POPなポイントを3行で
- 全米で大ヒットしたマーベル初の黒人ヒーロー『ブラックパンサー』
- ワカンダという国家やキルモンガーの出生が語る、黒人の歴史
- 王でありヒーローであるために、国王ティ・チャラがくだした決断
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(C)Marvel Studios 2018 MARVEL-JAPAN.JP/blackpanther
3月1日より公開されている映画『ブラックパンサー』。10年にわたってシリーズを展開してきたマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)の18作目にあたるスーパーヒーロー映画である。
物語の主人公はアフリカの小国ワカンダの若き国王であるティ・チャラ。先王の死を受けて新たな国王となった彼は、ワカンダ王が代々受け継いできたクロヒョウの戦士「ブラックパンサー」の座も引き継ぐ。
『ブラックパンサー』は、準備ができていないまま国王となったティ・チャラが、ワカンダに降りかかった危機を乗り越えつつ新たな王として己を確立していくまでを描いた作品である。
しかし、『ブラックパンサー』は単にヒーローの誕生だけを描いた作品ではない。そこにはアフリカと黒人たちが辿ってきた様々な歴史的経緯と現実世界に対する問題提起が何重にも織り込まれ、ブラックカルチャーをも劇中に取り入れた非常に豊かな映画として仕上がっているのだ。
※本稿では、本編の一部ネタバレを含みます
文:しげる 編集:新見直
武器を西アフリカに売り、その対価として西アフリカから奴隷を新大陸に販売、さらに新大陸からは砂糖やタバコを購入するという三角貿易は莫大な富を生んだ。一方「人間を売る」という究極の商売を行った西アフリカ諸国は荒廃し、これが後に西欧列強によるアフリカの植民地化を引き起こす。
こうしてアメリカに連れてこられたアフリカ人の末裔であるアフリカ系アメリカ人にとって、自らのルーツは巨大な空白となっている。
例えば日本人であれば、家系図がなくても「数十世代前の先祖もおそらく日本のどこかに住んでいただろう」という想像はつく。しかし、アフリカ系アメリカ人には、「わずか2、300年以上前の自らのルーツがわからない」という事態が発生しているのだ。
さらに、アフリカは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、大陸全体が欧米列強によってほぼ完全に植民地化されている。この状況は第二次大戦が集結しヨーロッパの国々が植民地運営能力を失い、なおかつアフリカ人自身による独立運動が発生するまで続いた。
その間に起こっていたのが、アフリカの資源の簒奪だ。特にダイヤモンドといった地下資源は「産出されるエリアが限られる」という点で長年紛争の火種であり、同時に西洋諸国の植民地運営における大きな利益にもなった。そのため、アフリカ人は長年、自分たちの土地から出る資源を自分たちの手に収めることができなかったのである。
つまり、アフリカ系アメリカ人にとっては、自らのルーツはぼんやりと巨大な「アフリカ」しかない上に、そのルーツすら19世紀には白人たちによって植民地として分割統治され、その土地から出る資源を全て奪われてしまうという状況があった。
例えばアフリカの中で植民化を免れ独立を守ったエチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ1世がいまだにブラックカルチャーの中でリスペクトされ、特に1966年のジャマイカ訪問によってレゲエなどの音楽文化に多大な影響を与えたのも当然なのである(ハイレ・セラシエ1世の幼名であるラス・タファリはレゲエの国・ジャマイカの重要な思想運動「ラスタ」の語源である)。
宇宙からもたらされた超金属ヴィブラニウムによって世界水準から数世代先を進む文明を築き、しかも対外的には貧しい小国を装うことで半ば鎖国のようにして独立を保つ……。故郷を失ったアフリカ系アメリカ人にとっては、相当魅力的な設定であろうことは想像に難くない。
つまり、ここで描かれているのは、略奪を受けることなく故郷のルーツを失うことのなかった黒人の文化、“あり得たかもしれない“黒人の歴史だとも言える。
さらに言えば、そのヴィブラニウムを強奪するためにワカンダに潜入するのが"白人の武器商人"であるユリシーズ・クロウだというのも重要だろう。白人がつくった武器はアフリカの奴隷貿易の根幹を支えたアイテムであり、「アフリカの鉱物資源を狙う白人」という図式は19世紀以来の植民地支配の歴史を想起させる。
