見回した。

「まだ日は暮れてませんよね? 血みどろずきんも迎えに来てませんし……」

「落ち着いて聞いて欲しい」

 事情を端的に伝えると彼女はまごついた。
 真面目な子が困る姿は見ているだけで心苦しい。

「籠城してオオカミをやり過ごす、ですか?」

「やってみる価値はあると思う。君も来てくれないか?」

 ルビーずきんはもの言いたげな沈黙に耽った。
 了解を求めるような上目遣いに気付いた私は続きを促す。

「騎兵の方々ですらオオカミは斃せませんでした。猟師のあなたに勝ち目があるとは思えません」

「勝たなくていい。少なくとも今夜は」

「どういうことです?」

「真正面から挑むから返り討ちにされるんだ。今夜は籠城に徹する。殺すのはその後だ」

 オオカミは一年の残りをどのように過ごしているのだろう。
 何を食べ、どこで眠り、どんな風に子育てをするのだろうか。
 悪さをするのはこの土地だけだろうか。
 毛はどういう周期で生え変わるのだろうか。
 それを調べた者はいるのだろうか。
 ――いや、おそらくいない。

 オオカミを殺すのは今夜ではない。
 奴が安寧に沈んでいる時。糞をしている時。雌とまぐわっている時。
 今夜は耐える。ただ守勢に徹する。
 攻勢に転じるのは夜明けからだ。

 オオカミと赤ずきんの話をすれば猟師の仲間はまさに群狼のごとく集まってくれるだろう。
 野山を駆ける猟師を悪しざまに語る者は絶えないが、彼らは基本的に善良だ。
 経験上、善悪を語らない者はおおむね善人だ。

 木の根についた爪痕を探り、葉にこびりついた毛玉を掬う。
 落ちた糞をばらすことで空腹の度合いと給水状態を知る。
 歩幅と足跡の深さから感情を知る。
 水を飲む頻度で思考を知る。
 私たち猟師ならどこまでも奴を追跡できる。犬のように。

 奴の餌場を荒らし、水場を汚す。
 奴の縄張りにこれ見よがしに踏み入り、人間が来たことを知らせる。猟犬をうろつかせ、枝を折り、葉を散らす。
 休みなく責め立てる。休みなく。
 どんな怪物も長期間に渡って追跡され、突け狙われれば必ず疲弊する。

 私たちは騎兵ではない。オオカミと決闘するつもりは無い。
 暗がりの中、疲れ切った奴を殺す。

「――――」

 こうした話を滔々と語って聞かせると、生真面目そうなルビーずきんはじっと聞き入っていた。

「……分かりました」

 ぴっと少女は脚を揃え、剣を掲げた。
 剣の重みで多少身が揺らいでいる。

「このルビーずきん、猟師様とご一緒する所存です」

 騎兵じみた所作。
 私は猟銃で同じ仕草を返そうとして、気づく。
 私はもはや騎兵などではない。

 と、黒髪の少女の視線が私を通り過ぎ、後方へ。
 そこには急ぎ足でここまで来たことで肩を上下させている赤ずきんの一団。

「ぅ。ザクロずきん……」

 ルビーずきんの表情が曇った。
 一方のザクロずきんは皮肉っぽい笑みを浮かべ、ジャムのようにねっとりした言葉を吐く。

「ごめんなさいねえ、私が居て」

「いえ、別にそういうことでは」

 ルビーずきんはもにょもにょと語尾を濁らせる。どうやら仲が悪いらしい。
 頼むから諍いを持ち込んでくれるな、と目線でザクロずきんに釘を刺す。
 彼女は小さく鼻を鳴らした。

「……これで五人。行くなら早くしましょ」

 ルビーずきんは薬指ほどの大きさの香水瓶を手籠に詰め込んでいた。
 それにしても、とザクロずきんが呟く。

「オオカミが来る日に雨が降るなんて初めてね」

「はい。はじめてだとおもいます」

「……大丈夫でしょうか。雨が降ったら音が聞こえなくなっちゃいます」

「大丈夫だよ、猟師さんがいるもん!」

 誰もが濁った空を見上げる。
 雲に覆われつつある夕陽が、化け物の目のように見えた。



 遠吠えが聞こえた。



「!!」

「うひっ!」
「ひゅっ!」

 背の高いリンゴずきんと小さなバラずきんが同時に私にしがみつく。ほとんど挟まれるような格好だ。
 私は速やかに猟銃を構え、周囲に目を凝らした。

(……!)

