2018年は星野仙一監督の訃報で幕が明けました。昭和のスターが、どんどん他界されていき、否応なく年齢を感じてしまいますね。我々もいい年です。今回は、なりたかった自分、なれた自分について語っていただければと思うのですが。
岡:じゃ、その前に星野さんについて一言。星野さんはエネルギーにあふれたアンチ巨人の人で、みずからの露出を考える広告的センスもある、スマートな方だったと思います。ご冥福をお祈りします。
小田嶋:だったら俺も。相撲協会は、もうだめだと思いますよ。
あっ、小田嶋先生の蹴手繰りが、いきなり入りました。
小田嶋:相撲が世間を賑わせていますよね。相撲って、伝統文化だという話と、スポーツだという話の両方があって、あちらを立てればこちらが立たずの典型。まず、伝統を守ろうとすると、スポーツとしてのレギュレーションがフェアじゃなくなる。
岡:だって、同部屋同士は当たらないわけだし、あと、驚いたんだけど、行司って部屋に所属しているんだってね。それ、スポーツとしたら、あってはならない事態でしょう。野球でいえば、審判がチームに所属しているってことだから。
行事はプロデューサーであって審判じゃなかった
小田嶋:「行司」って字を見れば分かる通り、本来は審判ではなくて「行を司る人」、つまり興行を運営するプロデューサーなんだよね。実際、相撲って歴史的には興行が先にあったものなのだから、それは分かる。でも現在の世で、審判がプロモーターだったり、プロデューサーだったりするのは、理屈としてはあり得ないよね。
岡:審判でありながら、むしろ審判をしないことが務め、みたいなヘンなことになる。
小田嶋:相撲協会って、その非合理的な理屈がまかり通っているところなのよ。部屋というのは選手の育成機関であり、所属チームでもあるんだけど、相撲は個人競技にもかかわらず、部屋同士の人間が当たらないからオープンな個人競技にはなっていない。しかも、8勝7敗と7勝8敗では、力士にでかい差が付くわけだから、1勝がともかく重い。ということで、そもそも星の貸し借りが起こらざるを得ない仕組みになっている。だから、当然、そういうことは起きるよね。
岡:まあ、そうだよね。
小田嶋:そのような設定にしていること自体が、すでにどうかしている。じゃあスポーツとしてちゃんとルールを整えて、レギュレーションも整備して、ということになると、相撲の伝統が全部なくなっちゃうわけだから、どっちにもできない。そういう矛盾した枠の中で、改革だとか、膿を出せとか、耳当たりのいい適当なことが言われているけれど、できっこないよ。
岡:もう一つ難しい問題だと思うのは、相撲は神事だといっていることだよ。
小田嶋:そうね。神様に奉納する何とかだという建前になっていて、実際に奉納もしているんだけど、日本人が何かをやる時に、神様を巻き込むという形は、組織が責任を取らないエクスキューズの常道なんだよ。
岡:大日本帝国軍だね。
小田嶋:大日本帝国もそうだし、国家神道もそうだったし、やくざが盃ごとをすることも、日本では全部神事なんですよ。
岡:神聖というよりは、神様を持ち出して無責任の受け皿にしている。
小田嶋:要するに、これは神の名においてやるんだよ、だから誰の責任でもないんだよ、という話で、相撲もそういう構造になっているから、あの件はどこまでいっても、どうやっても解決しないと俺は思っています。
岡:その中において、貴乃花は何をしようとしているんだろうね。
小田嶋:貴乃花は、正々堂々と戦おうという意味のことと、違う部屋同士の人間が飲んだり、付き合ったりするのは、不透明だからやめろということを言っている。
岡:だったら正しいんじゃない?
小田嶋:この2点はフェアな勝負という意味では正しいんだけど、でも、あの人の言っていることの正しさに、俺が簡単に乗っかれないのは、あの人があまりにも変わり者だということがまず一つ。
岡:お前が言うのか(笑)。
小田嶋:それともう一つ、あの人はもしかしたら、外国人差別の感情を持っているのかもしれない。単なるフェアで言っているのではなくて、国粋主義的なものを信奉しているんじゃないか。そのあたりがどうも匂ってくる。実際、ブログを読むと、国体とか皇室とかについて、よく書いている。ちょっと思想的にやばい感じがするのよ。
岡:純粋な人なんだろうけど、純粋な人って要注意な人だからね。
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