「ブラックパンサー」本編クリップ
また、クロウ自身が組織に所属しないフリーランサーであり金で動くヴィラン(悪役)であることは、戦後ローデシアやコンゴなどの紛争で大量にアフリカへと流入した白人傭兵を意識した設定と考えられる。
クロウを演じたアンディ・サーキスの顔は、コンゴ動乱で活躍した有名な傭兵マイク・ホアーに少し似た愛嬌があると思うのだが、これはさすがに穿ち過ぎかもしれない。
当時のマーベル・コミックスがこの事情を知らなかったわけはないが、その一方で初期のブラックパンサーはそこまで政治性を打ち出したキャラクターではなかった。あくまで当時のコミックはまず子供が読むものであり、そこにいきなり差別問題を持ち込まないことはマーベルのライターたちの良識であった。
同じ名前を持つブラックパンサー党が結成されたのも同時期だ。ブラックパンサー党は過激な主張と活動内容で知られ、黒人に対して武装や暴力革命を呼びかけた。また、貧困層の児童に対する食事の給付や治療費のかからない病院なども建設。共産主義的な黒人同士の相互扶助組織という一面もある。
このブラックパンサー党が結成されたのが、カリフォルニア州オークランドである。映画『ブラックパンサー』の物語が1992年のオークランドから始まることは、決して偶然ではない。
1992年はロサンゼルス暴動が起こった年でもあり、劇中にちらっと映るテレビでもこの暴動の映像が流れている。この暴動はスピード違反の取り締まりから逃走した黒人青年ロドニー・キング(強盗罪で逮捕され仮釈放中の身だった)に対する白人警官による暴行に端を発する。
公民権法成立から長い時間が経っても差別は消えていないことを示す事件の起こった年に、黒人たちが武装闘争を目的とした扶助組織を結成した地で、『ブラックパンサー』と名付けられた物語が始まる。
『ブラックパンサー』は冒頭の時点で、アメリカ国内での人種問題に対し何重にも目配せを行なっているのだ。
その部分を感じさせるのが、本作のサウンドトラックだ。現在において最も重要なラッパーであるケンドリック・ラマーをはじめ多数のアーティストが参加していることで話題になった。
劇伴自体もアフリカの民族音楽とトラップといった近年のダンスミュージックを組み合わせた、非常に洗練されたものである。更に言えば、『ブラックパンサー』においてヒップホップがフィーチャーされるのには必然性がある。
「ブラックパンサー」ケンドリック・ラマー&ザ・ウィークエンド “Pray For Me”
そもそもヒップホップ自体がニューヨークのブロンクスに住む黒人によって組み立てられてきた文化である。当然ながら公民権運動に対する意識も高く、わかりやすいところではブギー・ダウン・プロダクションがカービン銃を手に窓の外を覗くマルコムXの有名な写真をジャケットでサンプリングしている例(ちなみにこの写真は2010年にシンガーであるビラルによってもサンプリングされている)や、パブリック・エナミーのリリックなどが挙げられるだろう。また、アフリカ・バンバータによるズールー・ネイションなど「ミュージシャンが運営した黒人の相互扶助組織」も存在する。
また、最近日本でも伝記映画『オール・アイズ・オン・ミー』が公開されたラッパー、2PACがデジタル・アンダーグラウンド時代に本拠地としていたのもオークランドである。彼の母親であるアフェニ・シャクールは筋金入りのブラックパンサー党員であり、その周囲の親族にもこの党の活動家が何人もいた。
『ブラックパンサー』の冒頭とラストの舞台がオークランドであることはブラックパンサー党結成の地である点を意識してのことだろうが、1992年と言えば2PACはまだオークランドに住んでいたはず。その年にワカンダの先王ティ・チャカがオークランドを訪れていたというのは、なかなか面白い一致である。
そもそも、コミックではキルモンガーの生まれはワカンダである。キルモンガーの父とユリシーズ・クロウが犯した罪によって家族揃ってワカンダから追放され、それを恨んでブラックパンサーに復讐を誓ったというキャラクターだ。
対して映画ではワカンダ生まれの父親によってオークランドで育てられたという設定になっており、出生地が大きく異なる。映画でのキルモンガーは「父親に父祖の地であるワカンダについて聞かされ、それに憧れていた」というキャラクターであり、その目線は「祖先のルーツであるアフリカ」に憧憬のまなざしを向けるアフリカ系アメリカ人たちと重なる。