 右。
 左、右。
 背後。
 右。
 ――左。

 辺りにはルビーずきんの工房と、特徴の無い草地が広がるばかりだ。
 高低差が無く、遮蔽物の少ない平地。
 ここで襲われたら逃げ場が無い。

 アォォン、と。
 また遠吠えが聞こえた。

 巨大な狼だと聞いていたが、ずいぶん可愛らしい声で鳴くものだ。
 そんなことを考えているとやや呆れた様子のカエデずきんと目が合う。

「今のはふつうのおおかみです」

「そうか。……二人とも、今のような時はせめて私の後ろに立ちなさい」

 私が銃を下ろすと、リンゴずきんとバラずきんはばつが悪そうに身を離した。
 バラずきんはともかく、リンゴずきんにしがみつかれると身が傾いでしまう。

「この辺りには普通の狼もいるのかい?」

「はい。普段は臆病ですけど、オオカミが出る夜は騒がしくなるんです」

 生真面目なルビーずきんはじっと私を見つめる。

「でもオオカミのおこぼれを狙っているようには見えない、って村長さんたちは言ってました」

「……?」

「普通、オオカミが出て来る時はばーっと鳥が飛び立ったり、ネズミが逃げ出したりするんです。でも小さい狼はなぜか寄って来るんです。不思議ですよね」

「お喋りは終わった?」

 ザクロずきんの言葉には嘲りが混じっていた。

「小さな狼一匹でこの騒ぎだなんて、本当、安心して命を預けられそうね?」

 私は少女達を庇いつつ、早足で先を急いだ。



 アォォ、ァぉぉ、という狼の鳴き声は止むことが無かった。
 そしてどういうわけかそれは、私たちの進む先から聞こえてくる。



 声の在り処に近づくにつれ、妖艶なザクロずきんと無口なカエデずきんが何とも言えない溜息を漏らした。
 気弱なリンゴずきんは曖昧な笑みを浮かべ、生真面目なルビーずきんは困惑している。

「あの、この先って……」

「るびーずきんは聞いたことが無かったんですね」

 アォォ、ァぉぉ、と鳴き声が続く。

「あれは―――――」

「あ~~~~~!!」

 バラずきんが人の手を離れたウサギのように駆け出した。
 その先には一人の赤ずきんの姿が見える。

「血みどろちゃ~~~~ん!」

 ぴょんと六人目の赤ずきんに飛びついたバラずきんは、そのまま姉妹のようにじゃれ合った。
 カエデずきんが失望と困惑の入り混じった表情を見せる。

「やっぱり血みどろずきんでしたか」

「……まさかさっきの鳴き声は」

「たぶんあの子ね」

 ザクロずきんの口元にも苦々しいものが浮かんでいる。
 と、バラずきんとはしゃいでいた最後の赤ずきんが私たちに気付く。

「あら、みんな」

 血みどろずきんの髪は艶やかな黒だった。
 どういった理由なのかは分からないが毛髪の光沢は深い紅色で、その色味を直視した私はぞわりと鳥肌が立つのを感じた。
 彼女の頭巾は他の誰よりも赤黒く、濡れたような艶がある。

 長い黒髪を耳元で編み込んだ血みどろずきんは驚くほど色白で、ほっそりとした肢体の持ち主だった。
 年齢はザクロずきんに近いようだが、その超然とした佇まいは十代の少女には見えない。
 まるで何十年も生きた魔女が気まぐれに少女の姿を取ったかのような。

「どうしたの、みんな揃って」

 血みどろずきんは人懐っこい笑みを見せた。
 ――――『見せた』。
 心の底から笑っているわけではない。

 にこにこと笑う少女は私の姿を見、それから赤ずきん達を順に見回した。
 瞳の色は血と同じ色だ。赤と黒の中間色。

 ああ、と一人納得するような声を上げた血みどろずきんは薄笑みに嬉しさを滲ませた。

「もしかして今夜はみんなで塔に行くの?」

(……!)

 思いがけない言葉が動揺を生んだ。
 赤ずきん達は敵の接近を察知したヤギのようにぴくりぴくりと反応する。
 ある者は頭巾を押さえ、ある者は俯き、ある者はごにょごにょと口の中で言葉を砕いた。

(何だこの子は……?)

「血みどろずきん」

 カエデずきんが一歩踏み出した。
 今までと違って彼女の声に頼むような響きは無い。
 彼女は懇願しているようにも見えた。

「一緒に……来てくれませんか?」

 ふふ、と血みどろずきんは私を見つめた。
 吸い込まれるような瞳。目もくらむほど白い肌。
 不覚にもめまいを覚える。

「塔に行くのはやめておいた方が良いと思いますよ?」

「……どうして?」

 うわ言のように問うた私は、血みどろずきんの唇を見つめていた。
 軟体動物のように蠢く唇が言葉を紡ぐ。



「今夜、たぶんみんな死ぬから」


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