テレビ業界には、「総世帯視聴率」(HUT)という用語がある。これは視聴率調査の対象となっているすべての世帯のなかで、テレビをつけていた世帯の割合を示す。
この数値の低迷に、テレビ局は個別の番組視聴率よりも頭を悩ませている。それは、お茶の間の「テレビ離れ」を明確に示す数字だからである。
'53年にテレビ放送はスタートし、'62年末からビデオリサーチによる視聴率調査が始まった。
ページ末のグラフは、HUTの推移をまとめたものである。
調査を開始した'63年のゴールデン帯(19時~22時)のHUTは75.4%。すでにテレビを見る習慣ができていた。
'63年当時、テレビの受信契約数は1000万台を超えており、同年のNHK『紅白歌合戦』の視聴率は81.4%と驚異的な数字を記録。テレビは「娯楽の王様」だった。
一方で、同年初めて日米間のテレビ衛星中継実験が成功し、11月23日にはケネディ米大統領の暗殺事件の衝撃的な映像にみな釘付けとなった。ニュース速報を知るツールとしても、テレビは欠かせないものだった。
ビデオリサーチの広報誌「VRダイジェスト」によれば、テレビが最もよく見られた一日は、'72年2月28日と'89年2月24日だという。どちらも全日帯のHUTは62.8%だった。
何があった日か分かるだろうか。
前者は連合赤軍あさま山荘事件が起きた日。後者は昭和天皇の大葬の礼が執り行われた日である。
元NHK放送文化研究所主任研究員で、次世代メディア研究所代表の鈴木祐司氏が解説する。
「'70年代後半から、テレビは一家に一台ではなく、複数台持つようになります。それにより、一世帯でテレビがついている確率がさらに高まりました。
そして'75年以降、テレビ広告が新聞広告の売り上げを抜き、媒体価値としてもメディアの王様になります」
'70年代末まで、HUTは全日帯、ゴールデン帯とも上昇もしくは横ばいで推移していく。