キルモンガーは成長してから軍に入隊。SEALsに所属して数々の作戦に従事し、後に大学で高等教育を受けた。この設定からは、キルモンガーは近年問題になっている経済的徴兵制の被害者であることが透けて見える。
アメリカは現在徴兵制を敷いておらず、軍はリクルート活動に力を入れる。その大きなターゲットとなっているのが、中西部や南部に住む低所得者、ならびに有色人種などのマイノリティだ。
軍のリクルーターは大学への学費や自費では行けないような世界各地への駐屯、愛国心を高めて周囲の人々から尊敬される仕事に就ける点を推し、これらの人々を勧誘する。そもそも富裕層は学費目当てに入隊する必要などないため、これが経済格差を前提とした新しい形の徴兵制ではないかと批判も招いている。キルモンガーのキャラクターは、長引く中東での戦争で浮き上がってきたこの問題を、如実に反映したものと言えるだろう。
さらに、ワカンダへと戻ったキルモンガーが実権を掌握するためにとった手段が、クーデターと分割統治だったこともポイントである。両方とも西洋諸国が戦後アフリカで繰り返しては混乱を招いてきた手法であり、またアメリカに限って言えばCIAは同様のことをラテンアメリカ各国で繰り返してきた。アフリカ系アメリカ人が自らのルーツに戻り、実験を握るためにとった手段が、白人の簒奪者たちと同じだった。これほど皮肉に満ちた寓話があるだろうか。
劇中、ブラックパンサー継承の儀式で口にするワカンダで産出されるハーブの力で、若き王ティ・チャラはアフリカの大地の上で父祖の霊に出会うことができた。しかしキルモンガーは、同じハーブを服用しても生まれ育ったオークランドのアパートにしか戻ることはできない。ワカンダの王の器として、どちらがふさわしいかは明白である。
しかし、その明白さこそが大きな悲しみでもある。キルモンガーは故郷を失い、いまだに貧困がつきまとう多くのアフリカ系アメリカ人の代弁者だ。『ブラックパンサー』がキルモンガーというキャラクターを通して語ろうとしていることはあまりにも多く、そして重い。

キルモンガーの怒りの矛先もこの部分にあった。オークランドだけではなくアメリカ全土、さらに世界中でアフリカから強制的に連れ出された人々の末裔が苦しんでいるのに、ワカンダ人だけが父祖の地でのうのうと暮らしている。貧困の中で育ち軍務に就いてきたマイノリティであるキルモンガーからすると、どうしても現在のワカンダの姿勢を許すことができなかった。
「苦しんでいる隣人を放っておいて、自分の国だけが安定していればそれでいいのか?」という『ブラックパンサー』の問いかけは、そのまま今の現実世界に対して向けられたものである。
これは現在の難民問題や移民排斥に対する問題提起だろう。シリアやイラク、アフガニスタンなど中東や中央アジアから流出する難民に対し、先進国が門戸を閉ざしたり国内で移民の排斥に走る様は、近年になって数多く見受けられる。日本も例外ではない。
ワカンダが超文明を築くことができたのは、単にヴィブラニウムが産出されたからにすぎない。なのにその恩恵を独占するのか、同胞に顔向けできるのか、というキルモンガーの問いかけは、そのまま映画を見ている我々に向けられたものである。
Kendrick Lamar, SZA - All The Stars
その問いに対しティ・チャラが最後に取った選択は、『ブラックパンサー』の製作者たちが示す未来への展望だ。また、ティ・チャラがその選択を世界に発表する場面で、いまだに残るアフリカへの差別感情をさらっと描写する点も抜群のバランス感覚である。
いささか理想的すぎる結論に至って『ブラックパンサー』は終わるが、これはスーパーヒーローの映画なのである。スーパーヒーローが理想を説かずして、誰がその役割を担うのか。
『ブラックパンサー』はアフリカという土地、そしてそこから連れ出された人々にまつわる問題を背負った作品だ。しかし、なによりもそれ以上にヒーローの物語である。ブラックカルチャーへの深い理解はこの作品の大きな魅力だが、それを背負った上で、MCUが今送り出す「スーパーヒーロー映画」という地点に見事に着地したことが、何よりも眩しい。
物語の主人公はアフリカの小国ワカンダの若き国王であるティ・チャラ。先王の死を受けて新たな国王となった彼は、ワカンダ王が代々受け継いできたクロヒョウの戦士「ブラックパンサー」の座も引き継ぐ。
『ブラックパンサー』は、準備ができていないまま国王となったティ・チャラが、ワカンダに降りかかった危機を乗り越えつつ新たな王として己を確立していくまでを描いた作品である。
