1980年代のゲームセンター(以降ゲーセン)は大体どこも真っ暗闇で不良がたむろする場所でした。
私は1975年生まれなので、ゲーセンに通いだしたのは小学4年生から出入りしてましたね。ということは9歳ですか。1985年となります。確か9歳位だと入店拒否されたり、補導されたりしてましたね。自分はされませんでした。
ゲーセンは当時活気がありましたが、中高生や大人が入るイメージが強かったような気がします。今のように明るい感じで子供は全くいなかったです。UFOキャッチャーなどゲーセン仕様のパチンコ・パチスロ機などなかった時代ですし、ホントどこも大抵薄暗かった。
札幌で有名だったのは「キャッツアイ」「ハイテクセガ」「スガイ」「クノイサス」あとはデパートの屋上、中小の経営店「ゲーム一番館」とか「サンサービス」「ロッポニカ」「ポパイ」「赤い風車」数あげたらキリないですけど、懐かしい店舗の名前が思い出されます。
ガキが大金を持ってゲーセンで遊んでると、不良に目をつけられカツアゲされます。 だから周りに目を配り、不良や補導員など入店してきて怪しい雰囲気を察知したら、すぐに退店するのが鉄則です。
私は不良グループや暴走族などには入っていませんでしたが、友人が関わっていましたね。間接的に知っているだけで、トラブルが起きて何か困った時はその友人のコネに頼っていました。
まだその頃は暴走族が多かったですから、札幌も。
よく弟とプレイしたのがカプコンの『1943 ミッドウェー海戦』をよくやってましたね。2人で協力プレイで戦艦大和まで行くまで、いくら使ったか…。
おい(弟)協力プレイで100円で『利根』まで行くぞ!絶対しぬなよ!死んだら帰り歩きだからな!
えーーっ!無理ゲーすぎる💦
早く!援軍!100円玉!コンテニュー入れろって!
コンテニューきれた・・・こうちゃん、ごめん💧
とりあえず100円硬貨を入れるも、2面の『加賀』まで2人でコンテニューして600円は使ってしまうという…。ムズゲーでした。今やっても無限コンテニューで大和を撃沈出来ず、ですかね💧
ゲーセンに置いてあるタイプのアーケードゲームの筐体はほとんどテーブル型でした。
「画像出典:Wikipedia(アーケードゲーム)」
アップライト筐体は古くはドンキーコング、カルテット、ガントレットなど。
ほとんど1プレイ100円。でも主流は1プレイ50円でしたね。10円とか20円とかもありましたよ。
テーブル筐体だと先駆けはスペースインベーダーから始まり、パックマン、ラリーX、プーヤン、サーカスチャーリー、スパルタンX、イーアルカンフー、魔界村、ギャラガ、ゼビウス、グラディウス、沙羅曼蛇、ツインビー、ドラゴンバスター、ドルアーガの塔、エグゼドエグゼス、4080、影の伝説、バブルボブル、ファンタジーゾーン、スターソルジャー、戦場の狼、闘いの挽歌、アルカロイド、ファイナルファイト、ベラボーマン、R-TYPE、オーダイン、スプラッターハウス、源平討魔伝、あとはテクモのワールドカップサッカー、ギャンブルなどトランプポーカー系麻雀系など。
懐かしき弟との協力プレイダブルドラゴン。
一番の弟との協力プレイシリーズではゴールデンアックスが燃えた!
個人的にテーブル型筐体で一番好きだった、 『エキサイティングアワー』
「動画出典:Youtube (プライバシーポリシー)」
ミディタイプ筐体。 ストリートファイターシリーズ、バーチャファイター、餓狼伝説、龍虎の拳、格闘ゲームブームがやってきた頃がこのタイプ主流の筐体だった。格ゲーは技コマンド入れるのが苦手で、ストⅡから無理でした。
でも私の好きなゲームは弟と協力プレイのゲイングランドでした。
「画像出典:Wikipedia(アーケードゲーム)」
ゲームのビュジュアルやサウンドなど進化していくたび筐体は大きくなった。
そして登場したのが体感ゲーム機である。これはセガが業界をリードして発売しては、爆発的な人気アーケードゲームになった。
「画像出典:Wikipedia(スペースハリアー)」
ハングオンから始まり、スペースハリアー、アウトラン、スーパーハングオン、アフターバーナー、サンダーブレード、パワードリフト、ギャラクシーフォースなど大ヒット作は続いた。
またナムコもウイニングランシリーズ、リッジレーサーシリーズなど。コナミもスリルドライブなど続々と販売した。
しかし、体感機ゲーム機はセガがシェアが圧倒的であり、アーケードゲーム部門では独走だった。その代わり家庭用ゲーム機ハード戦争では、常にナンバー2に位置し、任天堂やソニー、NEC PCエンジンにはシェアで負けて赤字を垂れ流していた。
時代が過ぎ行きアーケードゲーム・ゲーセンが廃れたのは、家庭用ゲーム機の性能がアーケードと変わらず、ゲーセンに行かなくても高スペックで大量生産による高性能なCPU搭載のハードが発売され、ビジュアルは3DやVRなどアーケードと同機能なゲーム、どこに居ても遊べるユーザー同士がインターネット通信で同時に自宅に居て楽しめるからだ。
代わりに伸びたのはUFOキャッチャーやプリクラ(さらに進化)などがゲーセンの主流になったこと。そしてゲームセンター自体はインターネットカフェやカラオケとかが合体した「ラウンドワン」などの複合施設に成り代わってしまった。
時代が過ぎ行く、時代が過ぎ行く、めぐる価値観 。
…時代はめぐる、ぐるりとまわる。とかくゲーム業界は日々日進月歩である。