しかし、『ブラックパンサー』は単にヒーローの誕生だけを描いた作品ではない。そこにはアフリカと黒人たちが辿ってきた様々な歴史的経緯と現実世界に対する問題提起が何重にも織り込まれ、ブラックカルチャーをも劇中に取り入れた非常に豊かな映画として仕上がっているのだ。
※本稿では、本編の一部ネタバレを含みます
文:しげる 編集:新見直
アフリカ系アメリカ人にとっての“巨大な空白”
16世紀以来、新大陸アメリカでは奴隷のニーズが拡大する一方だった。それを支えたのがスペインとポルトガル、後にはイギリスやフランスなどより多くの西欧諸国による奴隷貿易だった。武器を西アフリカに売り、その対価として西アフリカから奴隷を新大陸に販売、さらに新大陸からは砂糖やタバコを購入するという三角貿易は莫大な富を生んだ。一方「人間を売る」という究極の商売を行った西アフリカ諸国は荒廃し、これが後に西欧列強によるアフリカの植民地化を引き起こす。
こうしてアメリカに連れてこられたアフリカ人の末裔であるアフリカ系アメリカ人にとって、自らのルーツは巨大な空白となっている。
例えば日本人であれば、家系図がなくても「数十世代前の先祖もおそらく日本のどこかに住んでいただろう」という想像はつく。しかし、アフリカ系アメリカ人には、「わずか2、300年以上前の自らのルーツがわからない」という事態が発生しているのだ。
さらに、アフリカは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、大陸全体が欧米列強によってほぼ完全に植民地化されている。この状況は第二次大戦が集結しヨーロッパの国々が植民地運営能力を失い、なおかつアフリカ人自身による独立運動が発生するまで続いた。
その間に起こっていたのが、アフリカの資源の簒奪だ。特にダイヤモンドといった地下資源は「産出されるエリアが限られる」という点で長年紛争の火種であり、同時に西洋諸国の植民地運営における大きな利益にもなった。そのため、アフリカ人は長年、自分たちの土地から出る資源を自分たちの手に収めることができなかったのである。
つまり、アフリカ系アメリカ人にとっては、自らのルーツはぼんやりと巨大な「アフリカ」しかない上に、そのルーツすら19世紀には白人たちによって植民地として分割統治され、その土地から出る資源を全て奪われてしまうという状況があった。
例えばアフリカの中で植民化を免れ独立を守ったエチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ1世がいまだにブラックカルチャーの中でリスペクトされ、特に1966年のジャマイカ訪問によってレゲエなどの音楽文化に多大な影響を与えたのも当然なのである(ハイレ・セラシエ1世の幼名であるラス・タファリはレゲエの国・ジャマイカの重要な思想運動「ラスタ」の語源である)。
黒人にとっての“理想の故郷”ワカンダ
そういった背景を踏まえた上で、『ブラックパンサー』の物語が始まる地であるワカンダを見ると、黒人の活躍を描く上でこれ以上ないくらい理想的な設定であることがわかる。宇宙からもたらされた超金属ヴィブラニウムによって世界水準から数世代先を進む文明を築き、しかも対外的には貧しい小国を装うことで半ば鎖国のようにして独立を保つ……。故郷を失ったアフリカ系アメリカ人にとっては、相当魅力的な設定であろうことは想像に難くない。
つまり、ここで描かれているのは、略奪を受けることなく故郷のルーツを失うことのなかった黒人の文化、“あり得たかもしれない“黒人の歴史だとも言える。
さらに言えば、そのヴィブラニウムを強奪するためにワカンダに潜入するのが"白人の武器商人"であるユリシーズ・クロウだというのも重要だろう。白人がつくった武器はアフリカの奴隷貿易の根幹を支えたアイテムであり、「アフリカの鉱物資源を狙う白人」という図式は19世紀以来の植民地支配の歴史を想起させる。
また、クロウ自身が組織に所属しないフリーランサーであり金で動くヴィラン(悪役)であることは、戦後ローデシアやコンゴなどの紛争で大量にアフリカへと流入した白人傭兵を意識した設定と考えられる。
クロウを演じたアンディ・サーキスの顔は、コンゴ動乱で活躍した有名な傭兵マイク・ホアーに少し似た愛嬌があると思うのだが、これはさすがに穿ち過ぎかもしれない。
『ブラックパンサー』が1992年のオークランドから始まった理由
マーベル・コミックスにブラックパンサーが初めて登場したのは1966年。アメリカで明確に人種差別を禁じた公民権法が成立したのが1964年であり、しかもその法律が制定されても差別自体は社会から消えなかったことから、公民権運動が大きな盛り上がりを見せていた頃である。当時のマーベル・コミックスがこの事情を知らなかったわけはないが、その一方で初期のブラックパンサーはそこまで政治性を打ち出したキャラクターではなかった。あくまで当時のコミックはまず子供が読むものであり、そこにいきなり差別問題を持ち込まないことはマーベルのライターたちの良識であった。
同じ名前を持つブラックパンサー党が結成されたのも同時期だ。ブラックパンサー党は過激な主張と活動内容で知られ、黒人に対して武装や暴力革命を呼びかけた。また、貧困層の児童に対する食事の給付や治療費のかからない病院なども建設。共産主義的な黒人同士の相互扶助組織という一面もある。
このブラックパンサー党が結成されたのが、カリフォルニア州オークランドである。映画『ブラックパンサー』の物語が1992年のオークランドから始まることは、決して偶然ではない。
1992年はロサンゼルス暴動が起こった年でもあり、劇中にちらっと映るテレビでもこの暴動の映像が流れている。この暴動はスピード違反の取り締まりから逃走した黒人青年ロドニー・キング(強盗罪で逮捕され仮釈放中の身だった)に対する白人警官による暴行に端を発する。
公民権法成立から長い時間が経っても差別は消えていないことを示す事件の起こった年に、黒人たちが武装闘争を目的とした扶助組織を結成した地で、『ブラックパンサー』と名付けられた物語が始まる。
『ブラックパンサー』は冒頭の時点で、アメリカ国内での人種問題に対し何重にも目配せを行なっているのだ。
その部分を感じさせるのが、本作のサウンドトラックだ。現在において最も重要なラッパーであるケンドリック・ラマーをはじめ多数のアーティストが参加していることで話題になった。
劇伴自体もアフリカの民族音楽とトラップといった近年のダンスミュージックを組み合わせた、非常に洗練されたものである。更に言えば、『ブラックパンサー』においてヒップホップがフィーチャーされるのには必然性がある。
そもそもヒップホップ自体がニューヨークのブロンクスに住む黒人によって組み立てられてきた文化である。当然ながら公民権運動に対する意識も高く、わかりやすいところではブギー・ダウン・プロダクションがカービン銃を手に窓の外を覗くマルコムXの有名な写真をジャケットでサンプリングしている例(ちなみにこの写真は2010年にシンガーであるビラルによってもサンプリングされている)や、パブリック・エナミーのリリックなどが挙げられるだろう。また、アフリカ・バンバータによるズールー・ネイションなど「ミュージシャンが運営した黒人の相互扶助組織」も存在する。
また、最近日本でも伝記映画『オール・アイズ・オン・ミー』が公開されたラッパー、2PACがデジタル・アンダーグラウンド時代に本拠地としていたのもオークランドである。彼の母親であるアフェニ・シャクールは筋金入りのブラックパンサー党員であり、その周囲の親族にもこの党の活動家が何人もいた。
『ブラックパンサー』の冒頭とラストの舞台がオークランドであることはブラックパンサー党結成の地である点を意識してのことだろうが、1992年と言えば2PACはまだオークランドに住んでいたはず。その年にワカンダの先王ティ・チャカがオークランドを訪れていたというのは、なかなか面白い一致である。
故郷を失ったキルモンガーの重たい問いかけ
本作のヴィランであるキルモンガーについても触れておきたい。キルモンガーはもともとコミックの『ブラックパンサー』にも登場するキャラクターだが、映画では大きな設定改変が行われている。そもそも、コミックではキルモンガーの生まれはワカンダである。キルモンガーの父とユリシーズ・クロウが犯した罪によって家族揃ってワカンダから追放され、それを恨んでブラックパンサーに復讐を誓ったというキャラクターだ。
対して映画ではワカンダ生まれの父親によってオークランドで育てられたという設定になっており、出生地が大きく異なる。映画でのキルモンガーは「父親に父祖の地であるワカンダについて聞かされ、それに憧れていた」というキャラクターであり、その目線は「祖先のルーツであるアフリカ」に憧憬のまなざしを向けるアフリカ系アメリカ人たちと重なる。
キルモンガーは成長してから軍に入隊。SEALsに所属して数々の作戦に従事し、後に大学で高等教育を受けた。この設定からは、キルモンガーは近年問題になっている経済的徴兵制の被害者であることが透けて見える。
アメリカは現在徴兵制を敷いておらず、軍はリクルート活動に力を入れる。その大きなターゲットとなっているのが、中西部や南部に住む低所得者、ならびに有色人種などのマイノリティだ。
軍のリクルーターは大学への学費や自費では行けないような世界各地への駐屯、愛国心を高めて周囲の人々から尊敬される仕事に就ける点を推し、これらの人々を勧誘する。そもそも富裕層は学費目当てに入隊する必要などないため、これが経済格差を前提とした新しい形の徴兵制ではないかと批判も招いている。キルモンガーのキャラクターは、長引く中東での戦争で浮き上がってきたこの問題を、如実に反映したものと言えるだろう。
さらに、ワカンダへと戻ったキルモンガーが実権を掌握するためにとった手段が、クーデターと分割統治だったこともポイントである。両方とも西洋諸国が戦後アフリカで繰り返しては混乱を招いてきた手法であり、またアメリカに限って言えばCIAは同様のことをラテンアメリカ各国で繰り返してきた。アフリカ系アメリカ人が自らのルーツに戻り、実験を握るためにとった手段が、白人の簒奪者たちと同じだった。これほど皮肉に満ちた寓話があるだろうか。
劇中、ブラックパンサー継承の儀式で口にするワカンダで産出されるハーブの力で、若き王ティ・チャラはアフリカの大地の上で父祖の霊に出会うことができた。しかしキルモンガーは、同じハーブを服用しても生まれ育ったオークランドのアパートにしか戻ることはできない。ワカンダの王の器として、どちらがふさわしいかは明白である。
しかし、その明白さこそが大きな悲しみでもある。キルモンガーは故郷を失い、いまだに貧困がつきまとう多くのアフリカ系アメリカ人の代弁者だ。『ブラックパンサー』がキルモンガーというキャラクターを通して語ろうとしていることはあまりにも多く、そして重い。
ブラックパンサーは、王でありヒーローである
MCU世界の地球は過去数度地球外からの侵略を受けており、さらにその侵略者たちの技術が流出しかけている、という混沌とした状況にある。その最中にワカンダだけが鎖国して、世界中を放っておいてもいいのか……。映画の後半、父の犯した罪を背負う新王ティ・チャラの大きな悩みとなるのがこの点だ。「苦しんでいる隣人を放っておいて、自分の国だけが安定していればそれでいいのか?」という『ブラックパンサー』の問いかけは、そのまま今の現実世界に対して向けられたものである。
これは現在の難民問題や移民排斥に対する問題提起だろう。シリアやイラク、アフガニスタンなど中東や中央アジアから流出する難民に対し、先進国が門戸を閉ざしたり国内で移民の排斥に走る様は、近年になって数多く見受けられる。日本も例外ではない。
ワカンダが超文明を築くことができたのは、単にヴィブラニウムが産出されたからにすぎない。なのにその恩恵を独占するのか、同胞に顔向けできるのか、というキルモンガーの問いかけは、そのまま映画を見ている我々に向けられたものである。
その問いに対しティ・チャラが最後に取った選択は、『ブラックパンサー』の製作者たちが示す未来への展望だ。また、ティ・チャラがその選択を世界に発表する場面で、いまだに残るアフリカへの差別感情をさらっと描写する点も抜群のバランス感覚である。
いささか理想的すぎる結論に至って『ブラックパンサー』は終わるが、これはスーパーヒーローの映画なのである。スーパーヒーローが理想を説かずして、誰がその役割を担うのか。
『ブラックパンサー』はアフリカという土地、そしてそこから連れ出された人々にまつわる問題を背負った作品だ。しかし、なによりもそれ以上にヒーローの物語である。ブラックカルチャーへの深い理解はこの作品の大きな魅力だが、それを背負った上で、MCUが今送り出す「スーパーヒーロー映画」という地点に見事に着地したことが、何よりも眩しい。
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しげる // shigeru
Writer
1987年岐阜県生まれ。プラモデル、アメリカや日本のオモチャ、制作費がたくさんかかっている映画、忍者や殺し屋や元軍人やスパイが出てくる小説、鉄砲を撃つテレビゲームなどを愛好。好きな女優はメアリー・エリザベス・ウィンステッドとエミリー・ヴァンキャンプです。
https://twitter.com/gerusea
http://gerusea.hatenablog.com/
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